R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

半年ぶりのお山へ

土曜は群馬の親方に誘われて、マックスフリッツ(の前)でコーヒータイム

カーミットチェアに興味津々のご様子。

ネットで検索したらモノによっては、中古で10万越えも(@_@)

キャンプグッズもブランド物や、高額商品が増えたので、

「キャンプ場でちょっと出かけて戻ったら、テントごと全部盗まれた」

なんて事件が増えたのもうなづける。

盗られて泣くより、カーミットの「パチモン」が数千円で売っているので、

「パチモンでいいんじゃない?」

と言ったら

「だって{や~いパチモン}って、バカにするんでしょ」

って、よくわかっていらっしゃる。

 

次から次へとお客さんが来店して大盛況?

客じゃない我々が駐輪場を占有しているのも、申し訳ないので、コーヒー飲んで速攻で退散した。

もう10年くらい経つのかな。

管原じ~じから譲られた100GSを、大切に乗っている。

タンクにはじ~じのサインもそのまま(私なんて速攻で消すけど(@_@))

納車のとき私が書いた「注意書き」もそのまま

渋滞する高速をドカですり抜けしていて、進路変更したクルマとぶつかって骨折、ドクターヘリで搬送された親方なので、転ばないよう「おまじない」。

今のところ「効いている」みたい

大型化するGSは次期モデルは1300ccとか。

もう小柄な日本人が操れる大きさじゃないので、旧型の100RSあたりが欲しいけど、一度でもABSのすばらしさを知ってしまうと、とっさにブレーキを「ガク引き」して、前輪ロックで転倒するのが恐ろしくて仕方ない。

 

帰りは浅草~日本橋~銀座を抜けて帰宅

「世の中は景気が悪い」

とか、

「貧困で困っている人がいる」

なんてテレビで言っていたが、歩行者天国で歩く着飾った買い物客や、ピカピカのポルシェやフェラーリ、ロールス、ベンツにBMWなどを見ると、ほんとうに不景気なのか疑問に感じてしまう。

テレビで必ず紹介される宝くじ売り場も、たくさんの人が並んでいた。

知り合いが都内の宝くじ売り場の「利権」をもっていて、ジャンボのたびに付き合いで30枚買っていた。

宝くじ売り場は戦後、未亡人になった人を救済する目的で、勧業銀行が胴元で始めた事業(のはず)。

なので宝くじ売り場は銀行がやっているのではなく、すべて「個人経営」(のはず)、ちゃんと「お上」の許可を得ていて、ヤクザは介入していないし、その権利は親族間のみで継承できる。

彼がもつ「売り場」は親から売り場を相続した娘夫婦が、カネに困って彼から借りて、その「カタ」に取ったもの。

継承できるといっても不動産のように「登記」はできないので、娘夫婦に店番をやらせ、金銭消費貸借契約で第三者に取られないようやっている。

カネに困った子供が第三者に権利を売ったりするので、

「人気があるあの売り場は数億円」とか「あそこは人気が無いので3000万」など、それぞれ「相場」があるらしい。

当然カネを払って「サクラ」を並ばせて、テレビで放映されれば、「当たる」と勘違いした人が押し寄せるので、じゅうぶん「元」は取れるとか。

当時は300円の宝くじ1枚売って、10円の利益があり、あまると買い取ってもらえる、かなり「ボロい商売」

宝くじに当たる確率は飛行機事故で死ぬ確率より低いらしいので、私も何百枚買ったかわからないが、たぶん数万円も当たっていないかも。

なので売り場に並ぶ人たちを見るたび、

「そんな時間があるなら働けよ」

「アンタの前の人はサクラかも?」

といつも思ってしまう。

 

そして日曜は5月の事故以来、半年ぶりのお山

今日の目的は私のEVILを、MTBつながりのフジタさんにお譲りすること。

コロナで海外から自転車もパーツも入らない上に、円安で価格が高騰。

なのでバラバラにして売ればかなりの高値になるかもだけど、安くていいので知り合いが乗ってくれる方がうれしい。

フジタ家は来年、息子さんが私大生になるので、家計は火の車(のはず)

それでもOKしてくれた奥様に、拍手を送りたい。

 

こちらはヤマザキさんが海外(中国)の工場に発注したeBike。

フレームにバッテリー内蔵型で、バッテリー容量に応じて軽量化できる。

今日は30kmしか走らないときは、一番軽い1,5kgを積んで、100km以上走るときは4kgのバッテリーを乗せ換えられるので、一番軽い状態で車重は20kgを切る。

自走できるオートモードもあるので、急坂を押し上げるときもラク

私はまだ自力で登りたいので買わないけど、都内のふだんのアシなら、GSよりいいかもしれない。

 

今日はいつものオザワさんに加え、ヤマザキさんの友人らも参加して、総勢8人の大所帯。

半年ぶりなので激坂が登れるか心配だったけど、なんとか登っていつもの湧き水で休憩

いつもは重たいクロモリ&シングルスピードのハードテイルで、ヒイヒイ言いながら登っているのに、今日は軽いEVILでゴキゲンの様子

ギアのない文字通り「1速」のシングルスピードは、左右のペダルに全体重を乗せないと、急坂を登れないけど、今日は10枚もギアがあるうえにフルカーボンなので、今までの苦労が何だったのか、拍子抜けするほど。

でもそのつらさを知っているからこそ、今日の喜びがあるというもの。

「万が一、フジタ家の家計が破綻しそうなときは、EVILは倍で売れるはず」

と言ったら、

「なにがあってもこれは売りません!」

って。気に入ってもらえて良かった。

そしていつもの展望台で休憩。

ここオザトレは登りで2回休憩して、1時間半くらいかけて登るけど、今日参加の人たちは普段こんなに長時間漕ぎ続けないらしいので、ここまで5回くらい休んでいる。

半年ぶりのトレック

ずっとヤマザキサイクルに預けていたあいだに、さらに「魔改造」されて、もうキカイダー、もとい、登りは軽くて下りもスムーズに走れる、ダウンカントリーバイクに。

こちらのEVILはもともとヤマザキさんが、自分好みのパーツで組み上げた、世界に一台のヘンタイバイク。

どんな荒れた下りも、まるで「魔法のじゅうたん」のように、スムーズに走れる。

峠のてっぺん、これから下るところで休憩していたら、下のほうからオフ車が登ってきた。

ここはゲロアタックの名所なので、KTMやBETAなどがアタックしている。

MTBではここは自走で登れないので、舗装路をのぼって下るだけだが、彼らは山道を削りながら登るので、山へのインパクトは自転車の比ではない。

とはいえヘルメットをとると、私と同年代のおじさんばかりで、できるだけ人に会わない道を走っているそう。

それでも一部のライダーが、ゆっくり歩くハイカーの横を、アクセル開けて威嚇しながら走るので、苦情で走行禁止になっているのが現状。

MTBもオフ車のあおりを受けて、東京近郊の山はほとんど走行禁止になってしまった。

このオザトレも他人ごとではない。

ハイキングやトレランのレースで町おこしをやっている側からすれば、バイクもMTBも邪魔で仕方ないはず。

オザトレが走行禁止になったら、もうMTBはやめると思うけど、それも遠い未来ではないだろう。

まぁそのときはオザワさんと、ハイキングを楽しもうと、ふたりで話している。

 

