R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

バイラーさん

事務所にテルちゃんが来た。
もう一人入ってきたのは、モンゴル人のバイラーさん。
モンゴルラリーに出た人なら、なにかしらお世話になっているはずだ。
 
イメージ 1
(注 朝青龍ではない。モンゴル人は厳しい大自然で育ったせいか、みんな同じような顔をしている)
 
先月終わったモンゴルラリーに出たテルちゃんの日野レンジャーを、ウランバートルからウラジオストック経由で、日本に運んできたらしい。
モンゴルラリーの模様は、元新聞記者でパリダカご意見番、中島爺のブログが分かりやすい↑
 
ウランバートルから5000キロを4日間、たった一人で走る。
数年前までは車体まで泥に埋まるほどひどい悪路で、1週間以上かかることもザラだったが、今は舗装化が進んだうえに、足周りのいいレンジャーは快適だったようだ。
 
モンゴルラリーは、最終日ウランバートル市内を白バイの先導で凱旋パレードするくらいだから、さぞ人気のレースかと思ったが、バイラーさんが地方の警察の検問に停められたとき、警察官はラリーのことを知らなかったそうだ。
モンゴルで開催された自転車(MTB)のレースは、テレビ中継されたそうだが、話題の少ないモンゴルでも、ラリーの知名度はまだ低いらしい。
 
アフリカでダカールラリーがあったころは、バイラーさんがダカールからJRMのガレージがあるフランスまで、1万キロを一人で陸送。
なので彼にとって5000キロくらいは、鼻歌まじりの距離みたい....。
 
とはいっても数年前まではロシアの山側には「山賊」やマフィアがいて、それを切り抜けられるのは、さすが「超人バイラー」。
 
日本の新聞が読めるほど日本語が堪能で、2002年のラリーレイドモンゴルでは本当にいろいろ助けてもらった「命の恩人」。
 
以前書いたモンゴルラリーのブログ
 
絶対に入ってはいけないと言われた、ゴビの大砂丘群に迷い込んだ私は、水もなく死にそうになったところを、バイラーさんに助けられた(なので事務所に飾ってあるゴビの写真の前で、記念撮影)
 
グローブみたいな大きな手でどんな重いものでも動かし、なんでも直してしまう(ホテイ様みたいな「万年臨月」のお腹はご愛きょう)。
 
30年前、日本の相撲界に彼がいたら、朝青龍以上の大横綱になれたんじゃないかと思うほど、怪力の持ち主。
 
実はウチの父親に体型も雰囲気もそっくりなのだが、今年12月で50歳。って私と2歳しか変わらない.........。
 
あさってまで菅原爺の家に居候して、自転車で恵比寿のJRMに通っているそうだが、先日の日曜日、通り道の目黒駅で炎天下のなか、何千人も人が並んでいるのを見てビックリしたらしい。
「目黒さんま祭り」で無料のサンマをもらうための行列だったらしいが、「モンゴルでは絶対並ばない」そうで、「たった1匹のサンマのために何時間も並ぶなんて、日本人はそんなに貧乏なのか?」って.........。
 
「日本人は並ぶのが好きなんだよ」って説明しても、理解できないみたい。
 
昔は視力が5.0以上あったバイラーさん、渋谷や繁華街に行くとネオンや照明が強烈過ぎて、目が痛くなるそうだ。
見渡す限り何もないモンゴルの大平原や、ゴビ砂漠の風景を思い出して、なぜか懐かしい気持ちでいっぱいになった。
 
また一人、日本人のGPライダーが亡くなった。
享年19歳、海外に参戦してこれからだったのに。
彼が前回のレースで優勝したことは、新聞の片隅にも載らなかったのに、死亡記事だけは大々的に報道し、「レース=危険」とあおる、日本のメディアの姿勢に不信感を抱く。
 
昔、某2輪&4輪メーカーで働いていたとき、社員がバイクレースをやらないよう、上司から「真剣に」説得された。
万が一メーカーの人間がケガしたり死んだら世間体が悪いからだが、世界一クルマやバイクを作っている国なのに、輸出にばかり精出して自国のバイク乗りがどんどんいなくなる、「不思議な国ニッポン」。
 
海外で活躍する2輪ライダーがインタビューで、「ヨーロッパだと有名すぎて街も歩けないけど、日本は誰も僕のことを知らないからどこでも行ける」と言っていたのに、違和感を覚えた。
 
菅原爺も「日本でオレのこと誰も知らなくたっていいよ、だってオレ、フランスのルマンでは名誉市民だし」って。
 
世界に誇れる人が大勢いるのに、スポーツと言えばプロ野球ばかりのこの国。
バイクレースを離れても、行く末が不安になる。