13年前にやめたゴルフだが、クラブはまだ持っていた。
キャンプやMTBのグッズは増える一方で、家の中に置き場がなくなってきたので、断捨離することに。
仕事柄、ゴルフは付き合い程度にはやっていたが、こちらのほうがドライバーは飛ぶのに、パターやアプローチなど「小技」がうまいジジイに負けるのが納得できず、
「こんなのスポーツじゃない」
と思っていた。
友人のTさんもそのひとり。
友達やお客さんからどんなに誘われても、
「あんなの年寄りがやるスポーツ」
と毛嫌いして絶対やらなかった。
あるときTさんの金持ちの友達が、彼の誕生日祝いにゴルフクラブをプレゼントした。
しかたないので一度だけ付き合ったが、一度もクラブを握ったことがないので「180」という屈辱的なスコアになった。
これが負けず嫌いのTさんに火をつけた。
毎晩仕事が終わったら近所の練習場へ直行。
毎日500球打つことを自分に課し、毎回個人レッスンも受け続けた。
「レッスンプロが(私と同じ)長野出身で、おもしろいやつだからおいでよ」
と誘われて、なんとなく行ってみた。
これがほんとうに若いけどおもしろい人で、ハマりやすい私も週7回、個人レッスンを受けるようになった。
今までの自己流スイングを直すところから始まり、新しいスイングを作るところまで、1年。
やっとコースに出る許可をもらい、それからはTさんや仲間と週2回ラウンド、
誘われたら仕事があっても絶対断らず、多いときは週4回、年100ラウンドくらいプレイした。
週末はKTMでコースへ走りに行くが、夜は必ず個人レッスンを受けたので、ほんとうに休むヒマがなかった。
あるとき自宅の1階を賃貸で募集したら、
「アルゼンチンタンゴ教室をやりたい」
という、アルゼンチン人男性がやってきた。
「タンゴって{オーレ!}って、手をたたくやつ?」
と聞くと
「それはフラメンコだ」
って。
「教室で講師をやっているので、見に来てほしい」
と言われ、古い雑居ビルの教室を見に行った。
開いているドア越しに覗くと、彼ときれいな女性が優雅に踊っているのが見え、
「これだ!」とひらめいた。
毎年通ったエジプトのファラオラリー。
すべてのレースが終わるとホテルで表彰式があり、そのあとダンスパーティーになる。
踊れない日本人チームは、金髪美女と踊るイタリア人やフランス人たちを、うらやましそうに指をくわえて眺めていた。
「タンゴを覚えたら来年、オレもあの美女たちと踊れるかも?!」
こんな「よこしまな」理由から、タンゴを始めることになった。
と、いざやってみると自分が全然踊れないことに気づいた。
バブル全盛期の30年前。
六本木のディスコや芝浦にあったジュリアナ東京など、経営者が知り合いだったので、顔パスで入れた。
といっても目的はVIPルームで食事することなので、ほんとうに踊らなかった。
(このブログに登場する「いまの私」と違い、当時の私はカネゴンのような、本当にイヤなヤツだった)
街角で音楽が流れると、自然に体が動き出す人がいるが、およそリズム感というものがない私は、ぜったいに体が動き出さない。
ほんとうに映画「shall we dance?」の、冒頭の役所広司と同じくらい踊れない私だったが、タンゴの先生はきびしくて、最初の3か月は
「どうやってやめようか?」
と、そればかり考えていた。
1階が教室、2階が私の住居なので、レッスンに来ないと先生が呼びに来る。
タンゴに限らず社交ダンスなどのペアダンスは、とにかく男性がいない。
女性10に対し男性は一人いればいいほう。
それも「shall we dance?」に出てくる、竹中直人のようなキモいおやじか、
ここ以外で女性と手をつなぐ機会もないであろう、「電車男」みたいな若者ばかり。
なので私も
「とにかく立ってるだけでいいから」
と言われ、夕方6時のグループレッスンから、夜9時の上級クラスまで、踊れないのに毎晩付き合わされたが、先生が本当にいいやつなので、「こんな私でも役に立つなら」と、こちらも必死になってレッスンを受けた。
