先週の金曜日、長野の小学校の同級会(の事前打ち合わせ)があるというので、GSで帰省した。
朝からツーリング兼ねて、志賀草津ルートでも走って帰ろうと思ったけど、娘が風邪を引いて学校を休んだので、お昼ご飯を食べさせてから出発。
天気はいいけど上信越道はすこし肌寒いくらい。
長袖シャツにパーカーだけでは寒くて、フリースを持ってくればよかったと後悔。
たぶん東御のPA、ホットコーヒーで暖をとる。
実家に立ち寄り。姉夫婦に会うのもひさしぶり。
スキーで毎週のように志賀高原や菅平へ来たけど、バスツアーだったり他の人と一緒だったので、実家は素通りしていた。
コロナはおさまったらしいけど義兄は大病を経験しているので、「東京の人間」が泊めてもらうのは気が引ける。
なので幼なじみの酒屋のT君に、ビジネスホテルを紹介してもらった。
たぶん子供のころからある「としみや」さん。
こんななにもない田舎町で誰が泊るのか?と思ったけど、出張の人や工事関係者で繁盛していて、空いていたのはひと部屋だけだった。
ホテルから100mのところにある居酒屋に集合したのは、地元に住む同級生たち。
全員61歳、卒業以来50年ぶりに会う人もいたけど、なんとなく面影はあるので、すぐあだ名で呼び合ってタイムスリップ
本番の同級会は8月のお盆休みに開催予定だけど、毎年夏休みは奥さんが
「島に行きたい」とか言い出すので、ひょっとしたら帰省しないかも。
(家族で「ゴールデンカムイ」にハマっているので、妻も娘も北海道へ行きたいらしい)
なによりこの1年で小中高の同級生が数人、病気で亡くなっているので、
「会えるうちに会っとかないと」と思ったのが、今回参加した理由。
5~6年生のとき担任だったK先生は、大学を卒業したばかりで、われわれが初めて受け持つ生徒。
12歳しか違わない若い先生と多感な生徒たちは、学園ドラマのように本音でぶつかりあい、学校でもプライベートでもほんとうに濃厚な時間を過ごして、私もK先生の影響をかなり受けている。
20年ほど前に先生を招いて、20数年ぶりに同級会を開催できたのも、みんなが「先生に会いたい」一心で集まれたから。
K先生は同級会の1年後、49歳の若さで病気で亡くなってしまったが、実家がある高遠町で行われた葬儀には、観光バスを仕立ててみんなで参列したほど。
いつも同級会の声掛けと幹事をやってくれるK君が、駒ケ根にある先生の奥様の家に伺って、当時の写真や思い出の品々を借りてきてくれた。
肝心の同級会は8月12日にやることになったが、問題は場所。
ちょうどお盆休みなのでどこの居酒屋も、毎年この時期は予約でいっぱいになるらしい。
今回使った居酒屋さんはまだ大丈夫とのことなので、たぶん20人くらいは集まるだろうと、大広間を予約させてもらった。
地元の駅前。昼間でも閑散としているのに、終電後はだれもいない。
ここに来るといつも浜田省吾の「マネー」を思い出す。
「♪この町のメインストリート、わずか数百メートル、さびれた映画館とバーが5,6軒軒~♪」
歌のとおりでこんな田舎がいやで都会に飛び出したけど、いまはもう帰りたくて仕方ない。
明日土曜はみんな仕事があるので、一次会で解散。
二次会メンバーはここから200km離れた飯田から、1泊で来たキョッキ(キヨユキ君)と、付き合いのいいN君と私の3人だけ。
N君行きつけの駅前の居酒屋で、12時過ぎまで飲んだけど、田舎なので終電は10時。
私とキョッキはホテルが近いけど、N君はここから7kmの小布施町に住んでいる。
親の代から土地家屋調査士をやっていて、歩いて5分の実家は両親が亡くなったあと、事務所にしているそう。
「明日も仕事だから今日は実家に泊まるよ」
と言っていたけど、翌日のメールで
「ほろ酔い気分で星空見ながら、1時間半かけて小布施まで歩いた」って。
当然ホテルも静か。
この廊下を見て思い出したのが
映画「シャイニング」のあのシーン
このあと父親に殺された姉妹は現れなかったけど......
キョッキは100m先のホテルに泊まっていたので、朝のご挨拶
キョッキの愛車はたぶん50年前のハコスカ
ボディもボロボロだけど「家族より大事にしている」そうで、「死ぬまで乗る」らしい
高速走行は「ちょっと心配」なので、飯田から下道で4時間かけてきたそう。
次回もし来れたら一緒のホテルに泊まって、朝まで飲み明かすことを約束して、お別れ。
そして朝イチで墓参りを済ませ
先月お母さんが亡くなった、高校の同級生のK君に会って、香典とお供えのお菓子を届けた。
うちの娘もそうだけど、いまは友達の自宅に遊びに行かないそう。
コロナのせいかと思ったけど、
「相手の家で子供がお世話になったら、次回はこちらもお世話しないとならないのが、面倒くさい」
が親の理由らしい。
われわれのころは毎日だれかの家に上がり込み、晩ごはんもごちそうになったものだけど、今はちがうんだなぁ
K君の高校時代はオシャレリーダーで、私服OKの高校だったのでジーンズはリーバイスの501,スニーカーはコンバース、真っ赤なスイングトップが定番だった。
当時の体重は55kg、ジーンズは27インチを履いていたのに、建築会社の営業に就職して、連日の飲酒と不摂生で激太り、
今の体重は90kg、ジーンズはリーバイスの36インチが地元で売っていないので、軽井沢のアウトレットまで買いに行くとか。
高校の学園祭でバンド演奏中、左のベースが私、右がK君
こちらは18かハタチくらいのとき、ふたりで湘南へツーリングしたときのもの。
私はGL400 GOLDWING、キタボリ君はヨンフォア
バイクOKの高校だったけど、K君は父親が厳しくて免許を取れなかった。
東京に出て大学生になったとき、親に内緒で免許を取って、ヨシムラの集合管が付いたヨンフォアを乗り回していた。
卒業で地元に就職が決まったときも、長野に乗って帰れないので、ヨンフォアは「20万円」で私が引き取った。
「今持っていれば数百万円で売れたなぁ」
と残念がるキタボリ君だけど、将来のことはだれにも分からないので仕方ない。
だって「バリバリ伝説」で有名になったCB750Fが、40年前はまったく不人気で、友人が10万で売りに出しても売れず。
私が7万で「買ってやった」けど、今なら100万でも安いらしい。
Kくんのまわりでもリターンライダーや、おじさんライダーが増えているそう。
もうお父さんも亡くなっているし、娘さんも嫁いで奥さんとふたり暮らし。
「もう一度バイクに乗りたい熱」が再燃しているそう。
でもさすがに「腹がつかえて」またがるのもやっと(足も届かないし(^-^;)
長野なら渋滞も無いし、四方を山に囲まれていてどこも観光地なので、のんびり乗るにはちょうどいい。
でもK君、むかし一緒に走った峠道では、ステップをガリガリ擦ってコーナーを攻めまくっていたので、たぶんまた同じ走りをするんだろうナ。
バイク買う前にまずは20キロ、ダイエットしなさいと伝えて別れた。
なにはともあれ、また一緒に走れる日が待ち遠しい。