R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

FUN RIDE(続き)

道の駅で休憩後、しばらくのどかな農道を走る。
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交通量の多い国道を走るのと違い、牧場の牛を眺めながらのんびり走るのも気持ちいい。
 
このイベントの第1回のスタート地、「日本盲導犬総合センター・ハーネス」でまた休憩
ハーネスのホームページ http://www.fuji-harness.net/index.php
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時間があれば引退した盲導犬とも遊べるらしい。
ここでもバナナは終わっていた。
先行していたYさんと合流。
先ほどの農道で彼の前を走っていた人が突然転倒。一時は意識不明だったらしい。
ベテランのライダーたちが手際よく応急処置をして、介護カーで運ばれたとか。
Yさんも去年のこの大会で、ゴールまであと1キロのところで転倒し、鎖骨骨折を経験したので、他人ごとでは無かったそうだ。
なにもない直線道路で急にフラッとして転倒したらしいから、その前の上りで疲れたのか、空腹によるハンガーノック熱中症かは分からないが、同じ環境で走っている以上、次は自分かもわからない。注意しなければ。
 
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先頭を走るN師匠。
後ろのS女史が登り坂でペダルを漕ごうとすると、「出来るだけ軽いギアで回す!」とか、「ペダル踏むなよー!」と、常に注意してくれる。
「どーせ最後の峠で登れない人が大勢いますから、あわてなくても大丈夫ですよ」に、どんなに勇気づけられたか。
 
いつも一人で走っている私は、速い人がいれば無理して付いて行って自滅したり、暑いなか休憩せず走っては、軽い熱中症になっていた。
 
なのでN師匠の「上りでペダルを踏まない」アドバイスや、マイペースを守るというのが、後半に向け体力を温存する意味で、とてもありがたかった。
 
なにより一人で走るより大勢のほうがとにかく楽しい。
励ましあったり、冗談を言い合ったり、つらいときほどヘラヘラ笑いながら走っていた。
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後半の「こどもの国」休憩所
ここまでずっと登りで、かなりの人が自転車を降りて休憩したり、押して歩いていた。
 
暑くなってきて水の供給が間に合わず、水を待つ長蛇の列が出来ていた。
 
近い将来、こんな暑いなかでやるスポーツは、きっと無くなってしまうだろうなと、ふと思った。
 
ここでやっとバナナを食べた(もっと早く食べたかった)。
 
 
終盤の篭坂峠で500人抜きをすると勝手に決めて、上りでもなるべく体力を温存したつもりだが、自転車に乗って1カ月のにわかサイクリストは、気がつかないところで少しづつ体力を消耗していた。
 
水をもらい出発。ここからしばらく下りが続き、汗をかいたカラダが冷えて寒い。
 
下ったぶんだけまた登らなければならない。
バイクでよく走りに来た「忠ちゃん牧場」の横を下り、須走口から山中湖まで十数キロの最後の上りが始まる。
 
行楽地から帰るクルマの渋滞の脇を登る。
N師匠が「最後だからそろそろ漕いでみますか」と走り出すと、疲れてゆっくり登っている集団をヒラヒラかわしながら、かなりのペースで走って行く。
遅れてならじとこちらもペダルを踏んで、かなりの人数をパスするも、だんだんN師匠から離されていく。
ダンシング(立ちこぎ)もせずひたすらシッティング、なのに平地と変わらぬスピードで、スルスルと登って行くN師匠を見ながら、100m離されたところで心が折れた......。
 
漕ぐときまだ「引き足」が使えないので、N師匠を真似していろいろ漕ぐうちに、両方のふくらはぎが痛くなってきた。
これはふくらはぎの筋肉を使っている証拠だと勝手に解釈して、さらにペースを上げて漕いでいると、今度はふくらはぎが「けいれん」し始めて、ものすごく痛くなってきた。
ここで止まるともう走る気力が萎えるので、 後ろからいいペースで走る人が来たのを幸い、すかさず後についていく。
 
目線を遠くに向けて漕ぐのが基本らしいが、前を見るといつまでも近づかない景色が見えるだけなので、ひたすら先行する人の後輪だけを見ながら、ゼーゼー言ってついていくのが精いっぱい.........。
 
何百人もの人たちが自転車を押して歩いたり、天を見上げて止まっているのを見ると、つい1カ月前のヤビツでの自分とダブってしまうが、今日はまだ余力があった。
(後半はもう写真を撮っている余裕がなかった.........)
 
