R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

今年もまた

先週ひさしぶりにS師匠からメールが。
「今年はいわき、いつ行く?」
 
30過ぎてオフロードに目覚め、初めてできた仲間がS師匠、A師匠ら「津田山ブラザース」
彼らに誘われて毎年通ったのが、「いわきツーリング」だった
 
いつのまにか昼の走る部より夜の「温泉&宴会」に、S師匠とクルマで参加するようになっていたが、震災以降は無期限の延期状態.....。
 
それでも海があり山があり、なにより人が温かいいわきが大好きだったので、
お世話になった大和モーター商会のS社長さんや、いわきの仲間たちに会いたくて、S師匠と毎年1回通っていた。
 
 
地元のOさんに原発の近くや、3年前のまま時間が止まっている、富岡駅に連れて行ってもらい、世間の関心が薄れるなか、なにも変わっていない被災地の現状に、愕然とした。
 
「6月の梅雨に入る前に行きましょう」と返信し、17日(土)に決まった。
 
当初は岩手のうめさん、元自衛官でシェフのI君も参加予定だったが、うめさんはお世話になった方の葬儀が入り、I君は休みが取れなかったとか。
 
結局いつものとおり、S師匠と二人の「いわき行」となった。
 
7時に首都高の「加平SA」で待ち合わせ。
 
目覚ましを5時半にセットしたが、遠足に行く子供と同じで、5時には目が覚めてしまった。
ゆっくりコーヒーを飲み、眠っている娘の寝顔にいたずらしたり、飽きずに眺めたり....
そんなことをしていたら6時半!
 
慌ててGSで出かけた。
 
来月の富士ヒルクラに向けて、トレーニングを兼ねてふだんは自転車で動いているので、バイクは本当に乗っていない。
なのでひさびさの首都高は、なぜかドキドキ。
急いで事故でも起こしたら大変なので、クルマの流れに合わせて走る。
 
「10分前には着けそうだ」と思ったところで渋滞。
 
しかたなくクルマのあいだをすり抜けていくが、このときが本当にドキドキした。
 
昔は「1ミリでもクルマとぶつからなければいいのさ」なんてうそぶいて、
どんなに車間が狭いところでも、無謀に突っ込むのがカッコいいと勘違いしていたが、娘が産まれて長生きがしたくなり、すり抜けがただの「蛮勇」だったと気付いた。
 
「だれでもいいから殺したかった」
そんなキチガイがいくらでもいる世の中では、渋滞のなか気持ちよさそうにすり抜ける、バイクに腹を立て故意にぶつけてくるクルマが、いないとも限らない(考え過ぎだが)。
 
本当に慎重にすり抜けて、7時ちょうどに到着、
S師匠はやっぱり着いていた。
 
昔は毎週ここで待ち合わせて、いわきや東北へ走りに行ったものだが、
子供が産まれて私の生活が一変、本当に週末に遠出することが無くなった。
 
妻も「たまにはみなさんと走りに行ったら?」なんて言ってくれるが、
休みの日はできるだけ子供と一緒にいたくて、だんだん疎遠になっていった。
 
それでも二人会えばすぐ、「あのころの空気」になれるのがうれしい。
 
「次は友部で給油して、守谷で休憩して」と、短い打ち合わせをして出発した。
 
S師匠はいつものHP2
 
私が知っているだけで、XR600からアフリカツイン、ドカやハーレー、1200GSなど、バイク遍歴はいろいろだが、今はこれに落ち着いている。
 
「最近は車高の高いHP2が、ちょっと苦痛なんだよね」なんて言っているが、
私のようなチビッコには、乗りたくても足が届かないHP2を、大柄なカラダで「颯爽と」乗りこなす姿は、いつ見てもうらやましい。
 
ツーリングに行くことが多いらしく、「荷物が積めるバイクが欲しい」らしいが、かと言って欲しいバイクも無いようで、しばらくはコイツが相棒なんだろう。
 
守谷SAでトイレ休憩
ついでにスタバで朝食
 
話す話題はバイクのことよりも、お互いの親のこと。
S師匠の高齢のお母さんはずっと入院中だが、毎日見舞いに行く一人暮らしのお父さんが、だんだん偏屈になっているのが悩みらしい。
 
