R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

サプライズ

Iさんの結婚式当日、
式は夕方からだったので、午前中は妻の免許の更新に付き合うことに。
クルマが止められてウチから一番近いのは、鮫洲の公安委員会
品川水族館より近いので、「自転車で行く?」と聞いたが、
「寒いからクルマで行こう」って(そりゃそーだわな)
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違反講習で通い慣れた本館は、いつのまにか取り壊し予定で、隣りに新庁舎が出来ていた。
 
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20年以上前、限定解除の試験を受けたコースを、半分つぶして新庁舎が建っていた。
いまだにコースを覚えているくらい、練習したのが懐かしい。
 
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何とも近代的な建物(これも税金と罰金の結晶か)
 
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講習の部屋もたくさんある
 
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娘が「おしっこ~」というので、入った多目的トイレ。
ここに住めるんじゃないか?と思うほど、機能充実
 
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日曜なのかガラガラ
ゴールド免許の教習は30分の講習で終わるというので、娘とロビーで待つことに
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恐竜好きの娘のお気に入り
「プラネットダイナソー」に見入る
 
ワイルドライフ」も好きな娘、
「しりとりやろ~」って
 
娘 「{か}のつくどうぶつ、な~んだ」
私 「かものはし」
娘 「かものはしは{ほにゅうびん}だよね~」
 
それをいうなら「ほにゅうるい(哺乳類」)では?
 
 
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これも最近のお気に入り、アクエリアス
子供にはよくないんだろうな。
 
夕方から披露宴へ
場所は恵比寿のロビンスクラブ
ガーデンウェディングの老舗で、「セレブなニート」Y氏の家の裏にある。
 
Yさんはオフローダーではないが、モータースポーツ関係に知り合いが多く、第一回ロシアンラリーのスタッフも、なぜかやっていた。
当時の主催者Tさんは私の知り合いだったが、YさんもレースがらみでTさんの友人だったらしい。
 
出発直前に当時Yさん一家がやっていたお店(今でいうドンキホーテの原点のような、何でも売っているディスカウントショップ)に寄ると、お母さんが
「あらアンタもロシアに行くの? 息子がお守り置いてっちゃったから、渡してくれる?」
と頼まれた。
新潟港で私に会ったYさんの、驚いた顔を今も覚えている。
当時の私はクルマはポルシェ、バイクはBMWのK100に乗っていて、全身アルマーニのイヤなヤツ。
およそオフロードとは縁がなかった。
 
事前に新郎のIさんから
「バイクの知り合いは呼んでないから」
と聞いていたが、会場を見回しても知ってる顔が本当にいない
 
「なんか肩身が狭いなぁ....」
と隣の席を見たらテーブルの上に、「山田周生」って名札が
「シューセイさん?!」
最後に会ったのは5年前か10年前か。
 
でも彼は震災の日以来、岩手でボランティア中のはず。
いそがし過ぎてブログの更新は止まっているが、フェイスブックは毎日のように更新されている
 
時間になっても空席のままなので、
「やっぱり来ないのかなァ」
と思ったら、
 
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ちゃんと礼服を着たシューセイさんが現れた!(スーツ姿、初めて見た)
 
岩手から?と聞くと、神戸から来たって、???
阪神大震災から19年が過ぎ、震災を知らない若い世代も増えているので、今も震災の現場で活動するシューセイさんに、話しをして欲しいと依頼があったらしい。
今夜は東京の家に帰るの?と聞くと
夜行バスで神戸に戻り、明日は四国に行くって(?!)
 
高齢化と過疎化にによって、全国的に限界集落が社会問題化しているが、被災地の岩手でその防止活動をしているシューセイさんに、これまた話しの依頼があるらしい。
 
あいかわらず神出鬼没の活躍ぶりだが、東北の現状を聞くと「以前より深刻」とか。
仮設住宅に入った人が生きる希望をなくし、引きこもったり自殺するケースが、今も後を絶たない。
シューセイさんが取り組んでいる「菜の花作りプロジェクト」も、引きこもっている人を引っ張り出すのに一役買っているそうだが、それもほんの一部でしかない。
まだまだ多くの人が、見えない明日に希望を持てないでいる。
 
「都会な並みな生活を望むから無理がある」
と、シューセイさんは言う。
 
「こっちに住んでみて漁を手伝えば食べきれないくらいの魚をもらえ、その魚を近所に配れば、お礼に米や野菜がもらえる。お金なんてそんなに必要ないのに」
って。
 
岩手では家を3軒借りているというので、「家族は呼ばないの?」と聞くと、
「とてもそんな余裕はない」って。
いまだに寝袋で寝泊まりしているそうだが、シューセイさんのことだから一日1~2時間しか寝ていないんだろう。
 
