カフェしなの

TREK とKONAとEVILと、たまに1250 GS HP

墓参り&お見舞い part2

 
 明け方に寒くて目を覚ます。
開いていた窓を閉めて、布団を引っ張り出して再び熟睡。
 
先日のブログに書いたが、フィリピンに里帰りした知人の奥さんが、「日本のほうが暑い」って。
本当にこんな暑いなか暮らしていたら、長生きできないんじゃないかとたまに思う。
(夏は涼しい長野で暮らせるように、ちょっと急がないとかナ)
 
それでも日が昇ると標高400mとはいえ、善光寺平という広大な盆地のなかにある実家は暑くなる。
なので早めに墓参りに行った。
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ここは市営の霊園だが山のふもとなので、年寄りは歩いて来れない(標高700m)。
山を切り拓いて霊園を広げてきたが、駐車場も小さく毎年お盆の時期は大渋滞になる。
駐車場の増設やもっと町に近いところに霊園を作るとか、市は対応に頭を悩ませているらしい。
 
母の見舞いに行く前に、幼なじみのA君の家に寄った。
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高校で一緒だったA君の影響で、バイクに乗り始めた。
1年生のとき原付免許を取り、父が知り合いからダックス50をもらってきてくれて、酒屋のT君のメイト50とA君のTT125の3台で、新潟の海までキャンプツーリングをした。
 
今のように高速もなくひたすらR18を走ったが、真夏の炎天下にノーヘル、下りで50km/hしかでないダックスでは暑すぎて、A君には悪いが何度も休憩をした。
30数年前なのでコンビニもなく、国道沿いのトラックステーションで休憩していると、運転手さんがかわいそうに思ったのか、クーラーボックスから冷えたビンのコーラをごちそうしてくれたのも、いい思い出。
 
東京の大学を出て家業を継いだA君。
バイク道楽は相変わらずで、多いときは20台くらい保管していた。
私が初めてバイクでダート走った、「ロシアンラリー」のときのXRバハも、A君から借りたもの。
3人の子供が出来て上二人は大学生。
お金もかかるのでバイクはほとんど処分したというが、それでもハーレーにCB750(Kゼロ)に、昔私が乗っていたCB250改は残していた。
 
このCB250、ホワイトハウスのシングルシートに、チェリアーニのサス、ステダン、削り出しバックステップにメーターパネルは自作、
このあとトマゼリのセパハンつけて、プレスのおじさんたちと弾丸ツーリングによく行ったが、250ccながら軽量で狭いハンドル幅は、首都高の高速すり抜けで、威力を発揮した
(今思えばただの蛮勇、本当によく無事だったものだ)。
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91年、なつかしい
 
A君の家に行くと、一番下の息子が出てきて、私のGSをカメラでパシャり
 
「こいつバイクが大好きなんだよ」って。
中学2年生だが小学生の時から、ハーレー本のバイブスが愛読書
(エッチなグラビアは先に切り取るらしい)。
 
以前はゴールドウィングに乗っていたA君も、「ハーレーにして」と息子に懇願されて、以来、バイブスなどのハーレーミーティングに北海道から九州まで、親子タンデムで参加しているらしい。
 
もう一台ハーレーも買って(名前を忘れた、フロント21インチ、リア19インチのローライダーみたいなやつ)、現在ショップで改造中とか。
車両は中古で190万だけど、パーツが250万かかったって.....
 
「還暦までローン組んだ」らしいが、あと数年で息子が免許を取ってくれれば、今度は2台でツーリングも夢ではない。
「全国どこへ行くにも長野からなら渋滞しないで行けるので、最高だよ」って。
たしかに東京に出なくても関越、中央を使えばどこにでも行ける。
「お前も早く帰ってきて、また一緒にツーリング行こうぜ」って、うらやましいことこの上ない。
 