お見舞いに行ってお母さんとお話しするのが、お父さんの唯一の楽しみだった。
病状が進み笑顔も消え、会話も成立しない今、病院から帰るときのお父さんの落胆ぶりは、察するに余りある。
 
ならばせめてお父さんを家の近くに転居させ、話し相手にでもなりたいが、受け入れてくれる病院がS師匠の家の近くは空いておらず、それも難しい。
 
私の母も脳こうそくで入院して1年。
寝たきりだが「胃ろう」で栄養は摂っているので、肌はつやつやのまま。
それでも毎日病室の天井ばかり見ているので、記憶も思考もどんどん衰えているので、前回行ったときは娘を見ても、以前のように反応しなくなっていた。
 
「延命治療はしないで」とS師匠のお母さんは、まだ元気なとき希望していたそうだが、点滴を止めるわけにもいかず.....
 
「けっきょく延命なんだよね」と言うS師匠の言葉に、
お互い年老いた親のふびんさを思うだけで、胸が苦しくなった。
 
思えばこの半年で一番遠くに行ったのは、自宅から40km先の「松戸」まで。
 
なので100kmの守谷で、もうおなかいっぱいなのだが、まだまだ先は長い....。
(こんなことで北海道4デイズは大丈夫か??)
 
守谷を出ていわきの大和モーター商会に着いたのは、10時20分くらい。
 
S社長さんが出迎えてくれ、ぎっくり腰で会えないかと思っていたOさんも来てくれて、近況とむかし話に花が咲く。
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S社長のお父さんも入院中で、「いつ逝っても」おかしくない状態らしい。
 
東京で震度5地震があった先日、S社長の奥さんが脳こうそくに。
幸い大事には至らなかったが今も入院中で、
「いろいろ大変なんだよね」って、本当に歳をとるって大変なんだなぁと、しみじみ思う。
 
原発から30数キロしか離れていないが、お店は以前のまま。
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相変わらず「宝の山」なのか、ただのガラクタなのか....
 
見る限りはなにも変わっておらず、ホッとする。
 
それでも汚染水の流出やら、風評被害、進まない除染など、
地元の人たちの心配の種は尽きない、というより進まない復興に対するあきらめも。
 
高校の先生でもあるOさんは、ずっと原発の影響を調べ続けている。
 
そんなOさんに
東日本大震災アメリカとイスラエルの、原爆による人工地震だと言う人がいるけど」と聞いてみると、
「そんなの聞いたこと無いし、原爆程度で地震が起きるなんて、ありえない」とのこと。
ネットで「東日本大震災 原爆」と検索すると、まことしやかに語っているヤカラが、たくさんいる。
もし本当なら亡くなったり被害にあった、たくさんの方たちは納得できないだろう。
 
 
話しはお店に飾ってある90年代の、いわきツーリングの写真に。
タービュランスIさんや「まだ髪の毛のある?」A師匠など、私も知っているなつかしい顔もチラホラ。
このころは女性も多いが、髪型がみんなソバージュなのは、バブルの時代ゆえか。
 
S師匠といわきのつながりは、90年代初期のTBIでの、S社長との出会いに遡る。
当時はオフロード全盛期。
今のようにだれでもエントリーでき、完走率も100%のTBIと違い、当時は数百台のエントリーに、その数倍の申し込みがあったという。
 
完走率もパリダカ並みで、毎日失格やリタイアが続出、
相当数が「足切り」されて行った。
 
S師匠も初めて買ったオフバイクがスーパーテネレ。
コマ図もラリーもわからず参加したTBIは、あっというまにタイムオーバーで失格。
朝イチのSSからやっと出られたのが、「昼だった」って....
 
