娘の冬休みもあとわずか。
英語のテキストを買いに、近所の本屋さんへ。
学校の英語の授業は、NHKのラジオ英会話をタブレットで観ながら、勉強するらしい。
内容もかなり今風になっているけど、英語が嫌いな娘はそれほどやる気がない。
私は中学1年の最初の英語の授業のとき、後ろの席のだれかが騒いでいたのを、英語の伊藤先生が私のせいにして怒られて以来、中高6年間、英語が大きらいになった。
長野の実家のとなりには、アメリカ人の老夫婦が住んでいて、私はとても可愛がられたらしいが、たぶん日本語で話していたんだろう。
ハーシーズのチョコやキャンベルのスープは覚えているけど、英語で話した記憶がまるで無い。
就職した会社でなぜか「海外生産部」に配属されたけど、やっぱり英語はマジで話せず。
アメリカに工場を作ることになり、研修で来日したアメリカ人の面倒を任されたけど、日本語が話せない彼と、英語が話せない私は、毎日お互いに「辞書」を見せあいながら「会話」
周りからは「漫才のよう」と笑われていた。
それでも独身寮の同じ部屋で3カ月、寝食を共にするうち、私は英語を、彼は日本語を「それなりに」しゃべれるように。
毎晩呑みに行った地元のスナックでは、うた本を見なくても「ソラで」ママさんと、「銀座の恋の物語」や「三年目の浮気」をデュエットできるまでに、彼の日本語も上達していた。
私はその後、不動産屋に転職したけど、港区という場所柄か英語がかなり役に立った。
外国語なんて必要に迫られれば話せることを体験したので、娘もそんな感じでいいのでは?と思ったけど、やっぱり基本は覚えたほうがいいし、成績にも影響する。
スウェーデンのオレさんやミッケが来日してくれれば、娘にアテンドをさせようと思っていたけど、コロナで3年間、来日はかなわず。
でも都内はどこにでもガイジンがいるし、その気になればいくらでも「ナマの英語」が体験できるけど、娘は「ぜったいイヤ」らしい。
バスが満員とのことでクルマで行くつもりだったけど、コロナ陽性の人が出て急きょバスで参加できることに。
夜9時に大井町を出発し、夜中2時ごろ前回と同じ、ビワ池ホテルに到着。
仮眠して9時からスキースクールの開校式。
小さい子供がたくさんいて、クラブ員のコーチたちがマンツーマンで教えてくれる。
みなさんから
「娘さんも連れてくればよかったのに」
と言われたけど、週明けから3学期なのに宿題が終わっていないのでは、仕方ない。
土曜は快晴で暑いくらい。
北信五岳もくっきり見えた。
新潟や群馬の水上あたりは大雪なのに、長野県側は雪不足で、ゲレンデのあちこちで「土」が見えていた。
子供たちのスクールにコーチが総動員されたので、オトナのスクールは先生が足りず。
なので今回は無理やり「上級クラス」に入れられてしまった(まだカービングターンできないのに(@_@))。
コーチによって教え方は全然違う。
前回のコーチは
「カービングターンはスキーをずらさないように」
と言われて、長い板のテールを振り回して滑る、「昭和の滑り」は全否定された。
「板を踏んでエッジを立てれば、勝手に曲がる」と言われても、アタマもカラダも理解できず。
両足を揃えてキュンキュン滑る、「ウェーデルン」がカッコよかったのは30年以上前のハナシ。
今はウェーデルンなんて死語で、ショートターンと言われている。
12月の初滑りでもなかなか理解できず、ヒマなときはYouTubeを見まくって、カービングターンを理解したつもりだったけど、今回のコーチは
「ターンのきっかけでテールを滑らせてもいい」
という教え方。
「両足をそろえて滑るのがカッコいい」
「ターンは谷足のスキー1本で外足荷重」
「ブーツのベロに脛(すね)を押し当てて荷重する」
なんてのがカラダに染みついているけど、カービングスキーは山側の内足にも荷重しないと、きれいにターンできない。
肩幅くらい両足を開いて、内足3:外足7くらいの荷重がベターらしいけど、しっかり谷足の板に乗って雪面を噛まないと、板が暴れたり開いてしまう。
