R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

いわき行

昨日は福島県いわき市の「大和モーター商会」へ、S師匠と行ってきた。
震災発生から2カ月。いつかは会いに行こうと相談してから原発事故が長引いたり、休みが取れず延び延びになっていたが、今回やっと行くことが出来た。
 
朝7時、S師匠と首都高加平PAで待ち合わせ、常磐道でいわきを目指す。
北上し茨城北部が近付くと、復旧したとはいえ高速道路の路面に、亀裂や段差が目立ってくる。
 
大和モーター主催で毎年秋に行われる「いわきツーリング」や、ビッグオフで東北の林道を走る「TLD」のため、何十回も通った道だが、いわきの町や山はどうなっているのか、夏日のような青空とは裏腹に、不安な気持ちでいっぱいになる。
 
いわき勿来ICで、地元のアフリカ使いのOさんと待ち合わせ、被災した場所を案内してもらう。
Oさんの自宅も海から500m。防砂林のおかげで津波の被害は免れたが、それでも家の前まで「水」は来たそうだ。
 
毎回いわきツーリングで宿泊する、国民宿舎「おふくろの宿」がある田人(たびと)地区も、4月11日の余震による土砂崩れで、女子高生を含む4人の方が死傷した。
山に向かうにつれ道路に亀裂や段差が目立ち、復旧工事中の個所も増えてくる。
 
Oさんが田んぼのわきでバイクを停めた。
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他の田んぼは田植えのため水が入っているが、ここにはまだ水がない。
3人であぜ道を歩いて行くと
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深さ1mくらいの地割れがずっと続いている。
ここは活断層の真上で、左側に比べ右側がかなり地盤沈下しているのが分かる。イメージ 3
赤い屋根は中学校の体育館だが、活断層の真上にあり建物が左に傾いていて使えない。
地震の強力な力を思い知る。
 
海のほうへ向かうと、地震による津波の惨状が目に飛び込んでくる。
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2年前のツーリングで通った、アクアマリンふくしま
テレビで津波に襲われたのを見たが、路肩には海砂が溜まっていて、あちこちに「がれき」やクルマの残骸があり、ヘルメットのシールド越しに異臭が鼻をつく。
 
海岸沿いを北上すると、さらに悲惨な光景が広がっていた。
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正面の海に面して、ここには何百の家が建っていたそうだが、町が消えていた。
地元の人や自衛隊が作業をしているところは、申し訳なくてカメラを向けられないが、ここは無人の町になっていた(手前の赤い残骸は消防車)。
 
ここでは半分近くの人が亡くなり、いまだに多くの人たちが行方不明だという。
テレビでは何十回も見た光景だが、こうしてその場所に立つと本当に言葉が出ない。
 
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高さ10mの堤防が、完全に崩壊していた。
正面に見えるのが「塩屋崎灯台」。
 
海沿いのこの道は前回のツーリングでも通っている。
 
E君がみんなにおだてられてビーチランをしたのも、この海岸だった。
 
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写真左側の防砂林を超えて、この道も津波に襲われている。
バイクを停めて歩くと
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はるか彼方まで崩落していた。
 
三陸地方のほうが被害は甚大なのだろうが、本当に復旧できるのか、他所者ながら途方に暮れてしまう。
 
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そして大和モーター、佐藤社長と再会。
お元気そうで工場も被災していない。
 
目の前の国道沿いはGSもコンビニも普通に営業していて、もしここだけ見たら「本当に地震があったの?」と思ってしまうが、ここからほんの数キロ海側に行くだけで、壊滅的な光景が広がっていて、そのギャップに驚く。
 
ほんの2時間ほどの滞在だったが、大きな余震がドンと来た。
東京と違い一瞬だけグラっと揺れる。
社長さん曰く「震源が近いから長く揺れない」そうだが、「このくらいのはもう驚かないよ」って。
 
それでも連日の明け方の余震は心身ともにこたえるそうで、仕事中めまいがするようになったらしい。
 
地震津波の影響は宮城や岩手に比べて少ないかもしれないが、福島の目下の問題は先の見えない原発事故。
ここ大和モーターで原発から40キロだが、地元には何の情報もないそうで、「もし避難勧告が出ても行くところがない」のが問題らしい。
 
いわきツーリングに参加するようになって、海があり山があり人間もいいいわきが、来るたびに大好きになったが、これだけ自然あふれる環境が、今では日本一住みにくい場所になってしまったかもしれない。
 
それでも秋のいわきツーリングは「やりたい」って。
こりゃなんか軽量車、買わないとかな。
 
「がんばって下さい」なんて言えず、「また来ます」と言って大和をあとにした。
Oさんも仕事前につきあってくれて、ありがとう。
 
 
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高速を走るS師匠。
オフに目覚めてから十数年、この後ろ姿を何百回追いかけたことだろう。
首都高用賀IC入口に日曜朝4時とか5時に待ち合わせ、東北や静岡方面へ走りに行くときも、お兄ちゃんにくっついて行く弟みたいに、いつもこの背中を追いかけていた。
TBIやモンゴルへの道を開いてくれたのも、Sさんだった。
 
お互い家庭を持って一緒に走る機会もめっきり減ってしまったが、どんなに久しぶりでもこうして一緒に走ると、なぜか安心できる。
 
都内に入り渋滞している首都高は、すり抜けが嫌いなS師匠に代わって、私が「露払い」の水先案内人になるのも、いつものこと。
 
昨日は中国や韓国の首相が来日とかで少し渋滞したが、渋滞しているクルマを驚かせたり威圧せず、できるだけ「やさしいすり抜け」を心がけて、気持ちよく走ることが出来た(かな)。
 
S師匠、また行きましょう。
 
被災地の写真はあまりに生々しく、軽々しく載せるのはやめようかとも思ったが、現状が少しでも伝わればと思い、載せさせていただいた。
被災地に対して自分の微力では、何もできないかもしれないが、家族を大事にしたりもっと仕事をして、税金や売り上げで少しでも協力できればと思う。
 
津波に流された自宅の片づけをしている、高齢者の方をたくさん見かけたが、邪魔にならない程度に現地に足を運んで、現状を見てもらうことで、なにか役にたてることが見えてくるんじゃないかと思います。