R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

帰省

母親のお見舞いと相続の打ち合わせのため、金曜夜から家族で長野に帰省した。
 
夜10時に実家に着いたが、誰もいない家は灯りも消えて静まり返っている。
 
灯りをつけると前回帰るときそのまま、祭壇に父の遺影と遺骨が置かれていた。
真っ暗な家にひとり残していたことを本当に申し訳なく思い、父の遺影に詫びた。
 
お風呂に入り寝たのは12時過ぎだったが、翌朝は7時前に目が覚めた。
予報では週末は荒れ模様とのことだが、土曜の午前中は曇り。
娘も「こうえんいく~」と言うので、散歩に出た。
 
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私が通った小学校の校庭。
築100年の木造校舎はコンクリートになり、すべり台もブランコも新しくなったが、この木は昔のまま。
 
「仰ぎ見る日本アルプス~♪」
中学も高校も校歌は忘れてしまったが、小学校の校歌は不思議と今でもスラスラ出てくる。
(県歌の「信濃の国」は長野県民ならもちろん歌える)。
 
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右手のトチの木もよく登って遊んだ。
奥の山が臥竜山
冬の体育の授業では、校庭からスキーを履いて歩いて行った。
 
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もう少し咲いているかと思ったが、まだつぼみ。
 

少し肌寒いが池の真ん中にある弁天島で、朝食を食べる。
 
弁天島は子供のころよくかくれんぼをして遊んだが、来たのは30年ぶり。
来週あたり大勢の花見客でにぎわうのだろう
 
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いつの間にか橋の向こうに人だかりが。
来週から始まる桜祭りの前に、有志が集まってゴミ拾いをするらしい。
100人以上集まっていて、出て行きづらくなってしまった......。
 
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「ボートのる~」という娘のリクエストで、こちらも30年ぶりに乗船。
「9時から営業」だったがまだ8時45分。
ボート小屋のおじさんは「いいよ」と快く乗せてくれた。
 
池のカモや鯉のエサ用に食パンを持ってきたが、1mはある鯉がたくさん寄って来て、「転覆するのでは?」とちょっとビビる。
 
帰宅すると姉夫婦がやってきて、相続の手続きや生命保険、預金の解約について説明してくれた。
長男でありながら離れていて何もできない私に代わり、毎日実家に来ては弔問客の相手や、家の片づけをしてくれて、本当に申し訳なく思う。
 
 
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前回は集中治療室だったので、小さい子供は面会できなかったが、あれから4人部屋に移れたので、今日は娘にも会わせることができた。
 
手足は動くが歩くことはとても無理。
それでも車いすで病院内を動く許可は出て、気晴らしに散歩をする。
 
首から上がマヒしているので、話すことも笑うこともできないが、以前より元気になったようで、ちょっとだけホッとした。
 
とはいえ食事もできないので鼻からチューブで栄養を摂っているが、リハビリ病院に転院するには「胃ろう」をしないと、どこも受け入れてくれないらしく、月曜に胃ろうの手術が決まった。
 
リハビリ病院はどこも満員で、姉曰く「全部に申請しておいて、空いたらすぐ転院させる」とのこと。
 
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病室の窓からは戸隠や妙高が望めるが、ベッドから起き上がれない母には見ることができない。
 
 
帰宅するころには雨が降ってきた。
娘と妻が昼寝をしたので、葬儀に来てくれた同級生らに香典返しの菓子を配って回ることに。
 
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右側の建物はホリエモンが最近出所した長野刑務所。
 
目の前には自動車教習所があったり、正面の赤い看板は駅前のジャスコと、住宅街の外れにある。
ここは刑の軽い受刑者が入るところなので、刑務所の塀も低く、同級生の家もここから50mのところにある。
 
翌日曜も帰京する前、見舞いに行った。
ベッドにあがった娘が母親の手を握りながら、「おばあちゃんげんきになってね」と言うと、
母も動かない口で「う~う~」と答えてくれた。
 
どんな名医やクスリより、孫の励ましがなによりの妙薬だろう。
娘が毎日励ましてくれたら、ひょっとして奇跡が起きるのかもしれないが、
私たち親の都合でそれが出来ないのが、本当に申し訳ない。
 
実家もこのまま誰も住まなくなれば、いづれは朽ち果ててしまうだろう。
母親に万が一のことがあったら、姉夫婦に実家を使ってくれるようお願いした。
 
四十九日法要は5月6日に決まり、納骨から食事の手配まですべて、姉にやってもらった。
できれば臥竜公園の桜を見に、娘を連れて4月中にもう一度来たいが、ちょっと難しいか。
 
東京で結婚し娘も生まれた今、もう長野に帰ることはできないだろう。
なので妻には少しでも両親の近くに住まわせてやりたいと思い、妻の実家がある自由が丘の近くに家を探していた。
両親は無理して近くに住まなくてもいいと言うが、今は元気でもあと10年もしたら、私の親の歳になる。
私も親も10年前は「施設に入るから心配するな」と言っていたが、80歳を境に気力体力も衰え、一気に弱気になるものだ。
それを言ったら両親も黙ってしまったが、私たちも今のうちでないとローンも組めなくなるし、歳をとって働けなくなったときローンが残っても困る。。
 
たまたま実家から歩いて5分のところにマンションの出物があり、駐車場3台の権利が付くので購入を決めたが、保育園を探すと半径1キロ圏内に,、区立の保育園が一軒もないことが判明した。
民間の保育園ももちろんどこも満員だが、たくさんある幼稚園は園児が集まらず、定員割れとのこと。
 
もともとこの地域は裕福な家庭が多く、奥さんは専業主婦で子供は幼稚園に通わせていたようだが、
ここ数年で働く女性が増え、保育時間の短い幼稚園では、子供を預けられないのが原因のようだが、共働きのウチも例外ではない。
 
小学校も生徒が減っているので、こちらはいつでも入れるそうだが、娘は3歳なのでまだまだ先の話し。
なので残念だが娘が小学校にあがるまでの3年間、購入はあきらめた。
 
娘の同級生に妹が産まれ、同じ保育園に申し込みをしているらしいが、5人の定員に50人待ちとのこと。
いまどきは兄弟で同じ保育園に通える子供は、奇跡といっても過言でないらしい。
 
 
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今日は代々木上原のS君の美容室「RIGID」で、髪を切ってもらった。
 
S君も男の子の父親だが、渋谷区は保育園を大幅に増やして、待機児童ゼロも目前らしい。
 
世田谷区や他の区ももっとがんばらないと、そのうち東京が老人の街になるんじゃないかと、心配になる。
国は少子化対策なんて難しく考えずに、二人産んだら税金が半分、
3人産んだらタダにすれば、3人兄弟が一気に増えるのではないか。
 
毎週観ていた重松清原作のドラマ「とんび」。
事故で妻を失くした男ヤスが、不器用ながら一人息子を育て上げる話しで、子自分も子供のことを思っては、毎回涙した。
主題歌を歌う福山雅治は、「桜坂」くらいしか知らなかったが、毎回エンディングで流れる「誕生日には白い百合を」のイントロが聞こえてくると、また泣けてきた。