R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

心は少年のまま

日曜は立花さんからランチのお誘いをいただいたので、ご自宅へお邪魔した。
 
この日のメンバーは立花さんの旧い友人で、私もいろいろお世話になっている横川さん
 
今日はトレーニングを兼ねて自転車で来られていた。
ジャージ姿もダンディな横川さん。
今はレーシングマシンのミッション製作を生業にされているが、もともとは当時一世を風靡した「VAN」にお勤めだった。
 
私も田舎の中学生時代、「メンズクラブ」の洗礼を受けたアイビー小僧の一人だが、 そこはアウトサイダーの横川さん、アイビーよりコンチな(ご本人はヨコスカ風って)スタイルを、トラッドなVANの社内で通していたとか
 
クルマやバイクが好きでオサレなら、そりゃモテナイはずないわナ❤
 
立花さん69歳、横川さん65歳、
日本のモータースポーツの黎明期を生きてきた男二人は、立花さん自慢のガレージで時の経つのも忘れて話し込む。
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マチレスとBSAもやっと保安部品をつけて、売り出す準備完了のようだ。
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横川さん曰く「ものすごく速い」マチレスと、BSAロケットスター改
 
立花さんがレースでただ「勝つために」、魂を注ぎ込んだマシン。
単なるマニアでなく立花さんはこの時代に、こんなマシンで実際にレースをやっていた。
そこいらの「なんちゃって旧車好き」には、とても乗りこなせない代物だが、乗らないにしてもこれを持てる人は、本当に幸せ者だろう。
 
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還暦をとっくに過ぎたオヤジたちが、目をキラキラ輝かせながら話し込む姿は、50歳の「若造」には羨ましくもありとっても素敵な光景。
 
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屋上で立花ママが丹誠込めて育てたイングリッシュガーデンを眺めながら、ワイン片手に大好きなクルマやバイク(プラス♀?♥)の話しは、いつまでも尽きることがない。
 
トヨタハチロク」については、ここに書くのもはばかられるほど辛辣だ。
初代ロードスター生みの親、立花氏曰く「あんなボテッとしたのはクーペじゃない」(私もそう思う)
 
それにしてもお二人の、昭和30~40年代のハナシは本当に面白い。
レース用に改造したべレットに消音器をつけて、六本木のキャンティやニコラスに乗り付けて、夜ごと大騒ぎ。
表参道や青山通りでゼロヨンレース。
第三京浜ができたときは、誰が一番速いか本牧のイタリアンガーデンまでキャンボールなどなど。
私と同世代の彼も、きっとこんな不良オヤジたちに憧れたんじゃないか。
 
なにをやっても許されたような、今では考えられないハチャメチャぶりは、石原裕次郎加山雄三の往年の映画を見るよう。

昔、表参道にあった原宿VIVREのカフェには、当時でも珍しかったニコバッカーやドカ、グッチなどのカフェレーサーらが文字どおりお茶していて、そばで話しを聞いているだけで楽しかった。

「(浮谷)東次郎がさ」とか「(福沢)幸雄は」とか、自動車雑誌で読んだ往年の名ドライバーの名前が、ポンポン飛び出すが、彼らもみんなクルマ仲間だった。
 
パリダカを舞台にした高倉健主演の映画「海へ」のロケに、横川さんが同行した88年は、まさにバブル真っ盛り。
潤沢な予算にモノを言わせ、トラックに樽でワインや生ハムなどなどを積み込み、砂漠で宴会の毎日。
 
今でもラリーにでている海外のお金持ちチームは、専用カミオンに膨大な量のワインや高級食材を積んで走っているが、まさにそんな感じだったのだろう。
 
お二人は新しく発売されたマツダのCXー5で、大陸横断の旅に出ようと話していた。
パリをスタートしてヨーロッパを横断し、アジアから日本へ。
もしくは往年のパリダカのルートをたどる旅(こちらは治安の問題でむずかしいかな)
 
旅の途中で何が起きても、この二人ならなんとかしてしまうだろう。
ぜひ「足腰の達者なうちに?」実行してください♪
 
ママの美味しい料理もごちそうさまでした❤
 
お二人に比べれば鼻たれの若造ですが、懲りずにまた誘っていただければ、ありがたく存じます。
 
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ママが丹精込めて育てたクリスマスローズもいただいた。
娘も「おはな、きれい~」って、大喜びでした❤