理解ある奥さんとこれから楽しみな息子がいて、本当に幸せ者だ。
 
 
A君に別れを告げ、母の見舞いに行く。
姉は夕方に行くそうなので、見舞いからそのまま帰京することにした。
 
母は寝ていたが呼ぶと目を覚まし、私の顔を見てまた「う~う~」と言う。
また娘の動画を見せると、目に涙をためて見入っていた。
「今度は娘も連れてくるね」と言うと、不自由な手を伸ばしてきた。
顔を寄せると両手で抱き締められ、ドキッとした。
 
しばらくそのままでいると泣いてる子供をあやすように、母の手が私の背中を「トントン」って叩く。
「大丈夫だよ」って言われてるようで、「オレ、なんにも出来なくてゴメンね」って。
母との思い出がよみがえり、涙が止まらなかった。
 
「胃ろうしてまで生かす必要はない」と言う人もいるが、これだけ元気になってくれるなら、可能な限り生き続けて欲しい。
だって死んでしまったらもう二度と会えないんだから。
今でも父の写真を見るたび、亡くなったことが受け入れられない自分がいる
(母はまだ父が亡くなったことを知らない)。
歩いて欲しいとかしゃべれるようになって欲しいとか、ぜいたくは望まないから、あと5年でも10年でも生き永らえて欲しいと、心から願う。
 
母に別れを告げ病室を出ると、たくさんの老人が車いすに乗ったまま、うす暗い廊下にたたずんでいた。
 
それでも飾られていた七夕の短冊には
 
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たまえちゃん最高
 
まだ11時。
このまま高速で帰ってももったいないので、北軽井沢で不動産会社をやっている、Aさんのところに寄っていくことに。
菅平を超え鳥居峠からつま恋を抜けて、北軽井沢へ。
アサマファンライドに来ていたころは定期的に来ていたが、子供が産まれてKTMを手放してから、本当に久しぶり。
ちょっと早く着いたのでアサマのときいつも買い出しをした、地元のコンビニ「セーブオン」でお昼を食べようと思ったら、すぐ隣にセブンイレブンが出来ていた。
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この辺に観光にくる人はほとんどが関東の人なので、マイナーなセーブオンよりセブンイレブンのほうが、混んでいた。
あとでAさんに聞いても、「前はセーブオンしかなかったので、セブンイレブンが出来て売り上げが半減した」って。
おにぎり100円セール中だったので、申し訳ないが今回はセブンイレブン
 
Aさんとは10年ほど前に通っていた、大崎の歯医者さんで知り合った。
この歯医者さんもバブル全盛期、銀座でブイブイならした御仁。
治療の予約をして行くと、看護婦さんが申し訳なさそうに「今日は先生お休みです」って。
前日に飲み過ぎたり徹夜マージャンをやると、必ず次の日は休みで、ひどいときは1週間のうち1日しか出て来なかったことも。
それでも数十年やってこれたのは、先生の憎めないキャラクターのせい。
黒塗りのクルマに若い衆が一緒の親分も患者で来ていたが、みんないい人だった。
 
私の治療時間は必ず11時。
治療が始まる前に先生が「なに食べる?」って聞き、私が「いつものお願いします」と答える。
看護婦さんが近所の食堂に電話して、「ショウガ焼き定食ふたつとなめこ汁ふたつ」と出前を頼む。
治療が終わるころ食堂のおじさんが出前に来て、「ショウガ焼きっていうからあんただと思ったよ」って。
 
甘党の先生はお菓子も大好き
歯医者に治療に行ったのに、毎回、和菓子やケーキをごちそうになって帰った。
その先生が心筋梗塞で急死して5年。
もうあんなハチャメチャな先生にはお目にかかれない(あっシーナ先生がいたか
 
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Aさんの事務所の裏山。
8000坪の敷地のなかに小川も流れていて、森で暮らしたい人がいたら、ぜひ買って欲しい。
先祖代々の地主で、見渡す限りぜんぶ自分の土地とか。
75歳になったAさんだが、息子二人は家業を継がず、サラリーマンをしているらしい。
「最近おしっこが近くてねぇ」って、そこらの茂みで用を足していた。
 