そして快調だったEVILに不幸が。

登りでペダルがクランクごと「もげて」走行不能に。

脚力のあるヤマザキさんから私が譲り受け、それなりに走り回ったので、ギアの溝がすり減って「カラ回り」したらしい。

売主の責任なので私がヤマザキさんにクランクを注文、

今日引き渡しのはずがまた先になってしまった(すみませんm(__)m)。

 

他の人にもブレーキトラブルで走行不能になってしまったので、今日は1本下っておしまいに。

私もまだ鎖骨にプレートが入っているので、ぜったいに転んだり「前転」できないプレッシャーで、下りは緊張しっぱなし。

しばらく来ないあいだに台風や、オフ車の凶悪なブロックタイヤで、荒らされた路面は大きくえぐれていて、何度も穴に落ちそうになる。

後半の下りは転んでけがをするイメージしかなかったので、私も1本で終わってホッとした。

今日はGSでなくレヴォーグだったので、帰りの渋滞が心配だったけど、12時にオザトレを出て、ゆっくり走って2時に帰宅できた。

なにか届いていると思ったら、景品で当たったケルヒャー

数年前にジャパネットで買ったのはあるけど、これは管理しているマンションの清掃用に使いたい。

 

半年ぶりに山を走って、脚力が落ちていることを痛感した。

登りも筋肉は使うけど、MTBは下りも荒れた路面を、ほぼ中腰の「蹲踞(そんきょ)」状態で走るので、後半はひざや太ももがピリピリ、痙攣してくる。

この態勢はスキーに似ているので、私にとってMTBはスキーのトレーニングも兼ねていた。

来週末にはスキークラブの初滑りがあり、いよいよシーズン突入。

白馬の予定だったけど、ヒイヒイ登っている途中にスキークラブの人から

「白馬が雪不足なので志賀高原に変更します」

と連絡があった(「なんか呼吸が荒れてるけど大丈夫?」って、心配された(@_@))。

ケガをして走れなかったぶん、体力面の準備不足が心配だけど、とりあえずMTBもスキーも、「ケガしない程度に」楽しみたい。

じ~じに再会

12月になると世の中みんな忙しくなるので、不動産屋はヒマになる(弊社の場合、いつもヒマだけど、とくに輪をかけてヒマ(@_@))

なので月曜午前中は歯医者さんへ。

と娘の中学から

「体育の授業で足を痛めたので、お迎えに来てください」

と電話が。

急に迎えに来いといわれても、忙しい年末にすぐ行ける親は少ないだろう。

でも午後の予定は、5月の事故で折れた鎖骨の3カ月ぶりの定期健診だけ(ホントに大丈夫か(^-^;)。

なので病院に電話して来週に変更してもらい、歯医者さんから直行。

歩けないかもと校内に特別に入れてもらい、玄関前に横づけ。

 

じん帯でも痛めたか?

骨折でもしたか?

と心配したけど、ビッコひきながら(今は差別用語なのね)、自分で歩いてきた。

2時間目の体育から3時間経っているけど、腫れていないので折れてはいないかな。

そして家の近所の整形外科へ

足首を「グキっと」ひねったらしいが、じん帯も骨折もしておらず、捻挫とのことで、湿布を貼ってもらいおしまい。

たまたま保育園から同級生だった、みうちゃん母子に待合室で再会。

みうちゃんは地元の中学に進んで、チアリーディングをやっているらしいが、腰を痛めて通院していた。

中学受験なんてせず、歩いて通える地元の中学に行けばいいのに

なんて思っていたが、中1のみうちゃんはもう「高校受験」に向けて、塾に通っているので、中高一貫で受験せず高校にあがれる(たぶん)娘を、うらやましがっていた。

毎日のように学校で小テストがあって大変な娘だけど、もう塾には行きたくないので、よかったのかも。

 

そしてヒマな私と違って忙しい建築業界のなか、3階事務所のリフォームもしてもらった工務店さんが、やっと洗面所のリフォームに来てくれた。

カベを奥さんの希望で漆喰で塗ったけど、洗面台の「水はね」による汚れが、ずっと気になっていた。

カベに掃除しやすいパネルを貼ってもらうついでに、水あかが気になっていた蛇口と洗面ボウルを磨く。

海外のホテルやリゾートに行くと、シャワーや蛇口がドイツの「グローエ」。

なので自宅もそれにしたが、専用工具が無いと外せなかった。

たしかにデザインはカッコいいし、取り付けた18年前は、国産にいいものが無かったけど、いまは国内メーカーも安くていいものがたくさん出ているし、「整備性」も海外製よりはるかにいい。

とりあえずピカピカに磨いて、しばらくは使えそう。

 

お風呂の水栓とシャワーもグローエだけど、ポタポタ水漏れが止まらない。

パッキン交換で直るかと思ったけど、こちらは中のパーツがダメらしく、本体交換に。

 

次は国産の「混合水栓」にしてもらう予定。

大工さんはそろそろ仕事が無い人もいるらしいが、水道屋さんや電気工事屋さん、ワダケンのような塗装屋さんは、年末まで大忙し。

なまじ中途半端な大学出てサラリーマンやるよりも、専門職で手に職つけたほうが、これからの時代生き残れると、彼らを見て思う。

これで英語や外国語も話せれば、海外の職人は不器用な人が多いなか、日本人は器用なので、いま流行りの海外出稼ぎで、たくさん稼げるだろう。

私も息子がいたら中卒で、彼らに弟子入りさせたかった。

 

そしてワールドカップは盛り上がっているらしい。

大会スポンサーがほとんど中国メーカーなことに、脅威を感じるのは私だけ。

実況のアナウンサーが大声でうるさいし、海外で活躍したことも無い「往年のJリーガーたち」が、えらそうにテレビで解説しているのがイヤなので、ほとんど観ていない。

戦っている若い選手たちも

「勝てなかったお前らが、エラそうなこと言うなよ」

と思っているはず。

 

鎖骨の検査のとき、一緒に診てもらう予定だった「ばね指」

前回、注射を打ってもらって直ったと思ったが、しばらく前からまた痛み出して、親指がまっすぐ伸びない。

バイクは左側にウィンカーがあるので、左親指を一番使うが、厚手な冬用グローブはさらに苦痛。

明日、また病院で注射を打ってもらう予定だけど、注射は何度も打てないらしく、治らなければ次は「腱(けん)」の通り道を広げる手術かも。

 

おとといバイクで立ちゴケしそうになって、必死にこらえたら腰を痛めた。

冬のスキーに備えて日頃から筋トレしているけど、ベンチプレスでもやって鍛えないと、300キロ近い巨体を押さえるのは無理がある。

と、衰える体力を痛感する今日この頃。

 

と思っていたら、スガワラじ~じから電話が。

「アフリカのおみやげあるよ」

というので自宅にお邪魔した。

私のほうがちょっと早く着いたら、じ~じも帰ってきた。

「スガワラさんはふだんもランクルとか、デカいクルマに乗っているんですか?」

と聞かれるけど、「ふだんのアシは軽自動車」というとみんな驚く。

アフリカに行く前に会って以来なので、2ヵ月ぶりかな。

元気そうでよかった。

御年81歳。

エレベータはあるけど自宅マンションの4階まで、自分のアシでしっかり歩いて登る。

リビングにはミシュランのアフリカの地図と、今回使ったルートブックが

 