ターンの導入部でテールを滑らせてもいいので、ターンが始まったらしっかり股関節を曲げて、谷側の板にしっかり乗ると、「ギュイ~ン」とターンすることが体感できた。
オートバイに乗るコーチからは、
「バイク乗りならリーンアウトっていえば、感覚がわかるのでは?」
とも。
たしかにリーンアウトのポジションをとると、外足に体重が乗るので、エッジングがかけやすい。
とはいえちょっと荒れた雪面だと、荷重が足らずに板が暴れてしまい、また悩む。
「一歩すすんで2歩さがる~♪」
あたまのなかで水前寺清子の「365歩のマーチ」が、響き渡っている。
朝9時過ぎからリフトが止まる4時半まで、試行錯誤を繰り返しながら、ガッツリ滑る。
そして心配していた腰痛にもならず、二日目の日曜日
品川区主催の競技会に上級クラス全員が、強制参加。
ポールなんてたぶん小学生以来かも。
午前中はレッスンを受けて、ランチは昨日混んでいて食べ損ねた、「レストラン・グリーン」のカニクリームカレー
そして午後イチからレース
霧も出てきてコースが見えなかったり
全員が1本滑って、上位5人が決勝へ。
優勝者は菅平で開催される、東京都大会に出場できる。
私とトップ選手はほぼダブルスコア。
ポールにあたらないよう滑る私と、ポールをなぎ倒していく選手との差は歴然。
そして夕食後に表彰式
この日は子供たちのバッジテストもあり、5級の授賞式。
こうやって表彰されるのがうれしくて、次もがんばるのでは?
スキー人口も高齢化の一途なので、なんとか若年層を取り込みたい。
そんな協会の思いが、子供ひとりにコーチひとりのマンツーマンレッスンにつながっている。
おかげで昨日初めてスキーを始めた子が、ボーゲンからシュテムターンまで進んでしまったのは、本当に驚いた。
優勝者は学生時代から競技スキー経験者。
他の区の選手もみんな、昔からの知り合いらしい。
予選落ちの参加賞はハンドタオル
夕飯に野沢菜の食べ放題がつく。
実家も毎年、野沢菜を漬けていたので、なつかしさでいっぱいになる。
そして最終日の月曜日、
昼からこちらも区主催の「もちつき大会」があるので、12時には戻らないと。
ずっとサンバレー、丸池、ジャイアントで滑っていたので、みんなで一ノ瀬スキー場まで遠征することに。
前回は間に合わなかったウェア。
やっぱり暖かいし機能性も抜群。
集合時間より早く8時半から1本滑る。
昨日の夜、圧雪車でならしてくれたので、ゲレンデはベストコンディション
昨日、一ノ瀬まで行った人曰く、
「お昼を食べようと人気のレストランに行ったら休業中、聞いたらスタッフが集まらなくて閉めている」そう
一ノ瀬や高天原は修学旅行の団体がかなり来ていたが、動いていないリフトが多い。
休業中のホテルも多数あり、「コロナによる人手不足」は深刻な問題で、このまま廃業してしまうホテルもあるそう。
そして12時前にホテルに戻り、もちつき大会
「つき手」はたくさんいるので、私の出番はない。
コロナで小学校や町会のもちつきも無くなってしまい、さびしい限り。
この日も「餅つき初めて」の子供たちが、大勢いた。
あんころもちときなこもち、お雑煮を2回ずついただいて、2時半に志賀高原を出発。
関越は20キロくらい渋滞していたけど、8時前に大井町駅に到着。
来るときも奥さんにクルマで送ってもらったが、帰りも迎えに来てもらった。
「高くつくわよ」
って(@_@)
娘が食べたがっていた「うなぎ」でもご馳走しようかな。
次回は1月末に「白馬バスツアー」の予定だけど、週末に誘われたら毎週でも行きたいなぁ。
クラブの平均年齢は50代だが、70代の元気な後期高齢者もかなり多い。
人手不足のホテルやレストランで彼らが働けば、人手不足は一気に解決しそうなものだが。
「寝るところと食事が付いて、朝昼晩の配膳だけ手伝って、空いている時間に滑らせてもらえるなら、日給2000円でもやるよ」
とは、75歳のおじいさん。
「週に一度くらい東京に帰れば、奥さんも喜ぶのでは?」
と言ったら、
「『亭主元気で留守がいい』から、春まで帰らないほうがカミさんもよろこぶよ」
って。
私も「伸びしろいっぱい」の61歳。
彼らを見ていると元気がもらえます。