現地に1年以上いられるボランティアやNPOはいないというが、アフリカの原住民やインディアンと暮らした経験のあるシューセイさんだからこそ、3.11から3年近くもここにとどまっていられるのだろう。
 
そういえばシューセイさんと初めて会ったのも、第1回ロシアンラリーだった
 
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左は今回の新郎Iさん、Iさんともシューセイさんとも、この時初めて会った。
これは新潟港に帰国して、別れ際に写真を撮ったみたい。
このときはパリダカのパの字も知らなかったので、シューセイさんのことももちろん知らなかった。
「月の光だけを頼りに砂漠で眠ると、気持ちいいんですよ」
と言われてもいまいちピンとこず、オフのドシロートにロシアの大地はあまりに冷たく
「もう二度とオフロードは乗らない」
と、固く心に決めていた。
 
その後なぜかオフに目覚め、Iさんに誘われてシューセイさん主催のグラミスに行き、
パリダカへ行くなんて、このときはだれが想像できただろう。
 
ターボが壊れて70km/hしか出せないプレスカーで、パリからグラナダまで1000キロを徹夜で走った。
骨折して運転できない私にできることは、一人で運転するシューセイさんを、「眠くさせないこと」。
二人でとりとめのないことを一晩中語り合ったのも、今となればいい思い出。
 
肝心のIさんの披露宴
 
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クラシックのピアニストである奥様と、学生時代ジャズ研にいたというIさん(ベース)のセッションがあったり、
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こちらはジャズ研OBによる演奏
リーダーのMCが面白く、演奏より話しのほうがウケていた
新婦の友人らもみんなプロの音楽家で、
フツーの披露宴とは一味違う、大人の結婚式。
 
でも一番よかったのは
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Iさんの知人による和太鼓の独演だろう。
やっぱり日本人には「和」が一番しっくりくる。
 
Iさんのお母様もうれしそう。
願わくばお父さんにも息子の晴れ姿と、きれいな嫁さんを見せたかったね。
 
Iさんは一日の大半を会社の作業場にこもって仕事していたので、
「この人はきっと一生結婚できないんだろうな」と思っていた(だって夜中の3時4時にもフツーに会社にいるんだもん)。
彼と結婚してくれた奇特な奥さんに感謝するとともに、すてきな人と巡り合えて本当に良かったと思う(仕事は早く切り上げて家に帰らないと、逃げられちゃうぞ)
 
52歳で初婚というのは、たくさんのご仁に勇気を与えたのではないだろうか。
TビュランスのI氏や、Yヒロさん、I毛さんなどなども、彼に続いて欲しい
若手ではI君なんかも、今年はいよいよ修業を終えて実家に戻るらしいから、そろそろ親御さんを安心させてほしい
(くりおやぢから「I君がピアニストと結婚するの?」と電話があったので、
「Iさん違いです」と答えておいたよ)
 
シューセイさんをずっと見ていて、
「この人って現代の坂本竜馬だな」
と感じた。
困っている人がいれば助けずにはいられない。
世の中を何とかしたいと彼が動くことで、周りも動き出す。
でもただのボランティアじゃなくて、ちゃんとビジネスにして自分の「食い扶持」も確保している。
彼が幕末に生まれていれば、きっと竜馬と同じことをしたんじゃないか。
 
黒い礼服を着ていたシューセイさんに
「礼服持って来たの?」
って聞いたら、
「こっちで買った」
って。
本当に律儀な人である。
 
 
廃油で走るバイオディーゼルで世界一周を終え、日本一周途中の岩手で被災、
この日も
「海側で泊まるか山側で泊まるか」
ちょっと悩んで、山側にいて津波の難を逃れた、強運な人。
 
被災地ではガソリンがなくなって、物資の輸送ができない中、ソーラーパネルで電気も無線も自給でき、てんぷら油などの廃油で走るシューセイ号は、要請があればどこへでも 物資を届け続けた。
1か月で日本一周に復帰するはずが、3か月、半年、1年が経ち、とうとう3年目。
 
「去年はオーストラリアのソーラーカーレースにも、ドライバーで出たんですよ」
って、悲壮感を持って復興ボランティアにのめり込むのではなく、機会があれば何にでもチャレンジしている。
 
シューセイさんの口ぐせは
「みんな自分で自分の限界を決めちゃうんだよね」
 
その気になれば何でもできるはずなのに、
「お金がないからできない」
「家族がいるからできない」
「仕事が忙しくてできない」
などなど
自分都合の理由をつけて、自己完結してしまうのはもったいないと、この人を見ていていつも思う(20年以上「母子家庭」のシューセイさんの奥さん、娘さんは大変だろうが(^-^;)
 
私もこの言葉にダマされて、「魔界」に足を踏み入れてしまったひとり。
 
都会並みの生活を望むから、無理がある。
 
もうすぐ3年目の3.11
 
シューセイさんの活動の輪はますます広がっていくことだろう。