連休は長野の実家へ行った
土曜は妻が仕事だったので、夕方から出発
横川SAで晩ごはんを食べる
先にママとトイレに行った娘は、私も行くというと「一緒に行く~」と走り出した
1回行っただけで場所を覚えてしまった。
この自信マンマンの後ろ姿❤
おそるべし2歳児
妻いわく「方向オンチなあなたよりしっかりしてる」って.........将来有望かも(ってなにが?)
8時半に実家に到着。
ふだんは8時に寝てしまう両親も、起きて待っていてくれた
「おじいちゃん、おばあちゃん、こんばんは~」
「おじいちゃんもおばあちゃんも、だいしゅきだよ~」
教えていなくてもちゃんとお話しが出来て、また成長した孫に両親も驚きながらも、目を細めていた
2階の私の部屋は夏以来ずっと閉め切りだったので、熱気がこもって暑い。
網戸全開で寝たら、明け方に寒くて目が覚めた。
昼間は暑くてもそこは長野、秋がもうそこまで来ている
真ん中で寝ている娘の寝相がひどくて、夜中に何度も顔やカラダを蹴られて起こされる。
ランニングシューズを持参したので、早起きして走ろうと思ったが、また寝過ごしてしまった(言い訳です........)。
動物園からペンギンが脱走して、公園の池で泳いでいる映像が、ニュースで取り上げられたが、それがわが町の「市営須坂動物園」
子供のころはにぎやかだったが次第に来園者も減り、一時は廃園の話しもあったが、カンガルーの世話をしていた飼育員が、じゃれついて掃除ができないのでサンドバッグを吊るしたところ、「ボクシングをするカンガルー」と話題になり、全国から観光バスが来るほどになった。
そのカンガルーも死に、ライオンもゾウもキリンもいない田舎の動物園は、また世間から忘れられようとしていたが、今度はこの脱走ペンギンがまた話題になっているらしい。
私は幼なじみから相談があるというので、妻と娘を動物園でおろして、彼の家に向かった。
彼には高校3年生の双子の娘がいて、地元の商業高校に通っている。
姉は地元の企業に就職が決まったらしいが、妹は東京で働きたいという。
それも渋谷の109(マルキュー)のブティックで販売員になりたいらしく、私にあきらめるよう説得して欲しいとのことだった。
右も左もわからない18歳の田舎の小娘が、渋谷で働いたらどうなるのか、容易に想像がつく。
東京に親戚もいないのでアパートを借りることになるが、いまどき正社員になれるわけもなく、アルバイトでは家賃も払えないだろう。
彼から相談の電話があったとき、ファッションが好きなら専門学校に入って、服の作り方を勉強してメーカーへ進んだほうが、賢明な気がすると話したが、親は東京へ行くならお金は出さないと言っていた。
彼女もこの数日間いろいろ考えたらしく、とりあえず地元で働いて、お金をためて東京へ行くことにしたという。
お金を貯めてと言っても、がんばって100万貯めて東京に来ても、部屋を借りて家具や家電を買って、ちょこちょこ遊び歩いていたら、あっというまに軍資金は底をつくだろう。
夢破れて田舎に戻っても、中途半端では再就職も難しい。
つい先日も六本木で殺人事件が起きたばかりだが、渋谷や新宿に限らず今の東京はどこもあぶない。
彼女と1時間ほど話しをしたが、実家にいれば家賃はかからないのだから、その浮いたお金で月に一度くらい、東京に遊びに来ればいいのでは?ということで、なんとなく落ち着いた。
ただ田舎も就職難なので、9月の今ごろから地元で就職活動しても、正社員になれるかどうかわからないという。
彼の家は山のふもとにログハウスを建てて、お母さん、息子夫婦と双子の5人で住んでいる。
駅もスーパーもクルマで10分以上かかるが、庭も広くゆったり暮らしている。
私も彼女くらいのとき、田舎がいやで都会に憧れたが、その東京で人生の半分以上を暮らしてみて、田舎の良さを再認識したが、もう帰ることはできない。
彼女にも都会に無い田舎の良さを、分かってもらえればと願いながら、妻子の待つ動物園に急ぐ。
電話をするともう動物園は出て、公園で遊んでいるという(公園の奥が動物園)
50年経っても変わらない風景
逃げだしたペンギンは、この池で泳いでいたらしい
いっそのことペンギンを自由に泳がせたほうが、話題作りになると思うが、フンボルトペンギンは池では暮らせないらしい。
ペンギンの名前を募集していたので、「ヒルツ」と書いて応募した。
脱走といえば映画「大脱走」
「大脱走」といえばスティーブ・マックイーン
その彼の役が脱走数十回の「ヒルツ大尉」。
もっともペンギンはオスかメスかまだ分からないらしい。
(せめて「マッくん」にでもしとけばよかったかな........)
長野も東京に負けないほど暑いので、帰宅してみんなでシャワーを浴びて、昼寝した。
涼しくなった夕方、3人で近所を散歩した。
家から50mのところにある、私が通った小学校のグランドで。
食べたくない給食や、いやな授業があると、ヒルツ大尉のようにすぐ「脱走して」、家に帰ってしまった。
おばあちゃんが「そんなにいやならここにいればいい」と、ふかしたサツマイモやおやきを焼いてくれたのも、なつかしい思い出。
昔のブランコにはこんな柵はなかったので、どこまで飛べるかか競争しては、誰かがケガをしたものだが、今はちょっとでも危ないものは大人が手を入れてしまうので、どこまでやったらあぶないとかの「学習」ができない。
母親はまた耳が遠くなったようで、娘が一生懸命話しかけても、ニコニコ笑っているだけ。
それでも娘がヒザに乗ると、目を細めて喜んでくれていた。
さんざん迷惑かけて育ててもらったのに、たいした恩返しもできないまま、近い将来別れるときが来る。
最後に孫を見せられたのが、 せめてもの親孝行になったのか。
月曜は父が透析、母がデイサービスセンターに行く日。
少し早く起きて近所の川まで歩いた(また走らないの??)
橋の上でしばらくたたずんでいたら、いろいろなことを思い出して涙があふれた。
やっぱり故郷はいい