3日目のコマ図に
「蕗(フキ)の道になる」って、ナニ?
と思って走るうち、葉っぱが50cmくらいの巨大なフキが、林道を覆い隠すように生い茂る林道に突入(相変わらずじ~じは止まらないので、写真はナシ)。
スタンディングしないと前が見えないくらい、いかにも北海道らしいダートに感激したが、かなり山奥まで入っているのは明らか
こんなところでトラブって、クマでも出てきたら大変なので慎重に走って抜ける。
そして今度は
「道、険しくなる」って△の登り坂マークが......
普段は誰も通らないであろう草が生い茂った林道、というか「ケモノミチ」
せまいつづら折れで石もゴロゴロしているうえに、雨が降ったあと草が濡れて、滑りやすい登り道がずっと続いている。
前を走るじ~じもタイヤがチュルチュル滑り、右に左にバイクが振られて走りづらそう。
「今度こそ転ぶかナ?❤」
なんて期待したが「おっとと、おっと」と上手にバランスを取って、これがなかなか転ばない。
よろめきながらやっと登り終わったところで、じ~じが路肩にバイクを停めた。
「暑い~」って急いでカッパを脱ぐじ~じ
「いや~走りづらかった」って。
今まで長い付き合いで、ビビるじ~じを初めて見た(ちょっとかわいかった)
でもこのあと更に
「どんどん険しくなる」って......
さらにこう配が急になり、さっきより大きく右へ左へ振られながらも、必死に走るじ~じ。
後ろから来た選手たちも「世界のスガワラ」を抜くのに遠慮して、プチ渋滞発生中。
(左右に振られるので、「抜かれないようブロックしている」と思ったんだろうナ)
後ろで見ていてハラハラするので、早く抜けてくれないかと思っていたら、
広いところに出てやっと終わった!と思ったのもつかの間、
今度は「注意して進め」って。
カーブを曲がると数十台のバイクが止まっていて、先には左右にバックリと深いクレバスの林道が。
どうやら先頭でビッグオフがクレバスに落ちて、スタックしているらしい。
朝のブリーフィングでH木さんが
「今日は大型バイクで自信の無い人は、後ろを走ると助けてくれる人がいないので、なるべく前を走ってください」
と話していたが、これだったのね。
こんなときセローはどこでも走れるので、ラクでいい。
3日間走ってやっと難所らしいのが現れたが、こんなルートは大歓迎。
高速リエゾンはビッグオフにかなわないので、大型車が「もがく」横を、笑いながらすり抜けられるこんな難所は、ラリーの公平を期すために、もっと増やしていいと思う。
それにしても1200GSとか250万もするバイクを、よくも惜しげもなくバタバタ倒すものだ。
ロードバイクならちょっとこすっただけでまっ青になるものだが、壊したり泥だらけになることを、「オトコの勲章」と勘違いしている御仁が、なんと多いことに驚く(ミンナオカネモチナノネ)。
「今日はCAP走行があるから、コンパスを忘れずに」
じ~じから言われてファラオ以来使ったことのない、シルバコンパスを持参した。
でもわれわれが通るころには、きっとワダチもたくさん出来ているはずなので、たぶん使わないだろうが......。
434.96kmでCAP100の方角に進めと指示があるが、
実際に立ち止ってコンパスを使っている人はごくわずかで、
ワダチのついているほうにみんな走っていく。
そのあとを追っていくと435.14kmで、緑の丘、というか山が現れた。
ピストはなくシートの高さまで伸びた雑草のなかを、ソロソロと登っていく。
「ほんとにこの道でいいのかな??」
ちょっと不安になり途中で止まって耳を澄ますと、山の上の方でエンジン音が。
「あっちだ」と登っていくと、そこが最後のCPだった。
山の上や砂丘のてっぺんにCPを置くのは、ラリーの定番。
こんな心配りがラリーっぽくていい。
4日目最終日、
3日間ひさびさのダートを走ったし、4日目も同じようなルートらしいので、もういいかと。
もうダートはないので、i-phoneで写真を撮りながら走る。
(といっても「ル~ルル~ル~」だけだが)
テレビで放映された頃はバブル全盛期、
毎晩遊び歩いていて一度も見たことが無かった。
初めて見たのは純君が結婚する、最終回スペシャル(それも再放送)
ラベンダーは時期ではないのか、見られなかった。
本当に快晴で気持ちがいい
じ~じもうれしいのか?スタンディング
(サーカスのクマではない)
「ちょっと寄り道していいかな」って向かった先は
勝手に正門から入って、外周コースとダートコースを数周。
誰か出てくるかと思ったが、夏休みらしく生徒も先生も不在だった。
(防犯カメラには2台の不審なバイクが写っていたはず)
ひとしきりコースを走り終わってから
「ハイ、これで全SS完了」って。
亡くなった斉木校長にお別れを言いに来たんだ......。
芦別に入り
「バイク洗って行こう」と立ち寄った先は
地元のガソリンスタンド
社長さんがじ~じの知人で、若い息子さんが洗車してくれた。
息子さんに「バイクは乗るの?」と聞くと
「ハーレー乗ってます」って。
こんな山に囲まれているのに、オフロードには乗らないのか聞くと、
「山とか走って楽しいんですか?」って。
たしかに私も山に囲まれた長野に住んでいながら、オフの「オ」の字も興味が無かった。
そして11時前にゴールのスターライトホテルに戻り(当然、誰も戻っていない)
昔は選手として参加していた、オフィシャルのK主さん
われわれがもう帰っているのでビックリ。
キャンパーにバイクを積んで、着替えて向かった先は
ここもオーナー夫妻がじ~じの知り合いの、「レストラン ポロ」
スガワラママとママの友人のマダム達と、ランチの約束に私もお邪魔した。
地元産メロンの冷製スープや、生ハムを食べたあと
花咲ガニのパスタをいただく。
こんなことができるのも、順位に関係ないツーリングクラスだけのおたのしみだろう。
そして会場に戻ると、続々と選手が帰ってきた。
3時から表彰式
チーム優勝はOさん率いる、チームミサイルファクトリーZ(ってなんでZ)
Oさんの奥さんの活躍が大きかったのでは?
