R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

初合宿参加と魔女の一撃

先週水曜日は品川区主催セミナーに参加

場所は武蔵小山駅前のタワマンにある区の集会所

受講したのは「任意後見人制度」

数年前、友人のセキグチさんの奥さんがパーキンソン病になり、施設に入院した。

その後、奥さんは認知症に。

セキグチさんはむかし自己破産していて、債権者の財産差し押さえから逃れるため、持っている不動産の名義をすべて奥さんに移転していた。

自宅以外は賃貸しているので、それなりに家賃は入るのだが、あいかわらずお金の管理にだらしない彼は、あればあるだけ使ってしまうので、奥さんの入院費にも困る有様。

持っている不動産を売却するには後見人が必要だが、自分はなれないので娘さんを指名したが、裁判所が指定する弁護士も立てなければならない。

弁護士報酬として毎月7万円を払わなければならず、なおかつ

「自分がカネを欲しいからといって、奥さん名義の不動産は勝手に売却できない」

なんて取り決めもあり困っているが、まぁこれも自業自得か。

 

親が高齢化して相談が増えてきたので、とりあえずセミナーを受けてみた。

セキグチさんの場合はもっと前に、家族信託制度を利用すればよかったかもしれないが、今となっては弁護士の指示に従うしかないんだろうな。

 

そして近所のスーパーで「チャルメラ」でなく、「チャリメラ」なるものを発見。

ファラオラリーの砂漠のビバークで食べる、なにも入っていないチャルメラが、「世界で一番うまいラーメン」と今も信じている。

メカのキングが整備してくれているあいだに

みんなが日本から持ち込んだラーメンやごはんパック、缶詰やのり、つくだ煮などを、野営さながらに食べてビールを飲むのが、至福のとき

このあと主催者が用意した夕食を食べるのだが、ヒツジや牛肉を塩コショウで焼いただけの味付けは、しょう油や味噌に慣れた日本人には、どうにも物足りないので、いろいろな食材を持ち込むことになる。

 

あの時を思い出しながら食べる、具なしのチャルメラ

砂漠でなくてもやっぱり美味い。

 

ポストにはスキー連盟から、なぜか娘あての手紙が。

開けてみたら2級バッジテストの合格証とバッジだった。

と思ったら、合格者が娘の名前になっている?!

事務局に問い合わせたら、「間違えたので来週末の志賀高原ツアーのとき、交換します」って。

娘に見せたら「2級に合格した!」って大喜び(だからちがうってw)

 

そして週末は自転車(ロード)仲間のヒロサク君に誘われて、某電機メーカーのスキー部の合宿に参加。

福井県出身のヒロサク君は、中高大と競技スキーをやっていて、50歳の今もスキー部後輩の奥さんと、社会人の大会に出続けている。

彼にとっては自転車もスキーのためのトレーニング。

自宅から会社まで往復30kmを、自転車通勤していて、東京から軽井沢も日帰りで行ってしまうバケモノ。

 

金曜夜7時、レヴォーグでヒロサク家に迎えに行く。

回転と大回転用に2本ずつ、ふたりで4本の板を持っていくそうだが、クルマの上のルーフボックスでは大回転用の長い板が入らず。

しかたなくリアシートの一部を倒して2本積むことに。

都内の環七はちょうど帰宅の渋滞で混んでいたが、関越、上信越道ともにガラガラで、10時半には湯ノ丸高原ホテルに到着。

いつものクラブツアーは4人部屋だけど、こちらは一人部屋。

ここは標高1700mなので、マイナス9度とかなり寒い。

なのでこんな立派な「つらら」を久しぶりに見た。

さっそく風呂に入ったあと3人で飲んでいると、こちらも前泊のナカタニさんが到着。

4人で飲み始める。

ナカタニさんは60歳。メーカーから出向して今は別会社らしいが、競技スキーは30年のベテランらしい。

今回は奥さんと一緒だが、都内の高校1年生でスキー部の息子さんが、今日は近くのスキー場で練習しているので、明日午後ここで合流するらしい。

親子で競技スキーなんてうらやましいと思ったら、

「カラダは毎年大きくなるし、板もクツもウェアも毎年買い換えるし、大会や練習の遠征費がほんとうに大変」

って。

趣味でやっているお父さんと違い、インターハイにも出るようなスキー部は、ガチで大変。海外へのスキー留学もあり得るとか。

「親のわがままでやらせたスキーだけど、このまま大学まで続くと思うと眩暈がする」

とも。

オリンピック選手にでもなればいいけど、マイナースポーツなので大変だろうことは、容易に想像がつく。

翌日は快晴。というか暑いくらい。

ヒロサク夫妻もやる気マンマン

みんなでポール設置

企業のスキークラブと言っても今は同好会的な活動で、シーズン中に月イチで合宿をして、草レースに数回参加する程度らしい。

今回は3月に開催予定のグループ企業の大会に向けて、社内外の有志が集まったが、ヒロサク君もこの会社ではなく、大学の先輩の紹介で数年前から参加しているそう。

午前中はスラローム、午後にジャイアントスラロームを練習する予定で、スキー場所属のコーチに見てもらうそう。

ポール競技は1月のクラブツアーで、同時開催の区の大会に選手が足りないからと、強制参加させられた1回だけ(しかも予選落ち)

