R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

eau de vie

気がつけば「ラリーレイドモンゴル」も終わっていた(今は「ラリーモンゴリア」っていうのかな)。
モンゴル人以外の外国勢も多数参加しているようで、少しづつインターナショナルラリーになっている。
 
それでも日本では、バイクに興味のない友人知人に聞いても、このレースのことを誰も知らないほど知名度は低く、バイクやクルマの世界最大の生産国のくせに、自国で乗る人が減り続けている不思議な国では、過去の大会のように若者がこぞって参加することは、もう無いのかもしれない
(そのうち日本人以外の参加者が、上回る日も近いだろう)。
 
主催者のHPを見ても、相変わらずツィッターとかでつぶやくだけで、毎日の出来事が分からない。
なので元 報知新聞記者の「パリダカ御意見番」、中島翁の「じじばばねっと」のほうが、よっぽど詳細に取材されていて、分かりやすい。
 
 いろいろな国を取材されてきた中島翁だからこそ、ラリーの順位がどーのこーのだけでない、その国のレース以外の出来事にも目を向けている。
 
昔からラリールートには「ハラホリン」という町があり、ここはあの朝青龍の生まれ故郷らしい。
なのでキャンプにも突然、元朝青龍が遊びに来て、チームスガワラの日野レンジャーにも試乗、御満悦だった様子が書かれている。
 
この雄大な国でおおらかに育った若者にとって、「相撲」という江戸時代から続く「しきたり」だらけの世界と、なんでも過保護で軟弱すぎる日本は、競争相手もなくあっというまにトップになれたぶん、活躍するフィールドが狭すぎたのかもしれない。
 
ウランバートルも昔に比べて、治安が悪くなる一方のようだ。
ただそれは、われわれ平和ボケした日本人の目からのことで、現地の人にすればアフリカや他の途上国と同じく、急速に近代化していくなかでの「ごく当然の流れ」なのだろう。
 
 
中国が日本の水資源を狙っていると、一部メディアで報道されても、蛇口をひねればどこでも水が飲め、水に困ったことのない日本人には、イマイチ、ピンとこない。
 
田舎での子供時代、学校の水道の蛇口から飲む水が、地下水ということもあり、一番おいしかった。
 
初めてファラオラリーに行ったとき、あまりの暑さにキャンプで日本人選手たちが、配給されたペットボトルの水を何本もかぶって「水浴び」していたら、主催者から「日本人は水を無駄に使うのでもうあげない」と言われてしまった。
 
たしかに水のない国で行われるラリーでは、水の確保が最重要課題であり、ビールより水のほうが高い場合も少なくない。
主催者に謝罪して水はもらえるようになったが、生まれたときから水を買う生活が当り前のヨーロッパ人にしてみれば、飲み水を「捨てている」としか思えない、われわれの行為が信じられなかったのだろう。
 
2度目のファラオのとき、朝、背中のキャメルバッグに冷えたミネラルウォーターを入れても、スタートして30分でお湯になった1回目に懲りて、手でパチンとたたくと冷たくなるアイスパックを、キャメルバッグに仕込んだことがある。
 
「これで暑いなかでも冷たい水が飲めるぜ~♪」とほくそ笑んだが、やはり一瞬でお湯になった.....。
 
砂漠のなかで度重なるスタックにより、キャメルバッグの水を飲み切ってしまうときの、「ズズ.....」というあの音だけは、2度と聞きたくないほど強烈なトラウマになっていて、本当に絶望的な気持ちになる。
なので自転車で走るときも、常にボトルの水を切らさないようにしているくらいだ。
 
この暑さはもはや異常を通り越して、これが「正常な夏」になるんだろう。
GS乗りの親方さんの地元、館林のことを、「日本のサハラ」なんて揶揄していたが、先日は東京の練馬でも最高気温を記録したとか。
 
土や緑がある館林より、アスファルトとビルで熱の逃げ道のない都会のほうが、体感温度は高いように思う(あっ、トタン屋根の上で仕事してる人は別ですよん)。
 
熱中症対策にこまめに水分補給を、と呼びかけられても、簡単に飲み水が手に入らない途上国では、それも無理というもの。
去年にも増して今年は、世界中で暑さのため亡くなる人が増えることだろう。
 
砂漠にいればぬるい水でもビールでも御馳走だが、日本ではコンビニに行けばあらゆる種類の飲み物が買えて、家に帰れば冷えたビールが待っている。
 
たまにはエアコン、冷蔵庫、照明などの電気を止めて、「モノのありがたさ」に感謝する日を作ろう、なんて思うのだが、たぶん妻は娘を連れて出て行ったきり、二度と戻ってこないだろう。
 
娘をベビーバスに入れたあとの「残り湯」で体を洗うとか、洗い物をするとき水は出しっぱなしにしないとか、ほんのささやかなことの実践で、「やったつもり」になっている。
 
「eau de vie」
パリダカ取材のとき、中島翁に連れて行ってもらった、マリかモーリタニアのどこかの村で、ミネラルウォーターを買った際、現地人のおばあさんに言われた言葉(そんな名前のクラブもあったなぁ....)
 
あたまに水を入れた甕(かめ)を載せて、子供のころから何キロも運ばなければならない生活の彼らにすれば、まさに「命の水」。
彼女はミネラルウォーターの水は高くて買えないので、自分で売っていても一度も飲んだことはないと言っていた。
 
彼女がもし日本に来て、蛇口をひねるだけで際限なく、冷たくて「透明な」水が出てきたら、腰を抜かして驚くだろう。
 
景気が悪いとか迷走する政治に腹をたてる前に、いつでも水が飲める国に生まれたことに感謝したい。