ミシュランの地図はラリー中、常時携帯の必携品

ラリーする人間にとってミシュランは、タイヤか地図のことで、食い物屋を勝手に格付けするものではない。

ロードブックを確認しながら、今回走ったルートでとくに難しかったところを、「おさらい中」

来年3月のアフリカエコレースを「人生最後のラリー」として、ジムニーで参戦予定だけど、今回前半のモロッコのサハラ越えは、バギーでもきつかったそう。

エコレースが始まった15年前はかなりゆるいラリーで、参加車両はXT500か空冷GS限定だった。

サポートカーも当時のパジェロレンジローバーで、食事もみんなで作るような、初期のパリダカそのまま。

イベントの巨大化とともに高速レースになって、アマチュアが完走もできないダカールラリーとは、一線を画すラリーだったが、数か国を走り抜けるクロスカントリーラリーとは名ばかりで、近年は「一国開催」のダカールラリーに、嫌気をさした強豪チームが多数参戦することで、ラリーのレベルが一気に引き上げられた結果、4輪クラスはレーシングバギーやワークスレーサーばかりになり、今年はもうパジェロでさえ走っていないとか。

たった660ccのノーマルエンジンに、ガソリンを200Lも積んで、ロールバーと足回りを改造しただけのジムニーでは、砂丘も登れないし完走もできないと、さすがのパリダカの鉄人も悟ったらしい。

(モンゴルラリーは砂丘地帯を走らないので、非力なジムニーでも走れる)

それでもあきらめないのがこの人。

砂丘が登れないなら「登らずに済む」ルートや、数十キロ延々と続く「ガレ場」も、距離は長くなるけど大きく迂回できるルートを、地図とロードブックを見ながら、記憶を頼りに予習、

来年3月のラリーは「レイドクラス」という、毎日ラリーと同じルートを走りながら、ラリーを体験できる「ツアー」にジムニーで参加してみて、ジムニーのパフォーマンスを確認。

「再来年2024年大会」にジムニーで出るか、バギーででるか考えるそう。

2024年、じ~じは83歳。

最近テレビで女性のボディビル(フィットネス?)コンテストが放送されていて、安井さんという女性が世界大会で2年連続2位になり、「優勝するまでもう1年がんばります」と言っていたが、生活のすべてを優勝のために費やした1年を、もう1年続けるのは半端な覚悟ではないだろう。

たぶんじ~じも同じ心境では。

初めて会ったのが2000年ごろのTBIで、じ~じは今の私と同じ60歳。

元気はつらつだったけどあれから20年が経ち、ふだんの歩きも高齢者特有の、ひざを上げない「すり足」になっている。

気力体力が衰えていることは、本人が一番自覚しているはず(ぜったい言わないけど)。

とはいえそれで本当に引退するか聞くと、

「えへへ」

って。

「永遠の少年の冒険」に終わりはないんだろうナ

 

帰り際の玄関で、一枚の写真に目が留まった

俳優の夏木陽介さん。

中学のころ「Gメン75」の小田切警視役で観たくらいで、個人的には藤田三保子の響刑事が好きだった。

Gメン'75 - 剣GOライダー

 

じ~じと夏木さんはレース仲間で、じ~じが夏木さんをパリダカに誘い、当時、夏木さんが三菱自動車のCMに出ていたので、三菱に声をかけパジェロで出ることに。

三菱から「社員からもラリードライバーを育てたい」との要望で、シノヅカ選手が大抜擢、

ここからパジェロブームやパリダカブームが起きたことを、知る人は少ないはず。

(私なんてパリダカ自体まるで知らなかったし(@_@))

この絵は夏木さんが描いたもの。絵も「玄人はだし」だったそう。

この絵はいつも玄関に飾ってあったので、なんとなく見ていたが、まさか夏木さんが描いたものとは知らなかった。

よく見ると日本レーシングのステッカーや、「チーム子連れ狼」のシンボルの、鯉のぼりがあったり、フェンダーにSUGAWARAとNATSUKIのネームがあったり。

夏木さんは2018年にがんで亡くなってしまったが、今もこうして故人をしのんでいるのが、じ~じらしい。

 

そしてアフリカのおみやげ

サハラ砂漠の砂」

さわると水で溶けるくらい細かくて、まるで「龍角散

海岸の砂浜の何十倍も細かい。

これを数百本、びんに詰め、報告書と一緒にスポンサーさんに配って回るのが、毎年恒例の行事。

何十年も続けてきたことが、ラリーを続けてこられた理由のひとつ。

モナコの車検場にて

こんなレーシングバギーでさえ難儀するコースを、市販車のジムニーが完走するのは、まさに至難のワザ。

ゴールのダカールのラックロゼにて。

主宰者でじ~じの盟友、ジャンルイシュレッサーと。

いただいたおみやげは事務所トイレの棚へ

右はエジプトのサハラ砂漠の砂。

ロッコの砂と(たぶん)同じだと思うけど、いちおう分けて展示

じつは今日12月4日で61歳。

じ~じとちょうど20歳差、

私も20年後、こんなアグレッシブなジジイになれるよう、仕事に遊びにがんばろうっと。

デリカにひとめぼれ

不動産の調査で横浜市役所へ

いつのまにか桜木町に移転して、高層ビルになっていた。

レヴォーグに全然乗っていないので(一年半で4000キロ、GSは9月から3か月で3000キロ)、1年点検のときディーラーのサービスさんから、

「今のクルマは電力消費が多いので、乗らないとバッテリーあがりますよ」

とのことなので、クルマで行こうかと思ったけど、市役所と水道局を廻って3時に戻れるか、ちょっと心配。

なのでやっぱりGSで出動。

シートカバーを取って、ウェアを着込んで、準備だけで10分以上かかるけど、乗り出したらクルマより速いので、どうしてもバイクになってしまう。

 

なによりも天気もいいし、絶好のツーリン,,,,,,,

ぢゃなくて「お仕事」日和。

こんなロープウェイあったの、知らなかった(横浜なんてめったに来ないし)。

おもわず路肩に停めて一枚。

ランドマークタワーが聖書の、バベルの塔にそっくりに見えてしかたがない。

バベルの塔 (ブリューゲル) - Wikipedia

「こんな高いビル建てて、いつかバチが当たるぞ」

なんて思っているが、93年の完成から来年でもう30年。

どこかにバチは当たったのかな?

