真夜中のヴェルサイユ宮殿はお祭り騒ぎ。
ポディウムの上の各選手を紹介するアナウンスが流れ、数万人の観客の拍手と喝さいを浴びながらスタートしていく。
日本だと「ゆく年くる年」を見ている時間か。
取材のプレス車両は最後尾からスタートするが、一応ゼッケンを付けているので、選手と同じように歓声で見送られ、なんだか恥ずかしい。
エッフェル塔の前の広場で記念撮影。
真ん中がシューセイさん、右は友人のM君。
ホントに松葉つえでパリダカに来てる、バカですね~
まだみんな元気そう。
これからとんでもない運命が待ち受けていようとは、我々の誰も知る由もなかった。
このクルマ、日本ではニッサンサファリ。
シューセイさんがフランス日産の準ワークス、「ドスード」からレンタルしたもので、競技車両としてパリダカに何度も出場しているらしい。
この前年は風魔の風間さんと報知新聞の中島さんらが、このクルマに乗って、プレスで取材したそうだ。
沿道にも大勢の人が詰めかけて、声援を送っている。
パリを抜け最初のSSが行われる「ブドウ畑」に向かう。
シューセイさんはパリに1年ぐらい住んでいたそうだが、本当に道をよく知っている。
と思ったら、実はGPSと地図と「動物的カン」を頼りに走っているらしい。
どんな裏道でも地元のタクシーのように、ガンガン入っていくし、ガードレールのない狭い山道も、
「谷側のタイヤが脱輪するのでは?」
とハラハラするほど、ラインギリギリに猛スピードで下りていく。
雨が降ってきて膝までドロドロの畑のSSは、松葉づえでは入って行けない。
遠巻きに見ていると、スイングアームまで泥に埋まったバイクや、フェンダーまで泥をかぶった4輪が、ものすごい勢いで走っていく。
川渡りが一番圧巻で、遅いバイクをトップグループの4輪やカミオンが、狭い川幅のなかクラクションを鳴らしながら、猛然と追い抜いていく。
逃げ場をなくした2輪は、跳ね飛ばされないように横に逃げ、そのはずみで転倒、骨折してリタイアする選手もいた。
ここから次のSSがあるスペインのグラナダまで、約1000キロを一気に下る。
陶器で有名なリモージュの、のどかな田園地帯を抜け、高速道路「太陽道路」に乗ると、クルマの様子がおかしい。
アクセルを踏み込んでも70km/hしか出ない......。
ちょっとした上りでは50キロに。
ターボが壊れているみたいだ。
プレスカーとはいえゼッケンを貼った派手なクルマなので、高速を走っている一般のクルマは遠慮して追い抜かず、振り返ると渋滞になっている.....。
窓から手を出して「先に行け」と合図したら、ようやく抜いていったが、みんな窓から身を乗り出したり手を振って、
「ガンバレ~」
みたいなことを言ってくれる。
さっきの畑のSSでクラッシュして、フロントガラスを失った「アメリカの英雄」ロビー・ゴードンのトラックが、猛然と追い突いてきた。
1月のミゾレまじりのものすごく寒いなか、フロントガラスのないコクピットから、我々を励ますように親指を立て、大きな声で歌いながら走って行った光景が、今も目に焼き付いている。(やっぱりアメリカンはクレイジーだナ.......)
バハ1000に代表されるように、アメリカ人は「ヨーイドン!」で、誰が一番速いか決めるスプリントレースが好き。
ゴードンはこのときはリタイアしてしまったので、もう来ないかと思ったが、その後もチャレンジを続け今年はハマーで完走、
こちらもがんばって走っているのだが(といっても運転しているのはほとんどシューセイさんで、私はナビ役)、一向に進まない。
バルセロナから昔行ったアンダルシアにも行ってみたかったが、今はそんな余裕はない。
地図を見てマドリードのほうが距離が短そうなので、山側のルートを選ぶ。
このときすでにあたりは真っ暗。
高速も無料なぶん、いきなり一般道になったり、また高速道路になったりと忙しく、サービスエリアもないので休憩もできない。
やっとマドリッドに着いたのは夜中の2時ごろ。
休憩もなくわずか10分で市内を駆け抜けた。
ここでもパリダカは有名らしく、夜中にも関わらずそこらじゅうで歓声や手を振って、「プレスカー」を応援してくれていた。
グラナダまであと数百キロ。
街灯もなく真っ暗な山道は、本当にこの道でいいのか不安になり、何度も地図を見直す。
おまけに霧も出てきて、すれ違うクルマも皆無。
ひょっとして魔女かドラキュラに騙されていて、この濃霧のなか突然、目の前に彼らの屋敷が現れたらどうしよう.......。
なんてマジにビビるほど、ぴったりのシチュエーション。
何を話したか思い出せないが、私にできることは運転するシューセイさんを、励ますことだけ。
なので二人で眠くならないよう、必死でしゃべり続けた。
なんとかグラナダに着いたのは朝の5時(パリを出発して15時間以上が経っていた)。
ホテルでシャワーを浴びてほんの一瞬仮眠。
7時にはホテルを出て朝のSS会場に向かう。
スペイン陸軍の敷地なのか、広大なフィールドにコースが作られていて、ぺテランセルやKTM軍団、ミツビシや他のワークスが、ドリフトしながら目の前を駆け抜けていった。
SSが終わってアフリカに渡るフェリーの出発時間まで、グラナダの港町をブラブラする。
私は主催者のオリオールらスタッフと飛行機で先回りするらしく、地中海を渡るフェリーには載せてもらえなかった。
海からアフリカ大陸を見たかったのだが.....。
シューセイさんらを見送ったあと、スタッフはバスで港からホテルに戻るという。
バス乗り場で待っていると、東京中日スポーツのTさんが来て、
「なんかさっきバスが行っちゃったみたいだけど......」
と言われた。
われわれが待っていたのは違うバス停だったらしい。
もうバスもタクシーもなく、あたりは真っ黒な人ばかりで言葉も通じない。
こんな地の果てに取り残されてしまった........。
なんとかしなければと二人考えていると、オフィシャルのフランス人女性がクルマで探しに来てくれた。
「さっきアナウンスしたのになんでバスに乗らなかった!?」
と、ものすごい剣幕で怒られる。
「ジュネセパフランセ」
(フランス語、分からないんですけど.........)。
日本に帰ったら絶対フランス語、勉強してやると心に誓った。
また長くなってしまった。
まだアフリカにも渡ってないのに......。
もう10年以上も前のことなのに、あらゆることが走馬灯のように思い出される。
このアフリカ行は本当に、衝撃的な出来事ばかりだった。