R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

いろいろあった週末(スガワラ編)

日曜は横浜マラソン(10キロだけど)
気合を入れるためいつものSくんのところで、髪を切ってもらう
 
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前回来たのは9月だったか。
ある程度伸びてうっとうしくなると、自分でジョキジョキしていたが、長いところと短いところがはっきり分かり、まるでヅラみたい。
クセっ毛なので多少はごまかせていたが、S君からも「あっここハゲてる~」って.....。
 
帰り際、お店の前でたたずむ、S君とデューク
 
先日GS乗りK内さんからデューク390が出る話しを聞いた。
KTM初のインド製で、125ccのボディに390ccのエンジンで44馬力もある。
一番の魅力は54万円という低価格(フツーのKTMの半値)。
 
 
私も街乗り用に欲しいと思ったが、もう日本発売分は予約締切らしい。
みんなよく知ってるなぁ。
 
土曜は仕事で広尾へ。
 
自転車でJRMの前を通ると、定休日のはずがシャッターが開いていて、バイクがちらっと見えた。
 
仕事の帰りに寄ってみると、
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やっぱりじ~じだった。
 
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来年の北海道4デイズとTBI用に、また改造していたらしい。
 
このジャケット&パンツも、マックスフリッツ製。
ブルーのジャケットはチームスガワラの別注らしく、お店でも入手困難とか。
「スガワラレプリカ」で売り出せば、10着くらい買うマニアはいるんじゃないか?
 
今日は新しいICOを取り付けたとか。
右はいつものICO
左が新型。
といってもアメリカ製ではなく、日本製とのこと。
今までのICOはミスコースして戻るとき、どのくらい戻ったか分からなくなるが(私だけ?)、これはリターンスイッチを押せば、ミスコース地点まで戻ればリセットされる(?)、じ~じ曰くなかなか優れモノらしい。
 
なにも目印のない砂漠でミスコースすると、もう戻るのが面倒になり、ものすごく危険なルート(道じゃない)を通る羽目になるが、TBIなどの林道は必ず目印があるので便利だろう。
砂丘で何度も転ぶと手元スイッチが砂を噛んでバカになり、ICO本体のボタンで操作したが、これは本体にボタンがない。
手元スイッチも防塵防水性がどうなのか分からないが、これもじ~じ曰く「大丈夫」って。
 
どこのメーカーか聞き忘れたが、マップホルダーも今までのストレートではなく、ICOと同じメーカーのもの。
 
ストレートに比べ軽量コンパクトになって、価格もお手頃らしい。
 
欧米と違い圧倒的に需要がない日本では、大量生産によるコストダウンはむずかしいだろうが、こういう製品を作ろうという精神に拍手を送りたい。
 
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「今日はこれからスポンサーさんのパーティーがあるんだよ」と、走り去るじ~じ。
 
ハスクからKTMに乗り替えて、モンド市川君のところでサスも「ちびっこ&老人仕様」にしてもらったようで、かなり自分仕様に出来あがっているらしい。
 
来年の北海道4デイズは黄門さまご一行として、お供をする予定だが、たぶんぶっつけ本番、数年ぶりのダートランになるので、うかうかするとあおられるのでは?と、ちょっと心配になる.....。
 
「事務所にI川さんがいるから、お茶飲んできなさいよ」と、ありがたいお言葉をいただき、自転車でのどがカラカラだったので、2階へお邪魔した。
 
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これをみてすぐレギュレーションブックと分かる人は、よほどのラリー通だろう。
 
来年のダカールラリーのモト&クワッドの、レギュレーションが書いてある。
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こんなカンジ。
フランス語とスペイン語ポルトガル語?)しか書いてないけど。
新型を投入する日野レンジャーやワークスチーム、
エンジン載せ換えなどの大改造をするプライベータでない限り、市販のポン付けパーツで出る人は、たぶん読まないだろう(読めないけど)
 
参加台数の少ない日本人には、レギュレーションはおろか現地でのブリーフィングも、いまだに日本語では行われない。
 
「昔はフランス語なんてわからないから、ルートブック捨ててたよ」って.......。
そんななか30年戦ってきたじ~じら先達にすれば、今出る人は手厚いサポート体制で、恵まれているはず
(昔はアドベンチャー色が強かったが、今はスプリントレースなので、別な意味で厳しいだろうが)。
 
あと数日で52歳。
保育園の父兄でも、たぶん私が一番年長か。
でも「もうトシだから」なんて、口が裂けても言えないし、言いたくもない。
60代にはSSERヤマダサン尾上さんらがいるし、20歳上にはじ~じが。
 
昔なら隠居しているはずの年配者が、自分よりはるかに精力的に動き回っていて、
自分が彼らの歳になったとき、果たして同じことをしていられるだろうか.....
 
80歳でエベレストに登った三浦雄一郎氏もすごいが、昨日の新聞で、「しいのみ学園」創設者の昇地三郎氏が、107歳で亡くなったことを知った。
 
障害者の二人のお子さんを学校に通わせたいと、「しいのみ学園」を作り、以来障害者教育に人生を捧げてきたことは、購読している「致知」という月刊誌に、何度も取り上げられていて、興味深く読んでいた。
 
10年後の予定まで自分で決めていたという昇地氏。
 
氏からみれば50なんて、まだ赤ん坊か鼻たれ小僧
 
ウルマンの青春の一節ではないが、
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」
 
ラリーに出るとかエベレストに登るとか、そんなすごいことでなくてもいい。 
定年後は家に閉じこもるのではなく、「まだ人生なかば」と次の目標に向かえるよう、今から心構えと体力だけは維持したい。
(私は60になっても娘がまだ12歳なので、もとより隠居は出来ないが.....) 
 
I川さん、いつもコーヒーごちそうさま。
 
じ~じ、立ちゴケしないでちゃんと帰れたかな~??