 

先週くらいから「突然」気になってしかたない、「三菱デリカDー5」

横浜からの帰り道、近所のディーラーに「ちょこっと」寄ってみた。

そろそろスキーシーズンだけど、気持ちは毎週行くぞってくらい、気合が入っている。

娘と行くのは東京から近い、群馬方面が多かったけど、スキークラブのホームゲレンデは、菅平や志賀高原、白馬方面がメイン。

日帰りはさすがにキツいし、毎週泊りではホテル代もバカにならない。

長野の実家に泊れば菅平は30分、志賀高原も1時間で行ける「絶好のロケーション」だけど、75歳の義兄は数年前に大病を患い、コロナの心配もあるので、泊まるのは気が引ける。

レヴォーグで車中泊はちょっと狭いなぁ、と思っていたそんなとき、「デリカで車中泊しながらスキー三昧」する人のYouTubeを見て、

「これだ!」

とビビッときた次第。

www.youtube.com

UMD5様お借りします

ってもう住んじゃってる。

それからはデリカでキャンプや車中泊する人の、ブログや動画を見まくりの日々。

(評論家はみんないいことしか言わないので、信用しない)

 

「基本設計が15年前なのでいろいろ古い」

もあれば

「3年前のフルマイナーチェンジ(ってフルモデルチェンジじゃないの?)で、かなり良くなった」

という意見もあったり。

スバル乗りにも「スバリスト」という熱狂的マニアがいるけど、デリカも熱狂的なファンが多いことを知った。

「今のエルグランドみたいなオラオラ系の顔より、以前のほうが好き」

「ガラガラうるさいディーゼルじゃないと、デリカじゃない」

なんて人も多い。

社外品含めてオプションパーツもたくさん出ているので、ゴツゴツのブロックタイヤや、日本はカンガルーもいないのに、頑丈な「ルーバー」付けてる人も。

車中泊用のベッドキットも多数あるので、自分だけの空間を楽しむ人も。

 

三菱と言えばパリダカパジェロだけど、会社ぐるみの不正隠ぺいと、池井戸潤の小説「空飛ぶタイヤ」しか思い浮かばず、正直いいイメージはなかった。

長野の観光バス会社に長年勤めた義兄は、三菱コルトに乗っているが、

「三菱のバスが全然売れなくて、これもおまけですごく安く買えた」

「でも売るときはたぶん二束三文だろうけど、{最期まで乗るからまぁいいか」

なんて言っていた。

レヴォーグの前に乗っていたベンツのⅤは、大きいので奥さんが運転を嫌がった経緯もあり、去年レヴォーグを買い替えるとき、デリカは候補にもあがらなかったが、意外にもPHEVのアウトランダーは大人気で、半年待ちも当たり前らしい。

 

とはいえ買う気はまるで無いので、カタログをもらって、ちょこっと運転席に座らせてもらえればいいかな。

なんて思っていたけど、平日で空いていたので、試乗もさせてもらった(^-^;

運転席に座った瞬間、ハンドル周りやガラス越しに見える風景が、

「あれ?この景色どこかで見たかも?」

なんて一瞬思ったが、それもそのはず、YouTubeで評論家やオーナーが、運転しているシーンを何度も見ていたから。

ボディサイズはエルグランドより小さくて、ノアやステップワゴンくらいの感じで、思ったより大きくない。

280と350を2台、トータル12年乗り継いだⅤよりも、ちょっと小さい感じ。

エルグランドやアルファードがどんどん大型化するなか、このサイズはちょうどいいかも。

30数年前、働いていた会社のスカイラインディーゼルで、ガラガラうるさかった。

一度ガス欠したときJAFのお世話になったが、

ディーゼルはガス欠になると燃料をエンジンに送れなくて、かからないことが多いけど、すぐかかってラッキーですよ」

とサービスの人に言われたのを、今も覚えている。

 

じつは初めて買ったクルマがパジェロだった。

23歳くらいで、不動産屋になって1年目だった。

この社長がちょっと変わった人で、

「営業車はセダンじゃつまらない」

って。

このころは毎晩パリダカをテレビで生中継していたらしいが、世の中はバブル全盛期。

毎晩、六本木やギンザ、赤坂の「東京砂漠」で、朝までスタックしていたので、私も社長もパリダカのパの字も知らなかった。

BMWに乗っていた社長だが、クラブの生ピアノで「ROUTE66」を歌うほど、アメリカ好き。

なのでジープのような四駆に乗りたいそうで、私に買えとおっしゃる。

社長が4×4マガジンを買ってきて、「売りたし買いたし」欄にラリー仕様のパジェロが売りに出ていた。

西麻布の会社からすぐ近くだったので、二人で見に行った。

その事務所の前に停まっているのは、遠目に見ても「タダモノじゃない」雰囲気のパジェロ

後部座席を撤去して大きな燃料タンクが鎮座して、完全な二人乗り仕様。

ロールバーとバケットシートで、「すぐラリーに出られる」とか。

街乗りできるか聞くとオーナーは驚いていたが、公道仕様にするだけでかなりの費用がかかるそう。

とてもじゃないがフツーに街乗りはできないのでお断りしたが、なんとなくパジェロが気になって、どこかのクルマ屋さんで中古の赤いパジェロを買った。

これはたぶんディズニーランドかな。

いろんなクルマに乗ってきたけど、今思えばポルシェと同じくらい面白かったかも。

うしろの重たいハードトップを外すと、タルガタイプのオープンになる。

ここに六本木のクラブのおねーちゃん8人乗せて、六本木から赤坂まで走ったけど、交番のおまわりさんに手を振る彼女たちを見て、おまわりさんも笑っていた、いい時代。

 

いまはお台場なんて呼ばれているけど、35年前は「13号埋め立て地」って海だった。

仕事が終わるとクルマにウィンドサーフィン積んで、ここで練習。

街灯も無く真っ暗で、来ているのは車のカップルと、暴走族くらい。

ヘッドライトを頼りに波乗りしていたが、ほんとうに水が汚い。

海に落ちると白いTシャツが茶色くなるので、落ちないように一生懸命やっていた。

 

冬に長野の実家に帰ったとき、当時はまだ群馬の藤岡までしか、関越は延びていなかった。

帰りは菅平を超えて帰京したが、山道の凍った下りでスリップして、橋の欄干に激突。

当時はブロックタイヤなら雪道も大丈夫、なんて思っていた。

なんとか走れたので、そのまま高速に乗って帰京。

そのころは西麻布の会社の近くに住んでいたので、渋谷で晩ご飯を食べて帰ろうと思い、スクランブル交差点の信号で止まったとたん、左フロントのサスがガクンと「抜け」た。

もし高速走行中になっていたら、たぶん死んでいただろう。

毎年ハロウィンでにぎわうスクランブル交差点をテレビで見るたび、あのときのことを思い出して、背中が寒くなる....。

 

そしてデリカ。

ディーゼルで「もっさい」イメージがあったが、アクセルをちょっと踏むだけで、グイーンと加速する。

ディーゼルのトルクがなせるワザだけど、レヴォーグ含め最近のクルマが、非力な小排気量をターボでごまかす、「みせかけの高出力」なのと大違い。

3.5LのⅤ以来、トルクの力強さをひさびさに体感した。

 

車内も見せてもらい、車中泊するときのシートのたたみ方をレクチャーしてもらう。

7人乗りと8人乗りがあるが、フラットシートにするには2列めが3人掛けの、8人乗りのほうがいいみたい(これも動画を見て知っていた)

5人以上乗る予定が無ければ、3列目シートを最初から取り外しておいて、2列目をたためばそこでも寝られる(これも動画で知っていた)

 