そうなるとゴルフの練習に行く時間がない。
バイクとゴルフ、タンゴのどれをやめるか真剣に悩んで、一番才能のないゴルフをやめることにした(バイクはやめられない)。
今まで付き合いゴルフしかやらなかった私が、365日毎日ゴルフをやって、レッスンプロや彼の仲間で、トーナメントの予選も通らないプロたちとラウンドしてみて、彼らのゴルフに対する真摯な姿勢を見るうちに
「ゴルフはぜったいスポーツだ!」
と実感することができた。
真剣にゴルフを始めるにあたり、Tさんに勧められたのがタイトリストの695マッスルバック
「ブレード(刃)」と呼ぶにふさわしい、シャープさが好き
シャフトはツルーテンパー ダイナミックゴールドのS
ボテッとしたタラコユーティリティクラブに比べ、カミソリのように薄いブレードは、ソールした時しびれるほどかっこいい。
とはいえタマをとらえやすいユーティリティと違い、私のようなシロートは「芯」を食わないと思い通りに飛んでくれないので、一打一打がほんとうに真剣勝負。
ドライバーもタイトリスト
Tさん曰く
「ゴルフクラブだけを作っているスポーツメーカーは、タイトリストだけ」
たしかにナイキもミズノも総合スポーツメーカー。
ピンもあるがボテッとしたフェイスが気に入らない。
シャフトは当時ほとんど出回っていなかった、カーボンの「diamana(ディアマナ)」
すべて新しもの好きのTさんのおすすめ(というか勝手に注文されて強制的に買わされたが)。
ウェッジはボーケイ
この顔も大好き
10本くらいあるパターのなかでも、このスコッティキャメロンが一番のお気に入り。
ゴルフはやめてしまったが、「風の大地」はずっと買い続けている。
いつのまにかもう75巻。
いいかげん終わらないかなぁ
何度目かの全英オープン中。
連載中の週刊誌は全然読まないので、今はどこまで進んでいるのかわからないが、単行本は出るたびつい買ってしまう。
そろそろ棚がいっぱいになってきた。
シングルになったらやめようと思ったゴルフだが、こちらも才能がなかったのか、途中であきらめたのは残念。
10年ぶりにクラブを出して、1本1本磨いているうちに、愛着がわいてきて止まらない。
ちょっとしたミスであらぬ方向へ飛んでいき、パープレイを逃したことも一度や二度ではない。
いうことを聞いてくれないマッスルバックに腹を立て、
「ユーティリティに替えればすぐシングルになれるのに」
と言ったら
「そこまでしてスコアメイクしたいのか!」
と、Tさんに怒られた。
以来
「漢はマッスルバック!」
と信じて打っていたが、そのTさんも今は打ちやすいユーティリティを使っているとか。
中古クラブ屋に持って行ってもタダで引き取られて、店頭で「1本100円」でたたき売られるのは、ほんとうに忍びない。
あれからタンゴもバイクもやめて、今はMTBと子育てが生活の中心だが、いつか子離れしなければならない日が必ず来る。
「そのとき」のために物置をもっと片づけて、クラブは取っておこう。
Sシャフトが振れるだけの体力も作っておかないとならないので、MTBでさらなる研鑽を積んでおきたい。
よこしまな理由で始めたタンゴだが、2年間365日、ほぼ毎日続けたおかげで、ちょっとは踊れるようになった。
ちょうどパリダカが南米に移転し、スタートはタンゴの本場、アルゼンチンのブエノスアイレス。
スガワラ爺からも
「おまえさんみたいなダンスしている人が、街中にたくさんいたよ」
と言われていた。
ブエノスアイレス出身の先生からも
「ブエノスアイレスで踊ってもおまえなら大丈夫」
とお墨付きをもらったが、けっきょく行く機会はなかった。
なにより肝心のファラオでのダンスパーティーだが、表彰式が終わってみんなが踊っていたのは、ダンスではなくただの「ゴーゴー」だった(チャンチャン)