R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

250kmの想い

先週の火曜日に、姉の嫁ぎ先の義母が94歳で亡くなった。
 
長男でありながら親の面倒を見られない私に代わり、毎日実家に来ては両親の世話をしてくれている姉だが、さすがにお通夜、葬式などの準備で実家に行けないので、私に帰省して欲しいと連絡があった。
 
水曜朝、妻が仕事で出かけたあと、娘を保育園に送ってから出発。
水曜は父親が透析の日なので、そのまま実家の近くの病院へ迎えに行った。
 
病院の駐車場入り口で、機械から駐車券を受け取るため窓を開けたら、「バキッ!」とガラスの割れる音がして、窓が閉まらなくなった..........。
走行中ではないのでガラスが割れるわけもないし、パワーウインドウが壊れたかと思ったが、父が病室で待っているので貴重品だけ持って迎えに行く。
 
通夜は夕方6時からだが、天気予報は雨。
仕方ないのでホームセンターで厚手のビニールを買い、テープで窓に張り付けた。
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ちょっとビンボーくさいが 真冬でなくてよかった。
 
「ベンツなのに壊れるんだ」
いやいやベンツだから壊れるんです。
国産車がたった5年でパワーウィンドー壊れたら、リコールもんでしょ
 
足が悪くなり杖が手放せない両親は、この高さの上り下りでもひと苦労。
なので家にあった黄色いりんご箱を、踏み台にした。
ステップワゴンやセレナなどの「低床ミニバン」に買い換えようと思ったのも、この両親を思ってのこと。
姉も近々クルマを買い換えるそうだが、車いす対応のクルマにするらしい。
 
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納棺中の図
おばあちゃんには子供が6人いて、孫が10人、ひ孫も5人いる。
家族葬」と聞いていたので内輪でひっそりかと思ったが、内輪だけでも30人以上が集まり、かなりにぎやか。
 
初めて会う親戚もたくさんいて、覚えきれない。
 
横浜と甲府にいる姉の息子たちも帰省していた。
長男は今年30歳になるという。
帰省するたび私のクルマやバイクに乗りたいと喜んでいた子供が、いつのまにか立派な大人になっていた。
 
高校時代から付き合っている彼女もいるそうで、まわりの話題は「いつ連れて来るんだ」
 
正月に実家に連れてきて、この一族全員が集まっていては、彼女も驚くだろうなァ。
 
「まずは東京のおじちゃんに紹介するよ」とのことなので、タノシミがひとつ増えた。
 
転職も考えているらしい。
こんな大変な時代に大丈夫かと思いながら、まぁ自分の人生だから歳とって後悔しないようにって伝えた。
 
 
父が笑いながら「次にみんなと会うときは、オレは{あっち側}かな」って。
 
86歳になり最近は、「同級生で男はオレ一人になっちまった」が口ぐせの父
 
「そんなことないよ」って言えなかった...................。
 
親戚たちもなんとなくわかるのか、みんなが両親に話しかけてくれた。
 
実家に帰るクルマのなかでほろ酔い加減の父が、「みんなに会えてよかったよ、ありがとう」って。
 
運転しながら涙があふれて、視界がぼやけた。
 
 
帰宅して両親とお茶を飲む。
娘がいないとシーンとして本当に静かだが、やっぱりさびしくてみんな無口になる。
あと何度、両親に娘を見せられるのか。
 
 
翌日はくもり空で肌寒い。
 
両親と昼から葬儀に参列して、そのまま「お斎(おとき)」へ
 
「お斎」なんて最近はあまり聞かないが、葬儀の後の食事会のこと。
 
昨日に続いての宴席では、さすがに両親もお疲れのようなので、1時間ほどで斎場をあとにした。
 
帰り道の小布施で妻に頼まれていた「栗」を、土産に買う。
 
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先日姉から同じものを送ってもらったが、妻はあまりに大きくて立派な栗で驚いていた。
栗ごはんと渋皮煮に挑戦したが、納得のいく出来ではなかったようで、
「リベンジするから買ってきて」って
 
町の直売所で1kg1500円から2000円とかなり高いが、東京のスーパーで売っている栗の4倍の大きさ。
これなら面倒な皮もむきやすい
 
私が子供のころの小布施町は、わが須坂市ベッドタウンで、栗菓子と岩松院にある葛飾北斎が描いた天井画くらいしか、名物はなかった。
それが私が地元を離れた30年のあいだに、名産の栗や葛飾北斎が遺した作品を観光の目玉にして、映画のセットのように整備された数百メートルのメインストリートを中心に、今では平日でも観光客があふれている。
 
都会の人に出身地を聞かれて、「須坂市です」と言っても知らない人が多いが、「小布施のとなりの」というと、「ああ、このまえ旅行で{通った}よ」と言われることが多くなった
(「須坂?あー知ってる、八ヶ岳の近くでしょ?」って言う人がいるが、それは「須玉」です)。
 
昔は税収の少なかった小布施町が、富士通の工場で栄えていた須坂市と、合併したいと言っていたのが、10年前その富士通が海外に移転してしまい、いっきにさびれてしまった須坂市が、今が盛りの小布施町に合併を持ちかけても、見向きもされないらしい。
 
山田温泉、山田牧場のある高山村も、昔は須坂市ベッドタウンだったが、最近は「秘境」ということでにわかに脚光を浴びているようだ。
このままいくと須坂は高山村にも置いて行かれるのではないかと、帰省してシャッター通りになった町を走るたび、強く感じる。
 
金曜は用事があったので、来月にまた家族で来るからと両親に告げて、木曜夜に帰京した。
 
雨が降るなか窓ガラスの代わりにビニールを張って高速に乗ったが、横川SAを過ぎたあたりでビニールが後ろからはがれて、バタバタうるさくなってきた。
 
次のサービスエリアは藤岡だったか。まだ遠いなァ.......
右手でバタつくビニールを押さえながら、片手運転で走る。
 
20分もウデをあげたまま走るとだんだんしびれてきて、いっそビニールをはがしてしまおうかと思ったりするが、外は雨で風も冷たいし、80km/h以上にスピードを上げると、押さえているビニールが風で吹き飛ばされそうになる。
 
いいかげん疲れたところで「甘楽PA」が見えてきて、本当にホッとした。
 
テープで補修してまた走り出すが、雨は激しくなり止む気配はない。
 
走りだして関越と合流したところで、こんどはいっきに前側からビニールがはがれた。
 
「!!!!!」
あわててまた手で押さえて走るが、数キロで上里SAが見えてまたホッとした。
 
次はがれたらもうビニールを取って走ろうと心に決めて、ありったけのテープでビニールを留める。
 
濡れると貼れないので屋根のある、身障者用のPにクルマを留めて作業していると、ちょうどトイレの前なので観光客の団体が、ベンツの窓ガラスにビニールを貼っている、不思議な光景にみんな足を止めて見ていた。
 
なんとか9時半ごろ無事帰宅。
 
道は空いていたが、なにかとても疲れた..............
 
妻と娘は寝ているだろうから、そっと玄関のドアを開けたら、「あっパパだ!!」と娘の声が。
 
ドタドタと走る音が聞こえた次の瞬間、娘が私の胸に飛び込んできた。
 
「パパー、あいたかったよ~」って言われて、「パパもだよ~」と思いきり抱きしめたら、涙があふれて疲れも吹っ飛んでしまった。