Ⅴに乗り続けた理由は、2列目、3列目シートが外せること。

ふだんはお客さんを乗せる「営業車」になり、週末はナンバーなしのオフ車を乗せて、コースに走りに行ける。

エルグランドのような国産ミニバンは、後ろに乗る家族がメインなのでシートは外せないが、Ⅴはもともと「ベンツマークの付いた、ただの商業バン」。

最初の280は後部席にエアコンが無く、真夏にお客さんを乗せたときあまりの暑さに、

「今日はもういいです」

と言われたほど。

ブラジルだったかポルトガル製の、フォルクスワーゲン製のエンジンは、とにかく「故障のデパート」。

世界的にメルセデスのなかで、230と280がクレームのトップ2だった(3位はGL350)

走っていて自動ドアの前を通ると、急にエンジンが吹け上がったり停まったり。

さっきのスクランブル交差点で突然エンジンストップ、

JAFに来てもらったら何ごともなかったように、エンジンがかかったり。

ディーラーでいくら直しても直らないが、3年保証の「メルセデスケア」に入っていたおかげで、修理代はタダ。

4年目以降もたしか20万くらい払うと、2年の追加保証になるので、迷わず加入。

5年で保証が切れるタイミングで、後期モデルの350に買い替えたが、ディーラーも早く買い替えてほしくて、かなりサービスしてくれた。

さすがにメルセデスも世界的なクレームに手を焼いたのか、エンジンは本国ドイツ生産で、6年間ほぼノントラブル。

子供が生まれオフロードはほぼ引退。

当時は奥さんも通勤用にクルマに乗っていたが、職場が変わり電車通勤に。

Ⅴは大きくて運転がイヤということで、ちょうど出たばかりのレヴォーグに買い替えたが、やっぱりあのトルクフルな走りは、レヴォーグには無い。

とはいえ日本では国産ミニバンの天下で、Ⅴは売れず。

今はディーゼルのⅤ220dしか販売しておらず、しかも350が500万台だったのに、220dは800万!

ナビや保険など付けたら1000万近くなってしまう。

これがフルタイム4駆ならまだいいが、「ただの商業バン」に800万出す勇気は無かった。

「ぜひ奥様にも一度、試乗をすすめてください」

と、カタログはもらったけど、

「まだ買い替えて1年半しか経っていないのに、なに考えてるの?」

と言われるのは自明の理。

アウトランダーはPHEVになったので、デリカもそろそろ?

なんてありそうだけど、ネットでもディーラーでも、フルモデルチェンジ情報は聞こえてこない。

「4駆でミニバン」は国産ではデリカ一択なので、フルモデルチェンジしなくてもいいんだろうな。

むかしなら悩むよりさっさと買い替えていただろうが、家族が「ココロのブレーキ」になっているような。

スキークラブの人たちにもいろいろ聞いて、今シーズンはレヴォーグでがんばってみようと思ってます。

 

スピーカー顛末

YL音響スピーカーの続き

ウラのパネルがオリジナルではないため、まさかのゼロ査定

ネットでYLのことを検索していたら、YLのことを熱く語る買い取り屋さんを発見。

「ひょっとしてここならば?」

と電話。

ウラのパネルがオリジナルでない旨を伝えたら、

「一度見せて下さい」

とのことで、来てもらった。

「すごいマグネット付けてますね」

何も言わなくてもプロはわかるらしい。

義父がYLのゴトウさんに改造してもらった話をすると、

「ゴトーユニットですね、なるほど」

って。

ゴトウさんがYLから独立して、「ゴトーユニット」という音響メーカーを立ち上げたのは、ネットで見て知っていたが、

「いまでも国内外に{ゴトーマニアがたくさんいて、人気があります」

とも。

そして出てきた査定額は「3万円」

やはりオリジナルでないことがマイナスらしいけど、ウラのパネルもボロボロなので仕方ない。

これを持ち帰ってきれいにレストアして、海外に輸出するそう。

意外にもいま一番オーディオが熱いのは「ベトナム」とか。

一部の富裕層が海外オーディオを、高値で買い漁っているらしい。

 

商談成立でそのまま引き揚げ

義父の兄もかなりのクラシック&オーディオマニアで、自宅の30畳ほどのオーディオルームには、JBLの名器と言われるパラゴンや、YL音響に特注で作らせた、高さ3mのスピーカーもある。

jbl43.com

オーディオマニアあるあるで、オーディオキチガイの父親が亡くなると、遺族は買い取り業者に二束三文で売ってしまう。

なので義父からも

「オレとアニキが死んだら、オーディオの処分はお前に任せる」

と依頼されている。

コンパクトなBOSEのスピーカーになって、スッキリ。

 

奥さんが大音量でベルディのレクイエム(彼女のマイフェイバリット)で聴いていたら、真空管アンプ真空管が「ピカッ」って光って、鳴らなくなった,,,,,,,,

スペアの無い大きいほうの真空管だけど、こんなのどこで買えばいいのか?

やっとスピーカーが片付いたのに、次はアンプも買い替えか??

 

そして土曜は売却を依頼されている横浜の野島へ

快晴で絶好のツーリン、

もとい仕事日和

保土谷PAで同じ年式(2022)のGSアドベが停まっていた。

オーナーがいたら話しを聞こうと思ったけど、BMWのジャンパー&スカーフを巻いた、「いかにも」なおじさんだったので、素通りした。

 

運河でカヌーを漕ぐ人。

やっぱり海の近くにも、一度は住んでみたいなぁ

YL音響とスペクトラル

11月8日は自宅屋上で皆既月食を鑑賞

わりと新しいはずのi phone13proだけど、スマホの使い方を未だによくわかって(分かろうとして)いないので、この程度しか写せず

娘は「特等席」でご鑑賞

先日片づけた蓼科の山荘から、BOSEのスピーカーと50インチのテレビをもらってきたので、大きすぎて場所を取っている「YL音響」のスピーカーを、処分することに。

YL音響なんてほとんどの人が知らないだろうけど、50年以上前、オペラキチガイの義父が

「クルマ買うか、スピーカー買うか」悩んでスピーカー買ったという、日本のオーディオの草分け的存在(らしい)

これが我が家に来た顛末は、以前書きました

sinano.hatenablog.com

自宅1階を事務所にしていたときは、毎日のように真空管アンプで聴いていたけど(「オーディオ、とくにスピーカーは「生き物」なので、毎日鳴らしましょう」と言われたので)、子供が大きくなって手狭になり、1階をリビングにリフォーム、

2階のキッチンを事務所にしたので、音楽はほとんど聴かず。

1階リビングにいるときはテレビがメインで、オーディオの出番はめっきり減っていました。

オーディオ買い取り業者さんに来てもらい、査定中

ウラのパネルがオリジナルでないので、査定ゼロらしい。

義父に電話で聞いたら、

「パワーをもっと上げたくて、YL音響のゴトウさんに頼んで、マグネットを強力なものに替えたとき、パネルも替えた」

そう。

とはいえやっぱりオリジナルでないものは、値段が付かないらしい。

 

秋葉原のお店で「オレがいつでも買ってやる」と言ってくれた老人は、数年前に亡くなっていた。

彼の自宅1階の「時価数億円」のオーディオたちは、興味の無い遺族から処分を頼まれて、文字通り「二束三文」で複数の業者が引き取ったそう.....。

 

