R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

ももくりさんねん かきはちねん

バイク仲間だったMさんから、はがきが届いた。
 
「喪中のお知らせ」の一番下には、去年生まれた娘さんの写真が........
 
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娘さんは今年3月に夭逝、
5か月の短い生涯だった(知らなかった.........)。
 
MさんとはKTM世田谷リベルタの、A社長の紹介で知り合った。
A社長は元ポルシェのメカで、Mさんは元部下。
バイクが好きなAさんは、脱サラしてKTMディーラーを始めたが、根っからのバイク、それもオフ好きだった。
 
Mさんを誘ってアサマファンライドに行ったとき、KTMの最新2st250なのにアクセルをあまり開けず、低速で「モーモー」走っていたので、「モーモーちゃん」と呼んでいたのもなつかしい(ゴメンネ)。
 
おたがい結婚して会う機会も減ったが、年に一度の割合でMさんがポルシェディーラー時代に通ったという、世田谷通りのビストロで食事をしていた。
 
Mさんの葉書には
「妊娠8カ月目で先天性の病気が分かり」
 
「無事出産できたことは奇跡だった」と書かれていた。
 
生後5カ月といえば「おっぱい飲んでウンチして寝る」の繰り返しで、うちの娘のころを思い出しても、寝ているか泣いているかしか覚えていないが、彼ら夫妻には毎日が、「今日生きていることへの感謝」の日々だったろう。
 
もし自分の娘が突然死んでしまったら、きっと生きていられないんじゃないかと、最近思う。
 
毎日のように親の虐待で殺されたり、病気や事故で子供が亡くなるなか、小さな子どもたちが元気に暮らせていることは、奇跡なのかもしれない。
 
どんなに愛情を注いでも、叶わない運命も受け入れなければならないのかもしれないが、3月に愛娘を失くしたMさん夫妻は、どんな思いで毎日を暮らしてこられたのか。
 
 
 
娘の好きな絵本にクリと柿がでてくる。
 
娘に「ももくりさんねん」って言ったら、「かきはちねん」って答えるんだよと教えたところ、得意になって覚えてしまった。
 
今朝保育園に送ったとき、先生に「ももくりさんねんって言ってみてください」と耳打ちしたら、
帰りにもらう連絡帳には、「かきはちね~ん!と元気に答えてくれました」と、◎で書かれていた。
 
この子の心臓がだめになったら、ためらわずに私のを差し出すだろう。
 
Mさんも代われるものなら、娘さんの病気を代わってやりたかったんじゃないか。
今はかける言葉もないが、いつかまたあの店で食事をしながら、いろいろ話しをしたいものだ。
 
将来、娘にこんなことを言われるまで、なんとか生きていられれば。
 
seraちゃん 天国からパパとママを見守ってあげてね