R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

ムーニーちゃん

今日はオシッコの話なので、食事中の方は食後にでも読むことをお勧めします。

 

ゴビ砂漠熱中症になった私はそれからの数日間、脱水症状に苦しんだ。
ちょうどこの2002年がラストモンゴルということで、通常は翌年分も確保しているはずの物資や水も、余分には用意されていないうえに、ゴビ砂漠熱中症になった選手が予想外に多く、飲み水が足りなくなったらしい。
レギュレーションでは一人3リットルが義務付けられていたのに配給は2リットル。
途中のCPで2リットルのペットボトルの水を3人で分けたりと、後半は水のない苦しいラリーだった。

 

熱中症の症状で顕著だったのは血尿と頻尿(ひんにょう)。
スタートして数分すると猛烈な尿意に襲われる。
我慢して走っても普通のオシッコしたい感覚とは違い、激しい尿意に耐え切れず、バイクを止めてオシッコするも、黒っぽい液体がドロっとしか出ない。
血尿は初めてなので自分の体がどうかなってしまったのかと、かなりショックを受けた。

 

でもここに止まっていても仕方ないのでまた走りだすも、5分もたたずに激しい尿意に襲われる。
また仕方なくオシッコしても、相変わらずちょっとしか出ず、股間のあたりにいや~な残尿感が残る。
それからはもうアタマの中はオシッコのことでいっぱい.....。ラリーどころではなくなった。
何十回も止まりながら、なんとか日没前にキャンプに辿り着いたときは、熱中症でカラダもだるくなっていた。

 

オフィシャルに水をもらいにいくと、
「キャンプも水不足で近くの村に買いにいっている」
とのこと。

ドクターのところに行けば水がもらえるというので、モンゴル人ドクターのゲルに行き、通訳を通じて説明をすると、ドクターが
「パンツを脱げ」
と言う。
よくわからずにパンツを脱ぐと、ドクターが私のオチンチンをギュッとしごき、ニッと笑いながら
「...あそんだのか?」
と聞いた。

 

彼は私がどこかで悪いビョーキをもらったと思ったらしい.....。

 

もう一度ちゃんと通訳してもらうとドクターは、
「水をいっぱい飲め」
とおっしゃる。
「だーかーらー水が足りないんですよ」
と言うと、
「じゃあビールをいっぱい飲め」
と.....。

 

ビールは離尿作用があるので、脱水症状がひどくなると思いながらも、のどの渇きには勝てず
がんばって飲んだ(よけいに具合が悪くなった)。

 

疲れに酔いも加わってなおさら熱っぽくなり、体もだるくてテントに横になったまま、
バイクの整備もタイヤ交換もやる気が起こらない。

 

チーム4人でお願いしたメカの小宮さん(今は埼玉で「二輪工房」というバイク屋さんを経営)が、
見かねてタイヤ交換と整備をやってくれた。

 

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ゾーモット。小宮さんありがとう

 

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笑ってますがかなりバテてる

 

翌日からはずっと「オシッコ」との戦い.....。

 

ラリーはだんだん北上していくので、暑さもいくぶん和らいでいくけれど、
それでも我慢に我慢を重ねて、30分に一度オシッコタイム。
ついでに写真ばかり撮っていた。

 

前を見ても後ろを見ても延々と続くダート.....
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と、何もないルート上に突然「山」のマークが?(61.67キロ地点)
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ほんとに山があった
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このルートの左側を500m進むと、段差が数百メートルはある「ガケ」になっていて、朝のブリーフィングで
「落ちたら死ぬのでコースの左側は近づかないこと」
と言われていた。

怖いもの見たさで覗いてみると、垂直な崖がはるか下まで続いている。

数万年前か数億年前かわからないが、巨大な地殻変動で地球が「ズレた」ことを、
ガケ下を覗いてみてよくわかった。

 

あるとき大平原の真ん中でパンク修理していると、なにか後ろに気配を感じる。
振り返ると10mくらい離れたところに大きな「鳥」が1羽、いつのまにか舞い降りていた。

 

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こいつ。

 

「ハゲタカ」という鳥はおらず、コンドル等の大型の鳥の総称らしいが、翼を広げるとかなりデカイ。

 

「こいつ、おれが死ぬのを待ってる....」

 

急いで修理していると後ろで「バサッ」と音が...。
振り向くともう1羽増えている。

 

私がにらむと彼らは目をそむけて素知らぬふりをするが、
こちらが背を向けるとスッと近づいてきて、私がどのくらい弱っているか確認している。

 

いよいよヤバいと急いでいると、今度はアタマの上を黒い影がよぎった。

 