なのでちゃんとしたスキー部の合宿なんて、シロートには恐れ多かったが、

「現役バリバリの人は一人もいない、アットホームな合宿ですから」

とヒロサク君に言われて、ドキドキしながら参加した次第。

スタート台からゴールまで、ポールは50本。

見よう見まねで滑ってみたが、当然滑り方も分かるはずもなく、ここでは2級合格のウデも、あまり役には立たない。

コース整備のため2本滑ったら全員でボーゲンや横滑りで、荒れたコースを均(なら)していく。

これがけっこう重労働で、急斜面を必死にボーゲンしていたら、腰を痛めたらしい。

 

昼はホテルの自室に戻って、各自買ってきたカップラーメンやおにぎりで昼食。

食堂やレストランの食事もいいけど、こっちのほうがブーツも脱げるし、リラックスできるのがいい。

79歳で「自称まかない婆さん」のイワキ女史が、らーねん用のお湯からお菓子などなど、合宿のすべてをセッティングしてくれている。

ヒロサク君が言った「アットホームな雰囲気」の意味がわかった。

もちろんイワキさんも現役レーサー。

30歳でスキーを始めてほぼ半世紀、ずっと滑っているそう。

 

そして午後はポールの間隔をあけて大回転の練習。

右側の腰の痛みはだんだんひどくなり、グッと力を入れるたび「ビシッ」と激痛が走り、転びそうになるのを必死にこらえるの繰り返し。

コーチやヒロサクくんからいろいろアドバイスをいただいて、ラインやフォームを変えながら滑る。

練習でも1本ごとにタイムを計って滑ると思っていたけど、計測せずどんどんスタートするので、午前午後あわせて20本は滑ったような。

逆にタイムを計ったらどんどんペースが上がって、いつかは大転倒しただろうから、まだ鎖骨にプレートが入っているので、無理しなくてよかったかも。

 

そして着替えて風呂に行く前に、ワックスがけ。

エッジを磨く人もいるが、シロートにはむずかしいので、シーズン後にチューンナップに出すことに。

そして夕食と宴会スタート

昼間に撮った動画を見ながら、ヒロサク君がレクチャー中

私も自分の滑りを初めて見たが、イメージはこんな感じだったけど、

雪をも溶かす熱き戦い!「FISワールドカップ」アルペンスキー ...

実際は両腕が下がりすぎていて、あしたのジョー力石徹を思い出した

もう腰の痛みもピークに。

ぎっくり腰の一歩手前みたいな感じで、痛みで脚が上がらず、靴下を脱ぐことができない。

持参したサロンパスを貼りまくり就寝。

明日は痛みが和らいでいたら、午前中だけ滑って、午後は部屋で寝ていようと思ったが、朝起きたら雨がザーザー降っていた。

とても滑れる状況ではないので今日は中止に。

みなさんはガッカリしていたけど、やっぱり腰が痛い私は正直ホッとした。

やることがなくなったので、部屋で荷造りしながらみんなでおしゃべり。

メンバーが足りないのでぜひ3月の大会に参加してと、イワキさんやみんなに説得される。

大会といってもスキーも高齢化で、50、60代のほうが選手層が厚いとか。

完走目的でいいらしいので、出てみようかな。

 

帰りはヒロサク君に運転してもらい、11時に出発、高速も空いていて2時には帰宅できた。

高速の上り線を走る東京や千葉、神奈川、埼玉ナンバーのクルマも、みんな雨で滑れなかった人だろうなと、途中の藤岡SAで休憩したとき、スキーウェアの服装を見て思った。

なんとか帰宅して洗濯して風呂に入る。

ちょっと体の向きを変えるだけで、「ビキッ!」と腰に激痛が。

今週末はクラブのバスツアーで志賀高原なのに、大丈夫かオレ?

 

そして今までなんの興味もなかった、ワールドカップスラロームを見たりして。

 

今日は娘の13歳の誕生日。

予定では午後もガッツリ滑って、帰宅は夜9時ごろだったので、雨が降ってよかったかも。

痛いのでこのブログも寝そべりながら書いてます。