ここで先行していたはずのYさんを発見。
かなり疲労こんぱいのようで、歩くのと同じくらいの速さで必死に登っている。
声をかけながら追い抜き、ついでに数十人の集団を追いぬいたところで、今までと違うひどい痛みをふくらはぎに感じ、思わず止まりそうになった。
ツールド・ジャパンで新城幸也がけいれんしたふくらはぎを、安全ピンで刺しながら走ったと、雑誌で読んだのを思い出したが、残念ながら安全ピンは持っていない。
 
ここで止まったらもう乗れないかもしれないなぁ.......。
仕方なくふくらはぎを拳で力いっぱい叩きながらカーブを曲がると、もうすこしで頂上だと待っていたスタッフが教えてくれた。
 
峠の頂上では、大勢の大会スタッフたちが、声をからして応援してくれていた。
 
彼らはパンクしている人がいるとすぐ修理してくれたり、登りで苦しんでいる人には並走して、乗り方のレクチャーもやっていた。
こんなホスピタリティがあるからこそ、1500人が参加するイベントにもかかわらず、大きな事故もなく運営できるのだろう。
 
峠を登りきったらあとは下るだけ。
転倒に気をつけてもやっぱり下りは楽しくて、ついペダルを漕いでしまう。
 
ゴールでは大勢の人が迎えてくれた。
こりゃ、病みつきになるわ.......
 
トップ集団は6時のスタートで10時にはゴールしていたらしい。
登りも含めて平均時速30km/hは、私にとって異次元の数字。
上を見たらキリがないが、自転車始めて1カ月足らずの「にわかサイクリスト」では、まだまだ力不足を痛感。
 
N師匠のようにクロモリの重いフレームに小柄な体でも、グングン登れる脚力とコツを早く会得せねばと、心に誓った。
 
帰りは東名も中央も大渋滞だろうと、N師匠らにくっついて道志を行くことに。
S女史がドライブし、ワインディングをかっとぶ後ろを必死に追いかけて、大きな渋滞もなくすんなり帰れた。
 
自宅から道志経由で山中湖まで約100キロ弱、
いつかは自走で日帰りしたいな~。
 
帰宅すると娘が熱を出していた。
今朝、保育園に連れていくと、その場で熱を計られて38度!
そのまま連れて帰宅することに。
午前中の来客にもずっと抱っこしたまま応対。
でも安心して腕のなかで眠っている娘の寝顔を見ていると、昔、「愛と誠」のなかで岩清水が言った、「君のためなら死ねる」を思い出した。
 
整骨院のパパイヤ先生が言っていた、「自分の奥さんが川でおぼれていたら、とりあえず胸に水をつけてから助けに行くけど、娘なら躊躇せず飛び込みます」に納得。
 
なにはともあれ初めての自転車イベント、無事に帰宅で来てよかった。
 
 
それにしても自転車とマラソンの人気はすごい。
以前は毎年出ていた横浜市民マラソンに、Yさんから誘われて久しぶりに走ろうと思ったが、9月1日朝10時からのネット受付は、開始から2~3時間で定員に達したらしく(3000人)、夕方申し込もうとパソコンを開いたらすでに締め切られていた。
関東近県の自転車レースも、年内開催はすでに締め切り済みが多い。
オフロードバイクのレースやラリーの申し込みは、期間が1カ月あってもなかなか定員に達することがないのに.....。
 
そのぶん急激なランナーやサイクリストの増加に行政が追い付かず、河川敷のサイクリングロードはランナーや歩行者、サイクリストとのトラブルが絶えず、一般道でも自転車とクルマの事故があとを絶たない。
 
以前テレビで見たおとなり韓国の自転車事情は、政府が後押ししてソウル近郊にたくさんのサイクリングロードを作り、レンタル自転車も多数設置して、自動車通勤を自転車通勤に変えようとしている。
自転車に乗る人が増えれば、メタボが解消されたり病気なる人が減り、クルマの排気ガスも減って、結果的に国が豊かになる発想らしい。

政治家も不毛な権力争いに明け暮れるヒマがあったら、一般道に自転車専用レーンを作ったり、公園や河川敷にも歩行者と自転車を分ける道を作ってもいいと思うが.....。
 
都心のオートバイ駐輪場も、今の数十倍設置しないと、すぐ駐車禁止キップを切られてしまうのでは、乗る気にならない。
このままでは世界一のバイク生産国なのに、国内はますますバイクに乗る人が減る、おかしな現象が続くだろう。
 
高原はすっかり秋の気配。
こんな歌を口ずさみながら、登りのペダルを漕いでいた。