どうせならこれも査定してもらおうと、以前、義父にもらったきり使っていない、「スペクトラル」のCDプレーヤーとアンプも、奥から出してみた。

YL以上にスペクトラルを知る人は少ないけど、これが我が家に来たときの顛末も、以前書きました。

sinano.hatenablog.com

ボタンを押してもCDが出てこなくなり、修理してもらったけど、しばらくしたらまた同じ症状になり、以来、出番が無いまま数年。

買い取り屋さんに聞いたら、CDの症状はどれも共通で、電圧が弱かったり経年劣化だったりで、ほかにも原因があるらしい。

なにより日本の代理店が無くなってしまったので、パーツが入手できないそう。

それでも海外では需要があるらしいので、3万円で引き取ってもらうことに。

 

最近は若い人がレコードプレーヤーで、レコードを聴くようになったので、レコードも寝上がっているかと思いきや、レコードは収納に困るし、プレーヤーのカーリッジは数万円と高いので、意外に需要は少ないとか。

レコードも稀少版は高額で売れていると聞いたけど、海外のほうが圧倒的に需要があるので、日本国内で生産されたレコードは、ほとんど値が付かないそう。

 

いま一番値上がりが期待できるのは、「日本製のギター」

過去にギブソンフェンダーから、技術者を招いて培った技術は、本場アメリカより高いそうで、アコースティックやエレキを問わず、古くて程度のいいギターは、海外で高値で取引されているとか。

この業者さんも買い取ったギターは売らずに、「値上がりするまで」倉庫で寝かしているみたい。

 

高校時代にバンド活動で使っていた、アリアプロⅡベースとジャグボックスのベースアンプも、

「今持っていれば高値で引き取りますよ」

って。

sinano.hatenablog.com

きっと岩手の高校生が使ってくれていると思うので、良しとしよう。

 

それにしてもオーディオ沼の深さを、今回は思い知った。

義父に言わせれば

「むかしは各メーカーが技術を競い合って、マニアがうなる製品がたくさんあったけど、いまは国内メーカーに欲しいものが無い」

くらい、衰退してしまったそう。

半導体もむかしは日本で作っていたのに、今は海外頼み。

クルマも家電もコロナで海外から半導体が入らず、メーカー各社が大変な苦労をしたので、円安の今、原点回帰で国内生産を復活すればいいと、切に願います。

 

山の片付け

コロナがこわくて家に閉じこもっていて、めっきり老け込んだ義父。

大好きだったクルマの運転ももうできないので、夏から売りに出していた蓼科の山荘が、やっと売れることに。

週末は高速が渋滞するので、水曜日に休みを取って、レンタカーのライトエースを借りて、行ってきた。

奥さんを乗せて五反田から首都高に乗ったのが8時半、

平日朝の通勤ラッシュ、というか下り線なので、これから郊外へ行く営業車やトラックのプチ渋滞が、八王子までダラダラ続く。

ライトエースはアクセル踏んでもなかなか進まない。

山荘の荷物は夏休みにほとんど運んだので、ライトエースでいいかと思ったけど、高速の登り坂を80km/hで走る我々を、余裕で追い抜くハイエースを横目に見ながら、やっぱりハイエースにすればよかったと、ちょっと後悔

 

朝10時の談合坂は平日なのに満員御礼状態。

紅葉見物のジジババがほとんど。

おそるべしサンデー毎日のシニア世代。

 

高速をひたすら登って諏訪南ICで降りて、蓼科まで山道をさらに登って、山荘に到着したのは12時。

同じ時間にクラウンで出発していた、義母と義姉は先に到着して片付け中。

義父は「連れて来ても役に立たない」ので、自宅で留守番とか(@_@)

スガワラ爺と同じ81歳。

こちらは

「いかに相続税を取られないように税金対策するか」

と、終活に忙しいが、じ~じは

「つぎの3月のラリーをジムニーで、いかに走り切るか」

に忙しい。

人間いくつになっても夢や目標が無いとダメなことを、二人を見て思う。

お昼は義姉が大好きな横川の釜めし。

諏訪ICを降りたところに「おぎのや」があって、いつもそこで買っている。

子供のころから食べているが、このSDG,Sの時代に、食べ終わった瀬戸物のうつわを、ただ捨てるのは本当にもったいない。

田舎ではここで盆栽を植えたりしていたが、東京では燃えないゴミにしかならない。

なんとか片付けを終えて、最後の記念撮影

東京生まれの義父は、田舎が欲しいと40年以上前、軽井沢や那須などの別荘地を探して回った。

当時でも軽井沢は高かったらしいが、蓼科でも高級別荘地の「三井の森」や、「東急ハーヴェスト」は高い。

そして買ったのがさらに標高の高いところにある、「蓼科ビレッジ」。

標高は1600mもあるので、夏は涼しいが冬は寒いし、雪が多くて行けないが、スキーなどスポーツは無縁の義父なので、11月から5月の連休までは行かなかった。

妻も姉も40年以上通ったので、本当は残しておきたかったが、ドラマのように「じいや」や「ばあや」が住み込みでいるか、毎週のように通える人でないと、別荘の維持はむずかしいもの。

軽井沢や熱海なら新幹線でも行けるが、蓼科は駅からも高速からも遠いので、クルマが一般的。

なので高齢で運転ができないと、手放さざるを得なくなる。

まわりも長年ほったらかしの山荘がいくつもあって、売り別荘も多い。

家を見に来る人はいたようだが、なかなか契約にはならなかった。

 

今シーズンから本格的にスキーを再開する予定なので、義父から「買わないか」と言われたとき、

「ここをベースキャンプにして、長野や新潟のスキー場に行こうか」

とも考えたけど、真冬にここに来るだけでも大変。

スキー場まで東京から高速で行ったほうがいいとの結論になった。

11月も後半になると雪が降るが、そうなるともう売れなくなるので、かなり値引きしたらしいが、なんとか売れてよかったと思う。

 

なんだかんだと片付けに時間がかかり、山荘を出たのが4時。

トンネルで事故渋滞にハマり、営業や現場から都内へ帰る渋滞にもハマる。

 

レンタカーを返す時間は8時までなので、間に合うか心配だったが、なんとか7時半に返却。

やっぱり蓼科は遠い。

山荘の買主は関西の70代の人らしく、これから暖炉か薪ストーブを新設するそう。

移住するのではないらしいが、義父は80歳で売却を決断したので、この人が通えるのもあと数年だろうが、そのあとは子供たちが使ってくれるのだろうか。

 

軽井沢は30年前のバブルを超えて、史上最高値らしい。

数年前、仕事つながりの北軽井沢の大地主の老人から、

「2000坪の土地を500万で買わないか」

と言われて見に行ったが、北軽井沢は高速のインターからも、軽井沢駅からも遠いので断った。

浅間山のふもとに広がる、先祖代々の土地を別荘地として切り売りして、生計を立てている老人いわく

「2000坪を3つに分けて、2人の買主に坪1万円で600坪ずつ売れば、800坪の土地に1200万円で家が建てられる」

と言われたが、あの土地は坪3万円で売れたとか(2000坪✖3万円=6000万円)

