菅原じ~じから手紙が
スポンサーさんへ10月16日スタートの、「アフリカエコレース」に参戦する報告だった。
そもそもエコレースは今のダカールラリーに不満を持っていた、ベテランのパリダカ経験者たちが、「パリダカの原点に戻ろう」という趣旨で始まった。
ダカールラリーと同じく1月にスタート、
パリダカはフランスがスタートだったが、エコレースは主宰者シュレッサーがモナコ在住なので、モナコをスタートする。
モロッコからセネガルのダカールまで、サハラ砂漠を含むアフリカ西海岸側を、2週間かけて走る。
初期のオーガナイザーはオリオール、BMWとパジェロで2輪4輪クラス優勝者、
私が98年のパリダカ20回大会に、カメラマンのシューセイさんとプレスカーで参加したとき、足の骨折を理由に参加不可になるところを、当時オーガナイザーだったオリオールが助けてくれた↓
テロの脅威でダカールラリーはアフリカを去ったが、南アフリカ出身で「ラリーの英雄」オリオールが、アフリカ諸国や部族と話をつけ、エコレース開催にこぎつけた。
エコレースの初期の参加車両は、「バイクはヤマハのXT500(第1回優勝マシン)か、BMWのGSのみ」と、かなり限定的だった。
バイク数台にクルマが1台のチームが、参加条件だったような。
ダカールラリーのようにワークスがしのぎを削り、1分1秒を争うようなスプリントレースでなく、ティエリーサビーヌが言った「冒険の扉を開けるのは君だ」の精神に基づく、アマチュアが主役のラリーだった。
ダカールラリーと同じ1月スタートでは、両方出たい人は出られないし、ダカールラリーの収支にも支障がある。
当時はアフリカエコレースをバカにしていたダカールラリー側も、年を追うごとに参加者が増えるのを見て訴訟を起こし、ダカールは1月、エコレースは3月開催で落ち着いた。
それがコロナになり2年続けて延期に。
今年も開催は決まったが3月が10月になった。
10月のレースが終わったと思ったら、5か月後の3月にはもう、「次の」エコレースが待っている。
10月のレースが終わってから、帰国して準備しても間に合わない。
じ~じから電話があったので、聴くと
「もう3月出場するジムニーを、フランスに送ったよ」
って。
毎度のことながらその準備周到さに舌を巻く。
「ジムニーはラリー人生最後のクルマ」と言っていたが、果たしてこれで引退するのかは、神のみぞ知る。
17,18,19日の三連休はあいにくの雨、
GSのナラシとエアバッグ「テックエア」のテストを兼ねて、長野へ墓参りのロングツーリングに行きたかったが、断念。
21日(水)は朝から秋晴れで、ちょっと寒いくらい。
ならばとテックエアを着込んで
胸のアルパインスターズのフラップをオンにすると、グリーンのランプが点灯する
上にジャンパーを着ても、かさばらず。
背中のエアバッグのふくらみも、ほとんど目立たない。
自宅から第三京浜→横横道路を乗り継いで、向かった先は横浜市金沢区にある「野島」
「野島にある実家を売却したい」と相談があり、現地を見に行った(「仕事」です)
ここには「野島公園」という、海に面した大きな公園があり、30年くらい前、友人らとバーベキューをやった。
運河の右側が日産自動車の追浜工場と研究所、
野島の売主を紹介してくれたのが、古くからの友人のコミヤさん。
私よりひと回り上の72歳、
30年前のバブル全盛期は「地上げ屋」として、六本木やギンザで文字通り、ブイブイ言わしていた。
バブル崩壊後は地元の横須賀に戻り、米軍基地で働くフィリピン人の奥さんの実家で、エビの養殖事業をやったり、「あやしい」天然水や「墓石」を売ったりしていたが、今はJR杉田駅近くで同級生がママをやっているスナックの、「軒先」を借りて夏は焼きトウモロコシ、これからは「焼いも」を売るらしい。
トウモロコシは北海道の「舎弟」から仕入れ、サツマイモは九州の「舎弟」から仕入れるらしいが、意外に地元に評判とか。
ちょうど小学校の通学路なので、この日も下校途中の子供たちが
「おじさんこんにちは!」
と元気に声をかけていた。
私から見たら「リアル寅さん」
もともとかなり不良だったそうで、日本中に友達や舎弟がいるが、本人は「反社」ではない(と言っている)
カネが無くなるとまわりが何とかしてくれるし、カネが入れば「パーッと」使ってしまうし、しょっちゅう旅に出て「行方不明」に。
今回も半年ぶりに電話がかかってきた。
「今は千葉の外房で、クルマエビの養殖場をやる準備中」らしいが、屋台のおやじが一番似合っているような。
最初は重いと思ったテックエアだけど、馴れてしまえば気にならない(この上にSCHOTTなどのフルレザージャケットだと、ちょっと重いかもしれないが)
なによりワイヤーが無いので、乗り降りの際、足でひっかけたり、立ちゴケした際に引っ張られて、エアバッグが開く心配が無い。
ヒットエアを着ていたころは、
「なんでみんなエアバッグを着ないんだ」
と思っていたが、じつは「インナー」にダイネーゼやアルパインスターを着ていた人も、「それなりに」いたことを、ネットやライコランドのスタッフさんから聞いて知った。
実際にこれのおかげで、事故で命拾いした経験はないが、「転ばぬ先の杖」
ヘルメットと同じく、「バイク乗りの必需品」になる日が来ればいい。