カフェしなの

TREK SUPER CALIBER改とたまに1250 GS HP

祝 ご結婚

19日はバイクの友人 Iさんの結婚式だった。
Iさんとは22年前に私が初めて出たオフロードイベント、「第1回ロシアンラリー」でウラジオストックへの出発地、新潟港で出会った。
 
バブルがはじけ仕事を失くし、人生に行き詰っていたとき、当時の主催者だった知人に「シベリアの大地をバイクで走ったら、きっと何かが変わるぞ」とそそのかされ、一度もダートを走ったことがないのにウキウキして出かけて行った顛末は、以前書いた。
 
長野の幼なじみのXRバハを借りて、雨のなかを自走で新潟港まで走ったが、私の知る新潟は海の無い長野県人が海水浴に行く直江津のこと。
新潟港はそこからさらに100km以上あり、あやうく集合時間に遅れそうになった。
 
なんとか新潟港に着くと、集合時刻は過ぎているのに、受け付けはまだやっていなかった
(このときスタッフにタービュランスI氏もいたのだが、この時はまるで知らず)。
 
埠頭をブラブラしていると、タバコを吸いながらボーっと海を見ている人がいた。
それがIさんとの初めての出会いだった。
 
当時は私もタバコを吸いながらなんとなく話すと、お互い東京から一人で来て、彼が広尾、私が恵比寿と、住んでいるところも近くて驚いた。
 
船は4人ひと部屋
主催者の配慮か年齢順になっていて、同い年のIさんとこれまた一緒。
 
イメージ 1
たぶんIさんが撮ってくれた
このときはまだ元気。
 
今思えばこの第1回ロシアンラリーには、日本中の錚々たるオフロードライダーが、参加していた(らしい)
第1回ラリーレイドモンゴルが始まる3年前で、日本人主催の初めての海外ラリーという触れ込みだったせいだが、スタートしてみれば私のようなツーリング気分のドシロートも多く、予想外の大雨で川は氾濫し、制限時間はあって無きもの。
途中からただの海外ツーリングになった(でなければ私が完走できるわけがない)
 
イメージ 2
 
 
オンコース上に突然戦車が現れて.....
こんなところもロシアらしい(タバコをあげたら記念撮影させてくれた)。
 
腰まで深い濁流の川渡りや(よく流されなかったものだ)
砂浜で1000回キックしてもかからない(基本、セル付きしか乗らない)
当り前だがどこまで行ってもダートしかない(未舗装なんて聞いてないよ)
 
毎日疲労困ぱい。
ヘロヘロになりながら、宿泊地の船「ルーシー号」に辿り着くと
「もういやだ!」
「もう走りたくない!!」
「もう(日本に)帰りたい!!!」
と毎日駄々をこねる私を、オフは先輩のIさんや同部屋でこれも京都のIさんら、ベテランライダーに助けられながら(おだてられながら)、なんとか走りきった(本当に何百回助けられたことか)
 
それでも日本で買った「ロシア語日常会話」で言葉を覚えて、毎日船のレストランのウェートレスさん相手に、
ダー・イチェ・ムニェー・パジャールスタ・マルク?」(私にミルクを下さい)
「スパシーバ」「ハラショー」などなどロシア語会話の勉強も、怠らなかった。
 
後年ロシアンパブ好きの友人に誘われ、錦糸町に行ったとき、ロシアンビューティーたちと国際交流できたのは、このときのおかげか。
 
あまりのつらさがトラウマになり、「もうオフロードは死んでもやらない!!!!」と固く誓って以来3年、
バイクはK100からR100RSと、ロードオンリーだったが、R100RSを事故で全損、次のバイク購入にあたり映画「ブラックレイン」で、マイケルダグラスが乗っていたハーレーが欲しくなったが名前が分からず(XLCRかと思ったが、実際はレプリカらしい)
 
ハーレー本を探しに行ったリンドバーグで出会ったパリダカ写真集で、オフの火が付いたのも、以前書いた
 
と、前置きが長くなったが、Iさんとはその後もグラミスに行ったり、アフリカツインでTLDを走ったりしていたが、映像製作を生業にしているIさんは、徹夜で事務所に籠もっていることが多く、いつのまにか一緒に走る機会も無くなっていた。
 
ビールが無くなって日本酒を飲みながらこのブログを書いていたら、すっかり酔っぱらってしまったので、続きはまた(おやすみなさい)