R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

ジジ放談

スガワラ爺が「人生の最後に(?)乗りたいスポーツカー」として、購入を検討しているのが、「マツダ ユーノスロードスター」らしい。
 
ならばその初代ロードスターの生みの親である、立花啓毅氏と食事会をしましょうと提案し、昨日おなじみ中目黒の「バッチョーネ」にお邪魔した。
 
立花さんのことは以前書いたこちら
 
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偶然だが爺が今年70歳(!)、立花さんが69歳(!!)と、ほぼ同い年。
お互い数十年、同じモータースポーツの業界に居ながら、今まで接点がなかったことのほうが不思議なくらい。
 
初対面の手みやげとして、爺から立花さんにレンジャーのミニチュアのプレゼント
(もちろんサイン入り)。
爺が手にしているのはUSヤマハのATV、「ライノ」のカタログ。
このライノ、実は爺のご長男でUSヤマハ「GKデザイン」にお勤めの、Yさんのデザイン。
 
長男がデザインしたライノでモンゴルラリーに参加した爺を、カウントダウンのスタートで送りだしたのが、二男のテルちゃん(なんと幸せな人生だろう)。

爺がそのときの写真を見せると立花さんが、
「実は僕はこのライノで、渋谷の街を走りたかったんだよね」
と言われ、
「なぜライノを知ってるの?」
と驚いた。
 
立花さんはヤマハトヨタの仕事もされていて、ライノのデザインが気に入り、何とかこれを輸入して渋谷の街なかを走りたかったらしい(ってなぜ渋谷??)。
 
日本の道路交通法ではかなわぬ夢だったが、ライノでラリーに出た爺の話しに、興味津津の模様。
 
爺がライノでファラオにでたときの顛末はこちら
 
立花さんのご子息H君がKTMチーム「ロッカーズ」のメンバーで、私は息子さんと知り合いだったが、最近は立花パパのほうが親しくさせていただいている。

クルマはもちろんバイク、自転車にも精通していて、何を聞いても独自の理論で明快に答えてくださる。
 
H君は去年の暮れコースを走行中に、転倒して首を強打。
いまだに首が痛くてバイクに乗れないらしい。

この日もお父さんから
「もう41なんだから、いいかげんバイクじゃなくて『違うモノ』に乗って欲しい」
と(?♥)、バイクバカで一向に結婚する気配のない、息子の心配をされていた。

まァロッカーズは別名「ちょんがーず」として有名だから(?)、このままみんなでさびしい老後を迎えればいいんじゃないかな

実は爺、初代ロードスターが気に入って、フランスに持っていってまで乗っていたらしい。
立花さんも初代への思い入れは半端ではなく、開発から発売までの苦労話も伺った。
 
それにしてもこのお二人、初対面とは思えない盛り上がりで、熱い元祖オヤジパワーに「若干49歳の小僧」は、終始圧倒されまくりだった。
 
スガワラ爺が
「ところで○○さんは知ってます?」
と、爺の友人で日本のモータースポーツ黎明期に活躍した、往年の4輪ドライバーの名前をいうと、
「あー、先日一緒に飲みました」
と立花さんが答える。
 
立花さんが
「じゃあ○○さんは?」
と逆に聞くと、
「今一緒に仕事してます」
と爺が答える。
 
お互い自宅からクルマで20分のところに長年暮らしていて、これだけ共通の友人知人がいるのに、今まで面識がなかったことが信じられないくらい、話せば話すほど同じような波瀾万丈な人生を送られている。
 
実は立花さん、あの伝説のアサマ火山レースに、当時BS(ブリジストン)のワークスライダーとして、まだ十代ながら参戦していた。
富士スピードウェイの開会式のときは、エキジビジョンのバイクレースで、なんとポールポジションだったとか。
「練習ナシぶっつけ本番だったので、バンクの走り方が分からず死ぬかと思った」
って。
 
当時、全日本でも優勝し「天狗」になっていた立花少年。
40数年前、若干二十歳そこそこで単身アメリカへ乗り込み、メカもおらず英語も話せないのに、独りでバイクを積んだトレーラーを引っ張って、シカゴからフロリダまでバイクレースを転戦したらしい
(話しを聞いていて映画「世界最速のインディアン」を思い出した)

言葉が分からなくても、はるか極東から単身やってきた小柄な青年(少年?)を、どこにいってもアメリカ人は温かく迎えてくれたらしい。
 
(ひょっとして大藪春彦の「汚れた英雄」は立花さんがモデル??)
 
