R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

じ~じに再会

12月になると世の中みんな忙しくなるので、不動産屋はヒマになる(弊社の場合、いつもヒマだけど、とくに輪をかけてヒマ(@_@))

なので月曜午前中は歯医者さんへ。

と娘の中学から

「体育の授業で足を痛めたので、お迎えに来てください」

と電話が。

急に迎えに来いといわれても、忙しい年末にすぐ行ける親は少ないだろう。

でも午後の予定は、5月の事故で折れた鎖骨の3カ月ぶりの定期健診だけ(ホントに大丈夫か(^-^;)。

なので病院に電話して来週に変更してもらい、歯医者さんから直行。

歩けないかもと校内に特別に入れてもらい、玄関前に横づけ。

 

じん帯でも痛めたか?

骨折でもしたか?

と心配したけど、ビッコひきながら(今は差別用語なのね)、自分で歩いてきた。

2時間目の体育から3時間経っているけど、腫れていないので折れてはいないかな。

そして家の近所の整形外科へ

足首を「グキっと」ひねったらしいが、じん帯も骨折もしておらず、捻挫とのことで、湿布を貼ってもらいおしまい。

たまたま保育園から同級生だった、みうちゃん母子に待合室で再会。

みうちゃんは地元の中学に進んで、チアリーディングをやっているらしいが、腰を痛めて通院していた。

中学受験なんてせず、歩いて通える地元の中学に行けばいいのに

なんて思っていたが、中1のみうちゃんはもう「高校受験」に向けて、塾に通っているので、中高一貫で受験せず高校にあがれる(たぶん)娘を、うらやましがっていた。

毎日のように学校で小テストがあって大変な娘だけど、もう塾には行きたくないので、よかったのかも。

 

そしてヒマな私と違って忙しい建築業界のなか、3階事務所のリフォームもしてもらった工務店さんが、やっと洗面所のリフォームに来てくれた。

カベを奥さんの希望で漆喰で塗ったけど、洗面台の「水はね」による汚れが、ずっと気になっていた。

カベに掃除しやすいパネルを貼ってもらうついでに、水あかが気になっていた蛇口と洗面ボウルを磨く。

海外のホテルやリゾートに行くと、シャワーや蛇口がドイツの「グローエ」。

なので自宅もそれにしたが、専用工具が無いと外せなかった。

たしかにデザインはカッコいいし、取り付けた18年前は、国産にいいものが無かったけど、いまは国内メーカーも安くていいものがたくさん出ているし、「整備性」も海外製よりはるかにいい。

とりあえずピカピカに磨いて、しばらくは使えそう。

 

お風呂の水栓とシャワーもグローエだけど、ポタポタ水漏れが止まらない。

パッキン交換で直るかと思ったけど、こちらは中のパーツがダメらしく、本体交換に。

 

次は国産の「混合水栓」にしてもらう予定。

大工さんはそろそろ仕事が無い人もいるらしいが、水道屋さんや電気工事屋さん、ワダケンのような塗装屋さんは、年末まで大忙し。

なまじ中途半端な大学出てサラリーマンやるよりも、専門職で手に職つけたほうが、これからの時代生き残れると、彼らを見て思う。

これで英語や外国語も話せれば、海外の職人は不器用な人が多いなか、日本人は器用なので、いま流行りの海外出稼ぎで、たくさん稼げるだろう。

私も息子がいたら中卒で、彼らに弟子入りさせたかった。

 

そしてワールドカップは盛り上がっているらしい。

大会スポンサーがほとんど中国メーカーなことに、脅威を感じるのは私だけ。

実況のアナウンサーが大声でうるさいし、海外で活躍したことも無い「往年のJリーガーたち」が、えらそうにテレビで解説しているのがイヤなので、ほとんど観ていない。

戦っている若い選手たちも

「勝てなかったお前らが、エラそうなこと言うなよ」

と思っているはず。

 

鎖骨の検査のとき、一緒に診てもらう予定だった「ばね指」

前回、注射を打ってもらって直ったと思ったが、しばらく前からまた痛み出して、親指がまっすぐ伸びない。

バイクは左側にウィンカーがあるので、左親指を一番使うが、厚手な冬用グローブはさらに苦痛。

明日、また病院で注射を打ってもらう予定だけど、注射は何度も打てないらしく、治らなければ次は「腱(けん)」の通り道を広げる手術かも。

 

おとといバイクで立ちゴケしそうになって、必死にこらえたら腰を痛めた。

冬のスキーに備えて日頃から筋トレしているけど、ベンチプレスでもやって鍛えないと、300キロ近い巨体を押さえるのは無理がある。

と、衰える体力を痛感する今日この頃。

 

と思っていたら、スガワラじ~じから電話が。

「アフリカのおみやげあるよ」

というので自宅にお邪魔した。

私のほうがちょっと早く着いたら、じ~じも帰ってきた。

「スガワラさんはふだんもランクルとか、デカいクルマに乗っているんですか?」

と聞かれるけど、「ふだんのアシは軽自動車」というとみんな驚く。

アフリカに行く前に会って以来なので、2ヵ月ぶりかな。

元気そうでよかった。

御年81歳。

エレベータはあるけど自宅マンションの4階まで、自分のアシでしっかり歩いて登る。

リビングにはミシュランのアフリカの地図と、今回使ったルートブックが

 