時間切れ失格の屈辱からリベンジして、毎年四国に通い3回目でやっと完走出来たとか
 
当時はそんな猛者がたくさんいたそうだが、それだけ林道やオフイベントも、日本中にたくさんあったのだろう。
 
いわきツーリングもそんななかで生まれたイベント。
名称は優しいが集まるメンツも全国の猛者ばかり
ルートを開拓する地元のスタッフも、「せっかく来てもらったのに、つまらなければ申し訳ない」なんて余計な気を回すので、当然ルートの難易度も高い。
 
私も初めてコマ図を走ったのがいわきで、案の定 迷子に(マップホルダーもICOも持ってなかった.....)
S社長やスタッフに多大な迷惑をかけた。
 
 
病み上がりのOさんに悪いので、今回は被災地の案内も遠慮して、昼過ぎにお店をあとにした。
 
本当はmakiryuさんのブログで紹介されていた、「矢祭りのもつ煮定食」を食べたかったが、いわきから60kmも離れているらしく断念。
 
四つ倉海岸の道の駅で、S師匠と遅い昼食を摂る。
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ここにはたぶん港があったんだろう。
だだっ広い空き地に、無数のテトラポットが置かれているが、まだ堤防の工事も進んでいない。
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前回は食べられなかった「海鮮丼」
 
もちろんここの海で捕れたものではないが、気分だけでも。
 
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建物の階段に、被災当時の建物の写真が飾られていた。
 
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つぎ来るときはもう少し進んでいるのだろうか。
 
どこか寄り道して帰ろうということになり、S師匠が私に見せたい山があるとのことで、高速で東京方面へ、
 
この日はとにかく風が強い。
80km/hで走っていても、「飛ばされるのでは?」と思うくらい、右に左にバイクが振られ、恐怖を感じるなかオトナゲナイ走りでかっ飛ぶHP2
 
本当についてくのに必死.....
 
茨城のインターで降りて、山に向かって走ること30分余り
狭い舗装の林道を抜けたところが開けていて、「馬の背」のように左右に山の稜線が広がり、素晴らしい眺望
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右に見えるのはハングライダーやパラセイルの「発射台」
 
パラシュートらしい大きなバッグのそばで、数人の若者が雑談していたが、クルマが登ってきて「監督」らしい人が声をかけると、ハングライダーを組み立て始めた。
 
S師匠の友人で二輪ジャーナリストのM井さんとみやちゃんが、林道ツーリング中に偶然この場所を見つけたらしいが、そのときはだれもいなかったとか。
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スタンバイしているのは若い女性、
大学生でまだ講習中らしい
 
ここから飛んでどこに降りるのか?
山の先には田んぼや住宅地が広がり、着陸できそうな場所は見当たらない。
 
「午前中飛んだ組は、まだ空の上ですよ」
「長い人は5時間、100~200kmくらい飛べますから」
 
監督(というかどこかのショップオーナー?)が、いろいろ教えてくれた。
 
「地に足が付かないスポーツはしない」
それが信条の私には、空と山と海のスポーツをする人の気が知れないが
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こちらの若いが経験豊富そうな男性が、飛んでいく姿を見て、
「気持ちよさそうだなぁ」と正直思った(やりたいとは思わないが)。
 
携帯で動画も撮ったが、載せ方が分からない
 
5時を過ぎて風向きも初心者向きでなくなったのか、女性たちは結局飛べなかった。
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反対側も開けている。
トライアルで有名な真壁から近いらしく、
「ナンバーなしのトラ車が茂みから、ヒョイッと出てくるんだよ」って。
 
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身長差30cmくらいあるはずが、影だとたいして変わらないのが、不思議
 
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S師匠から送られたお気に入り
偶然来ていたカップルと、空の青がいい感じ
 
帰りの高速
渋滞のすり抜けが苦手なS師匠に代わり、いつもなら首都高から私が「先導」するのだが、今日はこのままS師匠が先を走っていく。
 
無茶なすり抜けについていくのは怖いのだが、慎重なS師匠のあとは安心して走れる。
 
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首都高の八潮PAで最後の休憩
 
「すり抜け、上手になりましたね」って言ったら、
「毎週走ってるからね」って
 
すり抜け大好きのかっ飛びライダーとではなく、最近はソロで走ることが多いらしく、
「人のあとを走るのは相変わらず怖いけど、自分のペースで走れば大丈夫」とのこと。
 
これからは謹んでアニキの後ろを走らせてもらいます。
 
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大和モーター商会の帰りに、Oさんからいただいた「フラスク」
 
いわきの新キャラ「フラおじさん」の、トマトとペッパー味
 
トマト嫌いの娘にあげたら「おいし~」って。
 
Oさん、S社長、いつもながらのダラダラトークにお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
S師匠、次は秋にまた行きましょう
(その前にケンヂ君に会いに、小田原ツーリングかな?)