R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

富士山の思い出

富士山が世界遺産に登録された。
やっと、というべきか、まだ早いというべきか。
 
オフロードバイクに目覚めて川崎の津田山ブラザースと知り合い、東京から1時間ちょっとで行ける富士山に、よく自走で走りに行った。
 
演習場からの登頂アタックや、精進口、河津口のガレ場も、イリーガルながらまだ走れた。
Y君の父上らバイクの大先輩たちは、50年前にバイクを担いで、頂上まで登ったらしいが、
オフロードブームのころはクロカン系四駆が、ガードレールを外して沢を走り回り、山のなかへの不法投棄も増えた。
地元の営林署や警察の取り締まりが厳しくなり、いたるところにゲートや鉄条網が張り巡らされた。
自然保護ブームも手伝って、伊豆の林道も含めてクルマやバイクでの入山が困難になった。
 
それでもゲートをくぐって走っていると、巡回中のパトカーに遭遇。
さすがにダートは追いかけられないが、スピーカーで警告を受けたのも、2度や3度ではない。
いい歳して怒られるのも嫌になり、2007年ファラオ用に作ったマシンの、シェイクダウンが最後だった。
 
 
一番思い出に残っているのは、S師匠らとXR400で初めて登頂アタックしたときのこと。
ザクザクの火山灰を登れるところまで登り、急傾斜にバイクを停めて、火星のような景色のなかを歩いて探検した。
しばらくしてバイクに戻ったら、強風でバイクが倒れていた。
起こすとミラーにかけていたはずのヘルメットがない。
あたりを探すと急傾斜で転がったヘルメットは、100m以上も下で見つかったが、前日にペイントしてもらったばかりのヘルメットは、転がったとき火山灰がサンドブラストになり、塗装もはげてボロボロ.....
グローブとゴーグルは風で飛んで行ってしまったのか、ついに見つからなかった。
仕方ないので探し回っているときに拾った、うすいブルーのサングラスをかけ、整備用に持っていた軍手をはめて下山した。
富士は登るより下るほうが100倍怖い。
砂丘と同じで下りでもアクセルを開けていないと、ザクザクの火山灰に前輪が埋まって、前転してしまう。
雨水の流れるルートが巨大なクレバスになり、落ちたら大変だが下っていると見えないことも多い。
このサングラスもサンドブラストされていて、表面がガリガリでよく見えず、ストンと落ちる窪地にハマっては、何度も前転しそうになった。
 
雨も降ってきたがせっかくだからと、今はもう走れないだろう金時林道にも行った。
 
ガリガリのサングラスは雨でギラギラ、ますます見えないが、S師匠らに置いて行かれまいと、必死についていく。
 
帰りのR246はもう日も暮れて、クルマの脇をすり抜けるのに、このガリガリギラギラのサングラスは危険すぎる。
なので雨で目が開けられないなかサングラスを外して、必死に追いかけた
(よく事故に遭わなかったものだ)
 
これもS師匠、A師匠らと行った、富士の上九一色村
オウム真理教サティアンで有名になった近くに、「富士ガリバー王国」があった。
行ったことはないまま閉鎖してしまったが、オフローダーには「ガレバー王国」として有名だった。
アタマほどの岩がゴロゴロしていて、クレバスだらけでガレガレの林道を、アフリカツインで走るのはベリーデンジャラス。
 
むかしから「ワレメ」が好きな私は、すぐクレバスに突っ込むが、
それを見たA師匠から、「ワレ目好き」とあだ名されたのも、なつかしい思い出。
 
富士を走っていると、突然大きな動物の群れに出くわす。
「オオカミか?」と思ったら、捨てられて野生化したシベリアンハスキーや、
 
空にはアフリカで見かけるような、色鮮やかな鳥の群れが。
よく見るとこれも逃げたのか捨てられたのか、野生化したオウムやインコの群れだった。
 
そんな富士も世界遺産に登録されて、自然保護と観光化に拍車がかかれば、
ますますオフローダーの走れるフィールドはなくなるだろう。
 
実は一度も自分のアシで登ったことはないが、ただでさえ大渋滞するという登山道に、
今後世界中から観光客が押し寄せれば、事故も激増するだろう。
 
「富士山に一度も登らないバカ、何度も登るバカ」なんて、ことわざがあったような、ないような。
 
御来光なんて拝まなくていいから、足腰が元気なうちに昼間に一度、登ってみたいものだ。