ミシュランの地図はラリー中、常時携帯の必携品

ラリーする人間にとってミシュランは、タイヤか地図のことで、食い物屋を勝手に格付けするものではない。

ロードブックを確認しながら、今回走ったルートでとくに難しかったところを、「おさらい中」

来年3月のアフリカエコレースを「人生最後のラリー」として、ジムニーで参戦予定だけど、今回前半のモロッコのサハラ越えは、バギーでもきつかったそう。

エコレースが始まった15年前はかなりゆるいラリーで、参加車両はXT500か空冷GS限定だった。

サポートカーも当時のパジェロレンジローバーで、食事もみんなで作るような、初期のパリダカそのまま。

イベントの巨大化とともに高速レースになって、アマチュアが完走もできないダカールラリーとは、一線を画すラリーだったが、数か国を走り抜けるクロスカントリーラリーとは名ばかりで、近年は「一国開催」のダカールラリーに、嫌気をさした強豪チームが多数参戦することで、ラリーのレベルが一気に引き上げられた結果、4輪クラスはレーシングバギーやワークスレーサーばかりになり、今年はもうパジェロでさえ走っていないとか。

たった660ccのノーマルエンジンに、ガソリンを200Lも積んで、ロールバーと足回りを改造しただけのジムニーでは、砂丘も登れないし完走もできないと、さすがのパリダカの鉄人も悟ったらしい。

(モンゴルラリーは砂丘地帯を走らないので、非力なジムニーでも走れる)

それでもあきらめないのがこの人。

砂丘が登れないなら「登らずに済む」ルートや、数十キロ延々と続く「ガレ場」も、距離は長くなるけど大きく迂回できるルートを、地図とロードブックを見ながら、記憶を頼りに予習、

来年3月のラリーは「レイドクラス」という、毎日ラリーと同じルートを走りながら、ラリーを体験できる「ツアー」にジムニーで参加してみて、ジムニーのパフォーマンスを確認。

「再来年2024年大会」にジムニーで出るか、バギーででるか考えるそう。

2024年、じ~じは83歳。

最近テレビで女性のボディビル(フィットネス?)コンテストが放送されていて、安井さんという女性が世界大会で2年連続2位になり、「優勝するまでもう1年がんばります」と言っていたが、生活のすべてを優勝のために費やした1年を、もう1年続けるのは半端な覚悟ではないだろう。

たぶんじ~じも同じ心境では。

初めて会ったのが2000年ごろのTBIで、じ~じは今の私と同じ60歳。

元気はつらつだったけどあれから20年が経ち、ふだんの歩きも高齢者特有の、ひざを上げない「すり足」になっている。

気力体力が衰えていることは、本人が一番自覚しているはず(ぜったい言わないけど)。

とはいえそれで本当に引退するか聞くと、

「えへへ」

って。

「永遠の少年の冒険」に終わりはないんだろうナ

 

帰り際の玄関で、一枚の写真に目が留まった

俳優の夏木陽介さん。

中学のころ「Gメン75」の小田切警視役で観たくらいで、個人的には藤田三保子の響刑事が好きだった。

Gメン'75 - 剣GOライダー

 

じ~じと夏木さんはレース仲間で、じ~じが夏木さんをパリダカに誘い、当時、夏木さんが三菱自動車のCMに出ていたので、三菱に声をかけパジェロで出ることに。

三菱から「社員からもラリードライバーを育てたい」との要望で、シノヅカ選手が大抜擢、

ここからパジェロブームやパリダカブームが起きたことを、知る人は少ないはず。

(私なんてパリダカ自体まるで知らなかったし(@_@))

この絵は夏木さんが描いたもの。絵も「玄人はだし」だったそう。

この絵はいつも玄関に飾ってあったので、なんとなく見ていたが、まさか夏木さんが描いたものとは知らなかった。

よく見ると日本レーシングのステッカーや、「チーム子連れ狼」のシンボルの、鯉のぼりがあったり、フェンダーにSUGAWARAとNATSUKIのネームがあったり。

夏木さんは2018年にがんで亡くなってしまったが、今もこうして故人をしのんでいるのが、じ~じらしい。

 

そしてアフリカのおみやげ

サハラ砂漠の砂」

さわると水で溶けるくらい細かくて、まるで「龍角散

海岸の砂浜の何十倍も細かい。

これを数百本、びんに詰め、報告書と一緒にスポンサーさんに配って回るのが、毎年恒例の行事。

何十年も続けてきたことが、ラリーを続けてこられた理由のひとつ。

モナコの車検場にて

こんなレーシングバギーでさえ難儀するコースを、市販車のジムニーが完走するのは、まさに至難のワザ。

ゴールのダカールのラックロゼにて。

主宰者でじ~じの盟友、ジャンルイシュレッサーと。

いただいたおみやげは事務所トイレの棚へ

右はエジプトのサハラ砂漠の砂。

ロッコの砂と(たぶん)同じだと思うけど、いちおう分けて展示

じつは今日12月4日で61歳。

じ~じとちょうど20歳差、

私も20年後、こんなアグレッシブなジジイになれるよう、仕事に遊びにがんばろうっと。