R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

さようなら

連休後半5、6日は、父親の四十九日法要と、母親の見舞いで帰省。
 
関越が渋滞しては大変なので、5日の朝6時に出発。
首都高も外環道も、関越も意外に空いていて、途中オシッコ休憩しながらゆっくり行っても、
9時半には須坂ICに着いた。
 
子供の日のこの時期は、毎年ちかくの百々川(どどがわ)に、100匹以上の鯉のぼりが飾られるので、
今年もやっているかとちょっと寄り道してみた。
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遠くに日本アルプスも見えて、いい天気。
娘はこんなにたくさんのタンポポを見るのは初めてなので、ハイジにでもなったように大興奮だった。
 
法要&納骨は明日なので、今日の予定は母親の見舞いだけ。
先週、同じ長野市内だが姉の住む中野市に近い、豊野の病院に転院できたので、姉と一緒に見舞いに行くことにしていた。
 
姉が来るまで時間があったので、家族で近所の臥竜公園へ散歩に行く。
桜は散ってしまったが新緑の緑が目に優しくて、桜より好きだ。
 
動物園に行って
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先日NHKの「ダーウィンが来た」でも取り上げられた、脱走ペンギンを見て
 
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ハイジに出てくる「大角のだんな」を見て
 
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新しく仲間入りしたカピバラを見て
 
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この動物園に来て20年以上、
推定90歳のマントヒヒの夫婦。
かいがいしくオスの毛づくろいをしているメスを見ていると、仲のよかった両親を思い出す。
 
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がお~って
「珍獣」の親子も........ん?
 
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一番喜んでいたのが動物園のとなりの遊園地に置いてある消防車。
順番待ちで他の子も並んでいるのに、いやだ~って居座る娘。
 
そろそろ姉が来る時間なので、「もっとあそぶ~!!!」という娘を無理やり引きずって、実家へ急ぐ。
 
 
 

 
母親の見舞いに行きがてら、ロードサイドのレストランで昼食
人生初「お子様ランチ」に大興奮
子供は息子二人で「娘も欲しかった」という姉は、娘がかわいくて仕方ないらしい。
甥っ子たちも早く孫を見せられるよう、まずは身を固めて欲しいと思うが、
自分もそのころは遊ぶのが忙しくて、それどころではなかったなと、反省する。
 
 
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母親は首から上が動かないので「胃ろう」をしているが、3月の入院時より顔色もよく元気そうだった。
 
田舎の病院は「胃ろう」をしないと、受け入れてくれないところが多いが、それでも増え続ける高齢者に病院が足らず、ここも「基本3か月」しかいられない。
遠方でなにも出来ない長男に代わり、姉夫婦が次の転院先をいろいろ申し込んでくれているそうだ。
 
娘のアタマのティアラは、お子様ランチのおまけ。
娘がつけるとどう見ても、修験者など山伏がアタマにつけている「頭襟(ときん)」にしか見えない........
 
母親はあいかわらずしゃべれないが、目も半分見えるし耳も聞こえる。
焦点がうまく定まらない目を覗きこむと目が合うが、すこし濁ってしまった目で見つめられると、
たまにしか見舞いに来れない自分が情けなくて、思わず目をそむけてしまった。
 
娘も今まで実家で遊んでくれたおばあちゃんと、ベッドで動けない母に違和感があるのか、
枕元で話しをさせようとしても、すぐ嫌がってしまう。
それでも手や顔をさすりながら、「おばあちゃんはやくげんきになってね」と話しかけると、
私の声では反応しなかった母が、大きく顔や手を動かして喜んでくれた。
 
あいかわらず父が亡くなったことを、母はまだ知らない。
5年前に大病してからは病院に行く以外、ほとんど外出したがらない父だったので、
お見舞いに来ないことも不思議ではないと、母が思ってくれればいいが、3月18日に父が亡くなってからもう1か月以上、姉も父のことを言わないので、父になにかあったかと気づいているのではないか。
 
そう思うとまた息苦しくなり、余計に母と目を合わせられなくなってしまった。
 
姉も母の前では気丈にふるまっているが、
「いつか言わなければと思うと、気が重いのよね」と言っていた。
 
昔のように元気になることはないのだろうが、もし父の死を知らずに母が亡くなったら、
あちらの世界で迷ってしまうのではないかと、つい余計なことまで考えてしまう。
 
「またくるね」と言って、いろいろな気持ちを引きずりながら、病院をあとにした。
 
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病院の帰りは田舎道なのに大渋滞。
「こんな田舎で渋滞とは事故でもあったか?」と思ったら、小布施橋の土手が見渡す限り、菜の花で真っ黄色だった。
 
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土手の上は桜が満開。
花見の見物渋滞だった。
母の見舞いのあとでクルマのなかは、ちょっと重い空気だったが、ひさびさに桜を見て、少しだけ気持ちが和んだ。
 
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朝晩はぐっと冷え込むが、昼がこんなに暑いとは思わなかった。
日差しも強いが娘の帽子を持ってこなかったので、地元の「しまむら」でシマムる。
「シマラー」ということばがあるくらいで、しまむらはギャルとオバサン向けしかないと思っていたが、
意外に小さい子供向けも充実していて、いろいろ物色中の図。
 
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翌6日は父の納骨と四十九日法要
 
親戚もほとんど亡くなっているので、10人ほどの内輪でひっそりと。
 
東京は骨壷のまま墓に収めるようだが、こちらは焼いた骨を直接「桐の箱」に収め、
それを墓の下に「ザーッと」撒いておしまい。
 
墓の石板をずらすと土色になった骨が見えた。
30年前に亡くなった祖母のものだった。
火葬したときのように親族が、骨を一つ一つ箸でつまんで入れるのかと思ったら、
「喪主さんがそのまま撒いていいですよ」と、菩提寺の住職に言われた。
撒いたあと手で平らに「ならし」て土に還るようにし、最後にのどぼとけを乗せた。
 
田舎の両親が亡くなり、帰るふるさとを無くした人は、いづれ墓参りの足も遠のくという。
 私も東京に暮らすようになり、いづれ実家も無くなるだろう。
そのときにこの墓をどうするのか。
東京近郊に墓を買って両親や先祖に来てもらうのも、自分の都合で申し訳ないが、
遺された妻や娘にはるばる長野まで、墓参りしてもらうのも難しいだろう。
 
納骨のあとは四十九日法要が、近所の懐石料理店で行われた。
 
私が田舎を嫌いだった理由の一つが、自宅に大勢の人を招いて酒盛りをすることだった。
そういう席には必ずといっていいほど、酒を無理強いするオヤジがいるが、
下戸に近い私は飲めない酒を無理やり飲まされるのが、苦痛で仕方なかった。
 
それでも父の葬儀でしばらくぶりに、実家に親戚が集まり酒を酌み交わしてみると、本当に田舎の気のいいオジサンオバサンたちで、あれほど苦手だった宴会が楽しくて仕方がなかった。
 
今回は法要が終わったら帰京するので飲めなかったが、次回この年老いた親戚たちと会うときは、
「あちらとこちら」になるかもしれない。
 
とりあえず8月1日は父の弟で去年亡くなった、T叔父の一周忌でまた親戚が集まるという。
 
私も謹んで参加させていただき、人生の先輩たちと酒を酌み交わしたい。
 
父や田舎のおじさんたちは、自分のことより他人の心配をする、この歌の主人公のような人生だろう
 
 お父さん、これで本当にお別れだね。
今まで育ててくれてありがとう。