旧車バナシが盛り上がり、爺が
「古いバイク好きな歯医者さんがいるので呼びましょう」
と、S先生に電話。
ヴィンテージMXに毎回違うバイクをレストアして参加する、名物選手として有名なS先生。
まだ診療中だったようだが、
「家にクルマ置いてすぐ向かいます♪」
って二つ返事でOK(って患者さんは??)

S先生も若いときからクルマやバイクに、「湯水のように」お金を注ぎ込んで来た、生粋の遊び人。 
「こりゃ道楽オヤジ3人揃うと、大変なことになるなァ....」
なんて思っていたら、S先生から電話が。

「家に連絡したら奥さんが、なにやら『高級な生もの』を調理して待っているので、行けません...」
とのこと、残念

(「夫婦ラブラブ」ならぬ、実はバイクが増えすぎて奥さまに頭が上がらない?らしい.....w)。
S先生とは次回持ち越しと相成ったが、たぶんこちらも相当盛り上がるだろう。
 
マツダが参戦したルマン24時間の話も、爺がルマンにガレージを持っていることを話すと、
「あのコーナーはね~」
とか、
「実は◯◯選手は◯◯だった」
なんてここにはとても書けない、オフレコ話しでまた盛り上がる。

私にはチンプンカンプンなメカの話題も、精通しているお二人はおかまいなしに、話が止まらない止まらない.....。
 
今のクルマ&バイクや業界への辛口な意見から、ときには艶っぽい下ネタバナシまで(?❤)、二人合わせて140歳、ホラ(?)も交えてオヤジたちの楽しい夜は更けていく.................。
 
6時に始まり早10時。
今日ほど時間のすぎるのを、速く感じたことはなかった。
ってこのままオールナイトで話しても、お二人の話題は尽きないだろうし、それだけの体力はまだまだありそうだ。
 
次回は立花さんちの新しく作った屋上で、ビアパーティーですね♪
 
これも偶然だが今回バッチョーネオーナーのKさんに、今日の予約の電話をしたとき、爺と立花さんの名前を言ったら
「立花さん、知ってますよ」
と言われ驚いた。
 
9年前、立花さんの息子H君のアフリカツインを、私が紹介してKさんが買ったとき、ご自宅へ引き取りに行ったそうだ。

息子のH君が乗っていた640ADVも、私がモンゴルで走ったもの。
今はKTM埼玉社長フルタクさんに譲り、巡り巡ってH君がオーナーになっていて、これも驚いた。
 
Kさんが今乗る80GSも、前オーナーの横川さんは菅原さんのパリダカの盟友だが、実は立花さんも横川さんとは、タイムトンネルつながりで仲良しと、不思議なご縁はつながっていく。
 
横川さん↓
 
「40、50は鼻たれ小僧、男の盛りは70から」
なんてことわざがあるが、まさに彼らのためにある言葉だろう。
 
お二人とも歯に衣着せぬはっきりした物言いで、まわりには敵も多いだろうが、そのぶん「スジ」を通して生きているのが、初対面でもお互い分かりあえたと思う。
 
ふたりが子供のように楽しそうに話しているのを見て、なぜだか何度も目頭が熱くなった。
 
わずか4時間の濃密な時間のなか、あまりにも登場人物と話題が多すぎて、書ききれないことばかりだが(実は書けない話しのほうが多い)、今年50の鼻タレ小僧ですが、またお付き合いいただければ幸いです。
 
バッチョーネKさんも酔っ払いオヤジたちのヨタバナシにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

いつまでも青春真っ盛りのお二人を見ていて、サミュエルウルマンの詩「青春」の一節を思い出した、
 
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。 

「歳を重ねただけで人は老いない、理想を失うときにはじめて老いが来る」

たとえ100歳になっても熱い情熱を持ってい生きているだろう、このお二人。

まだまだやりたいことがありすぎるオヤジたちは、いつまでたっても青春ド真ん中。

40や50で
「オレの人生こんなもの」
って、人生達観したような「とっちゃん坊や」は、
オヤジたちにカツを入れてもらえばいい。
 
んなすてきな人生の先輩達に、巡り会えたことを心から感謝します。