もう5,6年前のことだが、まさかこんなに高騰するとは思わなかった。

まぁ上がったものはいつか下がるもの、

下がったときにまだ元気があったら、軽井沢駅から近いところに、小さな山荘が欲しい。

いろいろな出会いの週末

先週はスキーとブーツのチューンナップをお願いしていた、墨田区のスキーショップ「オフィス・ゼロ」さんへ引き取りに。

オーナーは夏のあいだはニュージーランドに住んでいて、「一年中スキー三昧」といううらやましい御仁。

「バイクに積んで帰れるの?」

と驚かれたが、こんなの長野県人には当たり前(たぶん)

高校時代はバイクの荷台にスキーとブーツを縛り付けて、志賀高原へ春スキーに行っていた。

GSはパニアにスキーとブーツが入るのがいい。

来年はこれで春スキーに行ってみようかな。

 

せっかく墨田区まで行ったので、葛飾のマックスフリッツへ

 

ちょうど土曜店長の女性が、R80で帰るところ。

旧車に全身マックスフリッツ、女性が着るとカッコいい。

マックスフリッツは今夏、パーツメーカーのデイトナとのM&Aで傘下になった。

マックスの名前はそのまま、オーナーのサトウさんはデザイナーとして残るが、「タウンウェア」として立ち上げた別ブランドの「マクフリ」は、新会社では引き継がないそう。

なので在庫処分の50%オフに。

今日は買うつもりはなかったけど、おととし買ったこの色違いのダウンが、とにかく軽くて暖かい。

バイクに乗るたび着ていたら、かなりヤレていたのでつい衝動買い。

これで今シーズンも安心。

 

取引先の信用金庫の人が、コーヒーを飲みによく私の事務所に来ていた。

彼から

「わたしの60になる上司が、2年前からバイクにハマって、夏休みは東北ソロツーリングしてきました。

シナノさんの話しをしたらぜひ会いたいというので、今度お邪魔していいですか」

と言われ、先週、仕事帰りにふたりで来社、そのまま事務所で飲み会になった。

 

そのUさんは30年ほど前、営業で乗っていたカブがクルマにぶつけられ、1カ月入院したそう。

ちょうどお子さんが産まれたときで、奥さんはかなり大変だったとか。

それがあって数年前、Uさんがバイクに乗りたいと相談したが、奥さんは大反対。

我慢できずに「内緒で」教習所に通い、意を決して打ち明けて、やっとOKをもらえたとか。

Uさんの実家がアパートや貸家を持っていて、お父さんが管理や集金をやっていたが高齢になって、Uさんが引き継いだ。

点在する所有物件を廻るのに、時間がかかるクルマよりバイクがいいと説得したらしい。

さっそくスズキの250を買ったが、信金有志のツーリングクラブは、みんな400cc以上で、高速道路もついていくのがやっと。

やはり我慢できずバイク王で、「CB400SF(スーパーフォア)」を買ってしまったそう。

 

「オトナのヒミツ基地」のような私の事務所は、バイクやアウトドア関連のものだらけ。

なかでもUさんが反応したのが、エアバッグベストとマックスフリッツのウェアたち。

カブでケガをしたので、プロテクターの重要性は意識していたが、信金クラブの面々はワークマンやユニクロのジャンパーに、下はジーンズがほとんど。

だれもプロテクションの意識が無く、なんとなくそのままツーリングしていたそう。

 

さすがにアルパインスターズのエアバッグは高いので(円安でさらに値上がりしたそう)、廉価のヒットエアに興味津々だった。

 

自身もワークマンのジャンパーとジーンズで走っているそうで、

「寒いからみんな冬は走らない」

とか。

マックスの防寒ジャケットとあったかパンツで完全防備してからは、寒い冬にバイクに乗るのが楽しくて仕方ないと言ったら、

「今度連れて行ってください」って。

 

そんな話をサトウさんにしたら、

「じゃあこれあげてください」

と、いただいたのがバイク雑誌「GOGGLE」

もう何年もバイク雑誌なんて買ったことない

なんと「マックスフリッツ特集」

サトウさんとデイトナ社長との対談も。

数年前からマックスの譲渡先を探していたサトウさん。

私と同じ60歳になり、息子さんはあとを継がないので、ブランドを残すことを考えていた。

バイク用品やアウトドア用品、ファストファッションアパレルなど、いろんなメーカーが興味を示したけど、安く大量生産してデザインやポリシーを変えたくないサトウさんと、マックスファンのデイトナ社長との思惑が一致して、事業承継することになった。

バイク用品店に並ぶカーゴパンツや、インナーに断熱素材を仕込んだパンツは、マックスが元祖。

マウンテンパーカをバイク用にアレンジしたのも、ここが最初。

マックスのオンラインショップにパーカのメンズ S、M、L、レディスのS、M、L 合計6着を一人の男性から注文があった。

不思議に思い名前を検索したら、作業着メーカーから格安ファッションで話題の、某メーカーの社員だったとか。

彼らの目的はバラして型紙を取って、同じパーカを格安で作ること。

同じことはあったかパンツでもあったらしいが、

「大丈夫、オレが作ったあのパターンは簡単にまねできないから」

って。

マックスが依頼している縫製工場は、サトウさんが毎回むずかしい注文をして、ダメ出しもきびしいので、かなり大変らしい。

大手は面倒な個所ははぶいて作るが、そここそが履き心地だったり、防寒のキモだったりするので、彼らも製品をバラしてみて、パーツの多さと縫製の難しさに、あきれているはず。

 

照れ屋のサトウさんは、写真撮られるのが大キライなので、こっそりパシャリ

 

帰り道の信号で、ちょうどスカイツリーとスキーが重なったので、パチリ

 

そして夜は歩いて15分の、五反田のジンギスカン屋へ

珍しもの好きの奥さんが予約したけど、娘もヒツジをバクバク。

20年前のモンゴルラリーのあるキャンプ地で。

遊牧民が連れてきたヒツジをその場でさばいて、晩ごはんはジンギスカンだった。

さっきまでメーメー鳴いていた、ヒツジを食べている罪悪感と、ヒツジ独特の臭みで、以来ジンギスカンは食べられなかった。

なのでこの日もほとんどを娘に食べさせ、奥さんに気づかれないよう、私はもやしとキャベツばかり食べていたような。

長野県は昔からマトンを食べる習慣があり、信州新町ジンギスカンが名物。

タレに付け込んだマトンがパックで売っていて、子供のころはよく食べていたが、タレのせいで臭いが無かった。

 

長野の母の実家は志賀高原のふもとの山のなかにあった。

明治に建てられた実家はわらぶき屋根と囲炉裏があって、家の土間では牛とヤギが飼われていた。

子供のころ母と行くと、まず搾りたてのヤギと牛の乳を飲まされるが、これがどうしても苦手で、実家に行くのがイヤだった。

台所には冷蔵庫が2台と、業務用の冷凍庫があり、祖父や地元の猟師が撃ったシカやイノシシの肉が、大量に冷凍保存されていた。

3歳のときはじめて「ボタン鍋(イノシシ)」を食べて、鼻血を出したが、

「精がついてうまいぞ」

と毎回食べさせられたのがトラウマに。

バブルのむかし、都会の高級レストランでジビエ料理を出されたとき、このときのシカ肉の味を思い出して、思わず吐き出してしまった(やっぱり肉はブタとウシが一番うまい)。

