R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

特等席

三度の飯より相撲好きの叔母のお供で、相撲観戦に通っていたのは二〇年以上前。
お供といっても叔母は午前中の若手の取り組みから観ているので、私が仕事を抜け出して合流できるのは午後三時ごろ。
一度だけ特等席の砂かぶりで観ていたら、翌日知人数人から、「昨日テレビに映ってた」と言われた。
以来、砂かぶりでは観戦しないようにしている。
 
なにより飲酒も食事もできないので、本当に相撲の好きな人しかあそこでは観ない。
私は相撲を観るよりお茶屋さんが運んでくる、焼き鳥や幕の内弁当&ビールが楽しみだったから。
 
といっても見るからに怪しい御仁は昔からいて、なんとも近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
 
相撲人気が下火の今でこそ、四人掛けの「ます席」が数万円で買える時代になったが、バブルのころはプラチナチケットで、10万円超が当たり前。
四人ではどう考えても狭い席なのに、周りも超満員で、窮屈な思いをして観ていた。
 
刑務所に収監された人が、「相撲中継は見られるので、テレビに映った親分や仲間の、元気な姿を公に見られる唯一の場だった」と話していたのを思い出す。
 
ます席でさえ10万円以上するのだから、特等席の砂かぶりは数十万の値がつくだろう。
(東京ドームのネット裏特別席と同じで、相応の寄付をした企業などの「特別席」なので、売りに出るのもおかしいが)
関係者ならいざ知らず、それだけの大金をはたいて相撲観戦できるカタギの衆は、少ないのではないだろうか。
 
F1関係の仕事をしている知人も、モナコ鈴鹿フェラーリのピットまで入れるパドックパスを、何百万払ってもいいから用意してほしいと、オファーがあるそうで、IT長者もいるが、どう見ても「あちら側」の人たちもいるらしい。
 
ボクシングもリングサイドには、胡散臭そうな人たちが大勢陣取っている。
関係者なのかあちら側の人なのか、あの世界は見分けがつかない.....(スカウトに来てるのかな)。
 
叔母が贔屓にしている力士の後援会の祝勝会に顔を出すと、そこにも近寄りがたい人たちが大勢いた。
 
最近のハンバーガーチェーンのCMで、歌舞伎役者らが羽織袴姿で店に入ってくるのを見て、どう見てもカタギには見えず、こんなの流していいのかと思った。
 
でも彼らの援助があるから興行が成り立つのであって、相撲を通じて親分さんらと親しくしていた叔母は、「必要悪なのよ」と笑っていた。
 
私も「何か困ったことがあったら相談においで」と何度か言われたが、「たぶん一生困りませんから結構です」と、丁重にご辞退申し上げた。
 
浅草の三社祭も今でこそ盛大だが、昔は資金不足で存続の危機があった。
地元の商店街や町会だけでは寄付が集まらず、さまざまな外部団体の寄付で開催することができた。
(祭りは金がかかるもの)
 
神輿の四本ある花棒のうち、右半分が町会、左半分が別の団体と持ち場が決まっていて、そこに別の団体が割り込んでくるのでいさかいが起きると、去年まで本社を毎年担がせてもらっていた、鳥越神社の世話役から伺った。
 
持ちつ持たれつの伝統は、江戸の昔からの決まりごとだったが、インターネットがこれだけ普及して、どこでだれが何をしているかがすぐ分かってしまい、こんな大事件になってしまう。
 
銀座や六本木の高級飲食店で、力士とコワモテの人たちが仲良く飲んでいるのを、よく見かけた。
あのころは写真週刊誌もなかったから、ごく一部の人しか知らないことだったが。
 
元大学相撲部OBは、関係者からチケット販売を割り当てられていて、東京場所があるたびに「買ってくれ」と頼まれた。
彼も現金で数十枚は買わされているはずで、前売りで十万円したチケットがさばけず、当日に「一万円でいいから買って」と言われ、よく観に行った(彼は大赤字だったはずだが)。
 
興行の世界では当たり前なことだが、さばかないと自分が損をするので、廻り回って「あちら側」の人たちの手に渡ってしまうのだろう。
 
泉下の叔母が聞いたら、「そんなこと言ったって、あの人たちの協力がないと成り立たないんだよ」と怒り出しそうだが、何をするにも肩身の狭い世の中になってしまっている。
 
でも東京場所の砂かぶりには、今でも叔母の相撲仲間の方たち(カタギの)が、向こう正面に座って背筋を伸ばして、しっかり相撲を見つめている。