軽井沢にはビルゲイツも別荘を建築中とか。
ヘリポートがあれば東京まで15分で行けるらしい。
 
新幹線も中軽井沢から東京まで1時間ちょっとで行けるので、実家にこだわらず軽井沢でもいいのかな、なんて思ったりして。
でも冬は雪が降り寒いので、Aさんのところも「営業期間は5月から11月まで」にしている。
夏は長野に住んで、冬は東京がいいのかもしれない(ハワイでもいいけど)
 
2時を過ぎてしまったので、もう軽井沢へ下りる道は渋滞しているだろう。
Aさんから「二度上げ峠抜けて高崎に出ればいい」と言われ、Aさんに別れを告げ出発。
(もっと時間があったら北軽のえびまんで、ごはん食べたかった)
 
二度上げ峠、初めて走ったけど、クルマがいなければワインディングが楽しい。
下界に近づくにつれ暑くなってきて、高崎市内はもう熱波で、ドライヤーの熱風のよう。
この熱風はどこかで受けたことがあると思い出すと、エジプトのサハラ砂漠だった。
サハラのほうが湿度がないのでカラッとしているが、高速までの国道も渋滞していて、暑いなかひたすら路肩を走りながら、「これなら軽井沢か佐久から高速に乗って、すり抜けした方が楽だったかも」と思う。
 
なんとか高崎ICに到着。
この時点でもう4時。
たぶん関越は大渋滞だろうから、すり抜けしても帰宅は6時過ぎだろう。
とりあえず一番近い上里SAに入り、冷たいコーラを飲みながら妻にメール。
 
渋滞情報は「鶴ヶ島まで40キロ渋滞」
鶴ヶ島の先もどうせ練馬まで渋滞しているのだから、70キロ渋滞か。
それでも中央高速の渋滞より走りやすく感じるのは、なぜだろう。
 
またひたすらすり抜け。
革ツナギに身を包んだレーサーレプリカ軍団のくせに、トロトロすり抜けしている連中にさすがに腹が立ち、別の車線から追い抜く。
どかないクルマをマフラーの爆音であおるのは、本当に見苦しく同じバイク乗りと思われたくない。
 
私のあとを追ってくるライダーもいるが、先頭はリスクが大きいのですぐ道を譲り、彼らのあとにおとなしく続いて走る。
 
昨日来たときと違いかなり暑くなり、注意力も散漫になるが、それはクルマの人たちも同じこと。
フラフラと車線変更したり、暑さでキレたのか渋滞しているのに少しでも前に出ようと、右に左に忙しく車線変更するクルマもいて、危なっかしい。
 
ハーレー乗りのA君も言っていたが、初めてバイクの免許を取って、いきなりハーレーという人が多いらしい(信じられないね)。
案の定事故も多く、仲間やクラブでツーリングに行って、自分のウデ以上のペースで走り、自爆してしまうとか(まぁ自業自得か)。
サービスエリアで見かけるハーレーも、女性や若い男の子が増えたが、ただでさえ重くて乗りづらいのに、それを改造してローライダーやチョッパーにしたら、狭い日本の道路や渋滞では、安全にと言うほうがむずかしいだろう。
 
「オレなんか30年かかってやっとハーレーだよ」とは、A君の弁。
 
ファッションも若い人ほどイージーライダーヘルスエンジェルスを真似て、Tシャツにジーンズと軽装だが、私に言わせれば「Hell`s Angels(地獄の天使)」ではなく、「Health Angels(健康な天使ちゃん)」。
 
大型免許が教習所でだれでも簡単に取れるより、昔のように試験場の一発試験にしたほうが、乗り手も上手になっていいと思うが、外圧でそれも無理か。
 
 外環から首都高は空いていて、帰宅したのは笑点大喜利の3問目くらい。
すり抜けも疲れるが、暗くなって走るほうがもっと疲れるので、明るいうちに着けてひと安心。
 
お迎えしてくれた娘をギューって抱きしめながら、「今日はなにしてたの?」って聞くと、すかさず妻から携帯の写真を見せられた。
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玄関にタライで水浴びしてたって。
ビニールプール買ってあげようかナ