R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

サンクト

ファラオラリーも4日目が無事終わった模様。

普段は1分おきのスタートが今日は一斉スタート。
砂漠の周回コースを2周して本コースに出て行く。
you-tubeを見ればトップがどれだけ速いかがわかるかも。

北海道のトラ、村田さんも昨日砂丘で飛んで、腰を痛めて順位を落としたようだけど、
今日は巻き返した模様。

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2004年がファラオ初参加の年だった。

3日目、先を走っていたバイクを追い抜いた直後に、石で吹っ飛び転倒
(バイクの後ろに見える石でここまで飛んだ)。

前走車の土ぼこりで前が見えず、石が見えたときは「ジャックナイフ」状態...
体操の「側転」のように不自然な格好で転がっていく自分の横を、
バイクが縦回転して追い抜いて行くのが、スローモーションのように見えた。

数十メートル転がって起き上がると脇腹に激痛が・・。
アバラにヒビが入ったらしい。

バイクを起こすのも痛くてひと苦労。
なんとか気合いで起こすとマップホルダーが変形して、GPSも動かない。

ちょうど後ろからK合さんが来たので、事情を話して後ろをついて行ったけど、
ゴールまでの100キロあまり、振動のたび痛みで意識はもうろうとしていた。

なんとかキャンプに着いて湿布をもらい、バイクを修理。

翌日は持っていたサラシでお腹をぐるぐる巻きに固定して、スタートした。


この日は砂丘が多く、深い砂にハンドルを取られると、痛みでこらえきれずすぐ転んだり、
また砂に埋まるの繰り返し。

暑いなかこんなこと何十回もやっていると、もうバイクを起こす力も砂を掘る力も限界...。

無い知恵を絞ってちょっと持ち上げたところに、ヘルメットを突っ込んでナナメの体勢でひと休み。

また気合いを入れて今度は後ろ向きで背中からバイクを引き起こすも、
休み休みやるので1回で10分くらいかかってしまう。

しまいには水も少なくなって、背中の2Lのキャメルバックもほとんどカラ。
あの飲み切ってしまったときの「ズズッ」って音は、モンゴル以来かなり恐怖でトラウマになる....。

砂丘の下りでまた転倒し意識がもうろうとしていると、目の前にまっ白い足が駆け寄ってきた。

「???」
と思う間もなく
「大丈夫?」と女性の英語の声が。

見るとホットパンツに金髪のきれいなおねえさんが、私を心配そうに覗き込んでいた。

一緒にいた男性が私とバイクを起こしてくれて、止めてあるクルマのかげで休ませてくれた。

聞くとイタリア人のレイドクラスの人たちで、クルマが砂丘をダイブしてフロント周りが壊れてしまい、救援を待っているとのこと。

「何か飲むか?」と聞かれ「サンキュー...」というと、
キンキンに「凍った」ゲータレードが出てきた。

水のない猛暑の砂漠でこの命の水は、本当に「地獄に仏」。
彼らが天使に見えた。

水を分けてもらいお礼を言ってまた走り始めると、遠くにヘリがとまっているのが見えた。

手前には見覚えのあるゴロワースカラーのマシンが倒れていて、
ヘリのまわりでドクターたちが慌ただしく動いている。

スローダウンするとオフィシャルに早く行けと促され、その場を立ち去ったが、
それから何十回も転倒を繰り返し、4輪やトラックにも抜かれ精も根も尽き果てて、
なんとかキャンプに辿り着いたときは、夜の9時を回っていた。

菅原爺をはじめみんなが私を出迎えてくれたけど、その日だけで3人亡くなったとの不確定情報で、
一人だけ身元が分からず、てっきり私かと心配していたとか....。
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脱水症状で顔がむくんでパンパン
ファラオは距離が短くナイトランはないと聞いていたので、マップホルダーに照明をつけていなかった。

なので非常用のサイリウム(照明灯)を折って、マップホルダーに入れて照明代わりにしていた。

ノーマルのライトは「ちょうちん」並みに暗いので、ペツルのランプを頭に付けて照らしながら走ったが、単なる気休め程度の明るさしかない。

真っ暗な闇のなかを走っていると、突然目の前に「砂のカベ=砂丘」が現れて、本当に驚く。

真っ暗でどのくらいの高さか分からないな砂丘を、
ジェットコースターのように上り下りしながら走る恐怖は、
思わず声が出るほどでオシッコもかなりチビった。

私のマシンは度重なる転倒でラジエータの水がなくなり、残り少ない飲み水を足しながら走ったけど、
オーバーヒートしたエンジンはガラガラと音がしていて、メカの岩崎モーター岩崎君の懸命の修理にもかかわらず、ふたたび息を吹き返すことはなかった...。

あとで私が見たゴロワースのマシンは、KTMワークスの「リシャール・サンクト」だった。
2003年のパリダカで優勝した彼は180km/hでクラッシュし、首の骨を折って即死したそうだ。

トップライダーなのにとてもシャイで、この日の朝食のとき
「がんばって」と言ったら
「ありがとう...」って答えていたのに....。

KTMワークスは即日レース撤退を表明し、
翌朝のスタート前にKTMワークスライダー全員による、サンクトへの「追悼ラン」が。
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砂丘にこだまするエクゾーストノートは、およそ10分ほど続き、
ライダーたちはみな思い思いに走り回り、サンクトに別れを告げていたが、
朝日を浴びて砂漠を走るライダーたちが、なにか「荘厳」に見え、思わず合掌したのを
今でもはっきり覚えている。

「死」と言う言葉がこれほど現実味を帯びたことは今までの人生でなかったので、
なおさらそう感じたのかもしれない。

撤退するKTMワークス
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この翌年のパリダカで、このとき追悼ランをしたメオーニが帰らぬ人になるなんて、
だれが予想できただろう。
奇しくも彼はこのパリダカを最後に、引退を表明していた。

ヘリで運ばれてきたサンクトのマシン
車と衝突したわけではないのに、単独事故でこれだけ壊れるとは....。グシャグシャ。

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頑丈な「MD」のマップホルダーもこのとおり
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マシンの後ろ半分が引きちぎれている。どんな転び方をすればこうなるのか....。
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彼らのワークスマシンは、私たちアマチュアライダーの市販車と全然違う。

マシントラブルで出遅れたワークスライダーに、50キロ続くガレ場で抜かれたとき、
こっちが悪路にハンドルを取られて悪戦苦闘している横を、何事も無かったように
「スーッと」抜かれた。

前後のサスが「シュコシュコと」、ネコ足のようにしなやかに動いているのが、
遠目にもわかったが、そんな高性能マシンでもこのありさまで、言葉も出ない...。

レースが終わってカイロに着いたとき、ホテルでサンクトの奥さんと小さい子供が
迎えに来ていたのを見たときは、こちらもつらい気持ちでいっぱいになった。

普段「死」とは無縁の世界で生きている自分が、ひょっとしたら明日、砂漠で死ぬかもしれない.....。

ラリー経験者なら誰でも体験することかもしれないけれど、
「砂漠で死ねたら本望」なんて、こりゃ口が裂けても言えないなと思った、
マイファーストファラオだった。