 

そのUさんと土曜日、ヒットエアのエアバッグと、マックスのダウンを試着してもらい、マックスへプチツーリング。

第三京浜を60キロで走る、70歳のヒラノさんと違い、新橋や浅草などの一般道も、Uさんはちゃんと付いてくる。

今日の予定は

「マックスへ行くか」

「どこか景色のいいところでコーヒーを飲むか」のどちらかだったが、

どうせなら両方一度にやってしまおうと、マックスの店の前にある遊歩道で、コーヒータイム

ファミリーキャンプの経験はあるけど、コーヒーをドリップするのは初体験のUさん。

30歳になる息子さんは愛知の某自動車メーカーに勤めていて、Uさんが以前乗っていた250のバイクに乗っているそう。

マツダロードスターも持っていて、ワンメイクレースにも出ているとか。

なによりその彼女がバイク乗りで、GB350に乗っているらしい。

GB乗りならひょっとして、マックスフリッツを知っているのでは?

と、写メを送るUさん。

この日Uさんは「あったかパンツ」をお買い上げ。

次回はパーカも買いそうな勢いで、気に入ってもらってナニヨリ。

信金ツーリングクラブの面々も、オシャレバイカーに洗脳して下さい。

 

ほんとうは土日でキャンプツーリングの予定だったが、土曜夜に用事があって断念。

なので日曜朝5時に出発して、勝沼のシークレットキャンプ場を目指す。

エアバッグの充電もバッチリ

この日はマックス定番、フィルソン柄の「マッキーノジャケット」

maxfritz.jp

他のマックス製品はこちらを(私はなにももらってませんが(^-^;)

 

maxfritz.jp

日曜朝6時だけど、談合坂SAのバイク駐輪場は満車。

勝沼で降りて大菩薩峠へのワインディングをのぼって、7時に到着。

先月、長野の墓参りツーリングで使った、高速のバイク割「早旅」(37%オフ)を、また使おうと思ったら、自宅から勝沼まで100キロ無いので、使えなかった。

自宅から120キロ、本当に近い。

 

7時なのにみんな起きていた。

ツーリング組はもう出発した人もいるらしい。

昨日は「ドイツソーセージ手作り体験と飲んだくれキャンプ」だったので、そこら中に日本酒やワインの空きビンがゴロゴロ。

さっそくコーヒーを淹れて、みんなに振る舞う

「しなのさんのコーヒーが飲めないかと思ってたから、来てくれてうれしいよ」って。

今回の目的はキャンプ常連のシマダさんに、千葉の市原の古民家を紹介すること。

本業は会社員のシマダさんは、週末を利用して古民家再生のボランティアをしていて、自身も「終の棲家」を探していた。

 

このキャンプのいいところは、バイカーじゃない人に会えること。

この日も主催者のオガワさんの本業の、「四万十川カヌーツアー」に参加した人たちが、数名参加していた。

そのうちのひとり、Mさんが乗ってきたハーレーにまたがる、キャンプ常連で1200GS乗りのイワタさん。

1750ccのあまりの大きさと重さに、驚いていた。

Mさんは今年63歳。

ハーレーが似合うひげ面のチョイ悪オヤジだが、バイクに乗るのは数十年ぶりとか。

私と同じ1250GSも試乗したらしいが、奥さんとタンデムすることが多いので、足つきがいいハーレーに決めたそう。

でもクラッチが重いので、行楽渋滞のなか「ウデがつりそうになった」って。

大型ハーレーで走行距離の少ない、極上中古車がたくさん出回っているらしいが、憧れでハーレーを買ったおじさんたちが、「持ちあぐねて」手放す人が多いんだろう。

 

アウトドア好きが集まっているので、みんなフィルソンのマッキーノクルーザーもどきを着る私を見て、

「それで寒くないの?」

と聞いてくる。

ためしに着せてあげると、

「こりゃぁあったかいや」

って。

Mさんもマックスにお連れする約束をした。

 

ここはいまだにシークレットキャンプ場だが、いよいよ来年から一般公開するらしい。

でも「変なヤツに来てほしくない」ので、会員制にするとか。正解だろう。

女子用トイレは水洗の洋式になっていた。

キャンプビギナーの女性客が毎回来るが、今までは「工事現場の簡易トイレ」だったので、なかなか女性リピーターが根付かなかった。

オガワさんもトイレの重要性は認識していて、管理人のマッチさんに

「きれいなトイレにすれば女性客が増える」

と説得していたらしいが、今のところこれが限界らしい。

年会費1万円、使用料3000円くらいで100人も集まれば、すぐ立派な水洗やバイオトイレが出来そうだが(私はウォシュレットが欲しい)。

 

今シーズン初めて、マックスの冬用グローブを着用。

談合坂から先は気温が4度に下がったが、指先はヌクヌク。

でもこれ以上寒くなったら、次はグローブカバーの出番かな。

あたらしいGSにはシートヒーターもついているので、初めて使ってみた。

5段階調節できるが、「3」でも熱くてお尻がモジモジ。すぐオフにしてしまった。

おみやげにリンゴを買って帰ろうと思い、地元のスーパーへ向かう途中、朝市をやっていた。

ひと袋300円で柿をゲット。

柿が好きな義父にもおみやげで3袋買ったら、もうひと袋「おまけ」してもらった。

去年のこの時期にここでキャンプしたら、あまりの寒さに眠れなかったので、今回の冬キャン用に防寒グッズを準備していた。

人生初のコット

地面から離したほうが冷えないようなので、エクステンション用のアシも買い足し。

最近は1万円以下で買えるコットもたくさん出ているけど、どうせなら「元祖の」ヘリノックスがいい。

カーミットチェアもそうだが、国内外問わずいろんなメーカーが、「パクりモノ」を格安で売っている。

商品を開発するのに作り手がどれだけ苦労したか、

それを考えればオリジナルを買うのが当然だと、私は思っているし、すぐ壊れる消耗品なら廉価なパクりモノでもいいが、長年使える「愛用品」には、けっしてならないだろう。

 

一緒に冬用テントも

Amazonでよさそうなのがあったので、購入してみた。

Amazon | GEERTOP テント 4人用 キャンプテント 前室付き ツーリングテント 4シーズン 二重層構造 大型テント 軽量 コンパクト ファミリー 家族 旅行 バックパック キャンプ アウトドア 耐水圧5000MM | Geer Top | テント本体

 

ノースやMSRが10万するのに、1万円台でテントが買えるとは。

中華製おそるべし

4シーズンOKと書いてあったけど、上がメッシュだった(@_@)

4人用なので、コットを入れてもひろびろ。

私はテントを背負って登山もしないし、GSならこのくらいでも余裕で積める。

スカートが付いているので、冬でも大丈夫かと思ったが、かなりペラペラなので、真冬はきびしいかな(行かないけど)

これでダウンシュラフがあれば(たぶん)完璧のはず。

週末は娘と屋上で、「耐寒訓練」してみよう。

 

先日知りあったUさんも、キャンプツーリングに興味津々らしいので、「キャンプ沼」に誘ってあげたい。