R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

帰省

水曜日、長野の姉から「お母さんの具合が悪い」と電話があった。
 
ふだんは実家の近くに嫁いでいる姉が、仕事をしながら両親の面倒をみてくれているが、木曜金曜と1泊で東京に出張しなければならないので、姉の留守中、私が面倒を見ることになった。
 
このところ急に暑くなったりで、気温の変化に体が追い付かず、脱水症状になってしまったらしい。
5年前に父親が大病し、姉と母親が面倒をみていたが、疲れもたまっていたのだろう。
 
木曜午前中は仕事で川崎の津田山へ。
そのまま長野にクルマで帰る予定なので、早めに家を出たら10時の約束が9時前に到着してしまった。
津田山はS&A師匠らの地元で、オフロード初心者だった私が十数年前、毎日のように通った町。
久しぶりにA師匠に会い、朝からバカバナシで盛り上がる。
 
関越自動車道で長野へ向かいながら、昨日、母親に電話したときのことを思い出していた。
 
弱々しい声で「わたしもなんとかがんばってるけど、もしダメなときはごめんね」って......。
 
謝らなければならないのはむしろ私のほうで、18歳で高校を卒業してから実家に戻らず、なんとなく東京で暮らして30年が過ぎた。
 
40過ぎて望郷の念にとらわれても、いろいろ「しがらみ」があってもう帰る勇気がない。
 
幼なじみには私は都会で会社をやって偉いと思われているようだが、私からみれば地元で結婚し子供をもうけながら、親の面倒をみている人たちのほうが100倍偉いし、ひとつ屋根の下で親子3代暮らしている姿をみると、本当にうらやましいと思う。
 
父が大病してからはせめてもの親孝行と、月に1度は帰省するようにしているが、ほんの1日か2日では、ゆっくり過ごすこともできず、かえって迷惑なのかナと思ってしまう。
 
東京の大学に進学した同級生の子供たちに会うたび、地元に就職しろと言っているが、田舎も不況で仕事がないらしく、東京で就職したという話を聞いては、早く大切なことに気づいておくれと、祈らずにいられない。
 
 
夕方実家に着くと、ソファにもたれていた母が、弱々しく笑ってくれて、ちょっと安心した。
 
夕食は近所のスーパーで買ったうどんを煮込み、買ったてんぷらと一緒に出すと、食欲がないと言っていた母は、「ペロッ」と平らげた。
 
とりあえず胃腸は大丈夫なようで、また安心した。
 
両親は8時に寝てしまったので、幼なじみの酒屋のT君に電話すると、お客さんがオープンしたばかりのイタリアンがあるので、ちょっと行こうと誘われ、彼と奥さんと3人で出かけた。
 
私が知る限りこの町にイタリアンレストランはなく、学生時代通った喫茶店で食べる、ナポリタンやミートソースがせいぜいで、タバスコや粉チーズを雪のように振りかけていた。
 
高校時代の通学路の途中にできたそのイタリアンは、ソムリエのいる本格的なもので、食事を済ませてしまったことを、ちょっと後悔した。
 
レストランで写真は撮らないことにしたので、写真はない。
他人が料理の写真を撮っているのを、他の客はあまり気持ちよく思わないのが分かったから。
 
彼と奥さんは高校の同窓生で、私と彼女は小学校の同級生。
高2のとき、彼女が好きだという彼の気持ちを、私が彼女に伝え交際がスタート。
彼女のお母さんと私の母親が同じ職場で親しかったので、酒屋という自営業の家に、嫁に出すのをためらっていた彼女の両親を、私の母親が説得してくれたのも、なつかしい思い出。
 
いっきに何十年も時間が戻り、ムカシバナシに花が咲いた。
 
 
翌金曜は父が週3回の透析の日。
具合の悪い母に代わって、父に朝ごはんを食べさせてから病院に送り、実家の掃除と片付けをする。
こたつの布団や座布団を、近所のコインランドリーにクルマで運ぶ。
 
4時間後、父を迎えに行き昼ごはんの準備。
両親が昼寝をしているあいだに、キッチンと風呂トイレの掃除をしていたら、あっというまに晩ごはんの準備。
 
スーパーで惣菜を買い、簡単な夕食を済ませる。
 
母親もだいぶ元気になってくれたようで、ちょっと安心した。
 
という私は昼間がんばりすぎて、ちょっと体がだるい。
なので9時には寝てしまった。
 
 
土曜朝起きると鼻水が止まらず、風邪をひいた。
 
シャケを焼いてみそ汁を作り、朝ごはんを済ませてから、こちらも幼なじみのM君がやっている修理工場で、正月から穿きっぱなしのスタッドレスタイヤを交換してもらった。
 
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彼に両親のことを話すと、「お前はいいよ、父親がまだ元気で。おれは26のとき父親が死んだので、離れ離れでも会えるだけマシ」と言われ、何も言えなくなった。
 
父親が遺してくれたこの工場を、がんばって守っている。
 
家族全員キャンプ好きなので、とうとうキャンパーも買ってしまった。
これを置ける場所があるのも、都会では考えれらない贅沢かもしれない。
 
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冬はスノーモビルで長野から新潟の山を走り回っている。
これも置く場所があるのは贅沢なこと。
奥にあるのはバモスかな。
 
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父上がトライアル選手で、白バイ隊員の教官だったこともあり、彼も小学生の時は自転車トライアルの世界で、表彰多数の有名人だった。
当然バイクも好きで奥のドカも、乗らなくなった今でも大事にとってある。
 
手前はCBX
っていつのまにか2台になってる!
 
聞くと10年来譲ってくれと拝み倒してきたのが、やっと手に入ったとか。
交換したのはなんとゴールドモンキー。
 
譲った人も彼なら大事にしてくれると思ったからだろう。
左が80年モデル、右が79年モデルで、彼はどうしても79年モデルが欲しかったそうだ。
 
けっして背伸びせず、お金を使わなくても遊びの達人の彼が次に狙うのは、私のV350。
 
14年乗り倒したデリカもそろそろ寿命。
キャンパーを引っ張るなら、やっぱりベンツが絵になる。
 
バイクを乗せることもなくなり、自転車だけならもっと小さくてもいいかなと思っているので、彼の元に嫁ぐ日もひょっとして近いかもしれない。
 
母親は元気にはなってくれたが、ちょっとボケが始まっていた。
数年前、耳が遠くなったので補聴器を買ったが、違和感があるらしくなかなかつけようとしなかった。
テレビをみても音がよく聞こえない。
話し声もよく聞こえないので、だんだんと自分の殻に閉じこもるようになっていた。
 
休みの取れる自営業でよかったが、これからはもう少し頻繁に帰省できるよう、考えようと思う。