R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

原点

津田山ブラザースのS師匠から、懐かしい映像が送られてきた。
 
 
10年ほど前、自然発生的に関東のビッグオフ好きが集まって、毎週のように日帰りでお山に行っていた。
最長700キロのロングツーリングは、「TLD」(東北ロングディスタンス)と呼ばれていた。
 
そのメインイベントとでもいうべき、岩手のアフリカ使い「うめさん」の地元へ、遠征したときのもので、うめさんのホームグラウンドの山を走る、通称「うめ庭」。
 
S師匠のヘルメットに付けたカメラで撮影されたものを、師匠自ら編集した11年前のもの。
 
GSマフィアにA師匠、U爺などなど、懐かしいメンメンがアフリカやGS、DRビッグを、惜しげもなく放り投げている。
 
私はアフリカツイン750。S師匠が前年のモンゴルに出たものを譲ってもらったが、前後サスをモディファイしているので、170cmの身長では、まるで足がつかない(本当によく転んだなァ.....)。
 
それにしても本当にみんな、よく転んでいる♪
まるで昔の無声映画のコントを見ているよう(って自分が一番転んでいるが)。
 
夕暮れの数キロのストレートを全開で飛ばしていくS師匠を、さらにブチ」抜いていくおバカたち.....
 
でも工事で通行止め(!)、仕方なく来た道をもう一度、また全開で引き返したり(気分はバハ♪)
 
先頭集団は曲がりくねった狭い林道を、全開の「サイドバイサイド」で駆け抜けていく。
コーナー入口はブレーキング競争、出口ではアクセル全開。
 
後れた後続はすぐさまスクリーンに顔を伏せないと、先行するT-63のブロックタイヤで弾き飛ばされた大きな石つぶてで、ゴーグルやライトが割れ、ブレストガードを付けていてもカラダにバシバシ当たって、一瞬息が出来なくなる(本当に痛い.....)。
 
後半の笹ヤブのヒルクライムも、本当に懐かしい。
 
足元が全然見えない急坂のヤブをみんなでアタック。
何度も玉砕してはマクレ上がり、アタマの上にアフリカツインが「降って」くる........
 
下手くそな私は100mくらいのヒルクライムがなかなか登れず、何度も転倒。もう自力でバイクを起こす気力もなくなった。
今ならヒルクライムとは言わない「坂道」だろうが、この頃はカベに見えた....
 
再スタートのたびに半クラ使い過ぎて、最後はクラッチがパー。
それが一番最後の「クラッチが滑って、あ”~って言ってる」
(何度も繰り返さなくていいっつーのw)
 
MS racingのウェアも懐かしい。
 
なんであんなに熱中できたのかと思うほど、毎週取りつかれたように山に通った。
 
 
でも振り返ればこれが、私のオフの「原点」。
 
まともにダートも走れなかったドシロートの私は、毎回「こんなとこ登れない~」とか、「こんなとこ降りられない」みたいなところに、毎週連れて行かれた。
 
「登らないと帰れないぞ」と脅されて(?)、何度もひっくり返りながら、難所を一つづつクリアしていった。
 
"鉄は何度も叩かないと強くならない”
 
あのころの経験があったからこそ、その後のTBIやモンゴル、ファラオも、ただのツーリングライダーだった私が、なんとか生きて帰ってこれたと、このビデオを見て思った。