「?!」
上を見上げると数羽のハゲタカが、私の上を「旋回」していた......。

 

修理もそこそこにあわてて走りだしたけど、かなりスリリングな体験だった。

 

モンゴルにはいまだに亡くなった人を山に運んで、「神の使い」鳥に捧げる(食べさせる)「鳥葬」の習慣があるらしく、山の上を大きな鳥が何十羽も、旋回しているのを何度か見かけた。

 

この大会で亡くなったバイクの選手が、コースから数キロしか離れていない岩山で発見されたのは、軍隊も動員しての懸命な捜索にもかかわらず、ラリーが終わってから3ヶ月後の11月。

 

山に遊びに行った子供が、偶然バイクを見つけたらしいが、その山は鳥葬する場所でいつも鳥が飛び回っていたので、地元の人も気がつかなかったとか。

 

当時オフィシャルのヘリは2機あったけれど、両方ともかなり老朽化が進んでいた。
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この1機は昔「オウム真理教」ロシア支部が所有していたものを、モンゴルのヘリ会社が買い取ったそう。
高度計が壊れていてガーミンのGPSを頼りに飛んでいた。
エンジンもだいぶヤレていて垂直上昇ができず、セスナのように滑空して飛んでいたが、みんな馴れたものでパイロットもウォッカ飲みながら、いつも酔っぱらってたような.....。
数年前NHKの取材時に1機墜落してしまい、現存するのはあと1機だけとのこと。

 

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最終日のコマ図の最後には、主催者のヤマダさん直筆のメッセージが。
「この経験が人生を照らす道しるべとなることを」
私がこの経験から得たものは、「水さえあれば生き延びられる」ということだった。
逆にたとえお金があっても、水がなければ人間は簡単に死んでしまう。
今でも何か選択に迫られたとき「あのときに比べればなんてことないな」と達観できるようになったような.....。
速い人は速いなりに、私のようにおそい者でも、日常生活では絶対にあり得ない経験ができる、
それがラリーのいいところかもしれない。

 

帰国してから数か月は血尿が続き、その後1年は「頻尿と軽い尿漏れ」に悩まされた。

 

その2年後ファラオラリーに出ることになり、真っ先に買ったのが「大人用紙オムツ」。

 

トップライダーやドライバーは、オシッコの時間ももったいないので、オムツをして運転していると聞いた。
モンゴルより暑いエジプトでまた熱中症になったとき、これがあればいちいちオシッコで、止まらなくていいと思った。

 

でもこれがけっこうかさばる(1週間分)....。

 

この年の日本チームのサポートカーは、地元で借りたレンタカー、クライスラーボイジャーで、ハイエースほど荷物が積めず、選手には「トイレットペーパーは1本で芯も抜くように」とお達しがあるほど、荷物を減らしたけど、私はモンゴルのトラウマがあって、他の荷物は減らしてもオムツは無理やり積んでいた。
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これがボイジャー。ごくフツーの乗用車

 

ファラオはレギュレーションでバイクに3リットル、ライダーが3リットルの計6リットルを持つけれど、道に迷ったり故障やトラブルで止まっていると、4輪参加者は水のボトルを投げてくれるし、CPでも水は飲み放題。

 

なので熱中症にもならず毎日ガブガブ呑んで、ずっと「水っ腹」。
オシッコもよく出て結局、オムツの世話にはならなかった。

 

サポートカーのドライバーは「世界のスガワラ」。
キャンプで荷物を広げていると、
「それは何?」
と爺に聞かれ
「オムツ」
と答えると、
「トップライダーじゃあるまいし、そんなのいらないだろ」
とのたまう。

 

いいかげんジャマだと思っていたので捨てようとしたら、
「じゃあオレがもらう」」
って。
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オムツが似合う。
この写真は門外不出で墓場まで持っていこうと思ってたけど、いちおう本人の許可はもらったので。
爺は長年のラリー経験から、一度スタートするとゴールまでオシッコはしないらしい(ホントは「おもらし」してるかもしれないけど、もう気がつかないのかな)。

 

最後に爺の名誉のために。
ルートが南下して砂漠に近づくと、サポートカーが走る「国道」も砂に覆われて砂漠と化している。
サポートカーのボイジャーは4駆でなく、「2駆」のうえにノーマルタイヤ
アスファルトが砂に覆われて、他チームの4駆のサポートカーでさえスタックしているその横を、ボイジャーが「スルスルと」走りぬけ、その場にいたみんな大喝采だった
 
と、助手席にいたサポートのマキちゃんが、キャンプで興奮してしゃべっていた。

おちゃめですがやっぱり「世界のスガワラ」です。