それにしてもIフジくん、ひさびさに会ったけどますます太ったような。
相撲と柔道以外、デブでもやれるスポーツを、私はスポーツと認めていないので、アクセル開けるだけのバイクもスポーツではない。。
そして総合優勝はO島さん
お会いするのは2001年のTBI以来か。
電撃ネットワークみたいな髪型は変わっていないけど(失礼)、
かわいい顔と相まってパンダちゃんみたい(でも本当に速い)
表彰式終了後、じ~じに芦別駅まで送ってもらい、
無人駅なので本当に電車が来るのか不安になる
と思ったらやってきたのが、期間限定で富良野から札幌まで行く「ラベンダーエクスプレス」
さすがに1両編成ではなかった。
札幌駅に着いてデパートでお土産を買う
妻に電話すると
私がいないあいだ娘の面倒をみてもらった、妻の実家と妻と娘のために大量購入。
両手に重い土産を下げて、大通り公園をそぞろ歩く。
今夜もまたススキノのビジネスホテルだが、明日の朝は7時半発なので、朝5時半の高速バスに乗らなければ(千歳空港がこんなに遠いとは思わなかった....)
朝の保育園の送りがあったので、本当は今日中に帰りたかったが、3連休最終日で飛行機代が2万円高いらしい。
妻から「もったいないから翌日帰れば」と言われたので、帰京を一日延ばした。
旅行代理店のNモチさんが、私が早く東京に帰りたいのだろうと気をきかせてくれたのだが、7時半ではちょっと早すぎた(またホテルの朝食が食べられない.....)
なのでせっかくレースが終わってススキノなのに、北海道最後の夜もまたラーメン。
ホテル裏にある五右衛門ラーメンが美味そうだったので、
しょうゆ味のチャーシューメン
これが美味かった。
翌日は4時半に起き、5時半のバスに乗って、空港に着いたのは7時。
意外に時間がかかって焦る。
これが今回の北海道4デイズで一番つかれた.......
そして千歳空港は雨だった。
やっぱり「晴れ男」を確信。
自宅のある戸越銀座に着いたのは10時
あまりの暑さにクラクラする。
4デイズの参加賞は「うしのう○こ」って......
娘に見せたら「うしのうんこたべた~い」って
意外にお気に入りで、毎日一個食べている。
まさかツーリングクラスで完走メダルがもらえると思わなかった(完走してないし...)
じ~じ夫妻は翌日に小樽の地元に立ち寄り、23時30分発のフェリー「小樽→新潟」に乗るはずが、いつのまにかダイヤが変わっていて、「小樽→舞鶴」に.....
21時に京都の舞鶴に着いてから600km、
夜通しキャンパーを運転し、翌朝5時に帰宅したらしい。
キャンパーからバイクを下ろして、整備と片づけを手伝おうと思い自宅待機していたら、朝10時にじ~じから電話。
「舞鶴に着いちゃって、夜中ずっと運転して5時に着いた」って。
舞鶴ってシベリア抑留の帰国船の港で有名だが、せめて「真鶴」だったらよかったのに。
最後の最後で大変な思いをしたが、無事帰宅できてナニヨリ、おつかれさまでした。
TBIやモンゴル、ファラオでラリーが終わったあと、じ~じやヤマダさんがいつも言っていた
「自宅に帰るまでラリーは終わらない」
この言葉を実感した北海道4デイズだった。
それにしてもセローはいい。
今までKTMとかで目を三角にして走っていたのがウソみたいに、力を抜いて走れる。
あとでセローの空気圧を見たら、1kgしか入っていなかった(ずっと2.5kgだと思ってた)
どうりで「このタイヤはスズキのバンバンか」と思うほど接地感があり、ダートを走るのが久しぶりのヘボおやぢでも、まったく転ぶ気がしない。
前後サスが柔らかい女性仕様になっていたので、底付きするのは仕方ないが、もう少し固くしたらもっと楽しいのだろう。
「なんでGSで行かないの?」
とみんなに言われたが、3日目の「フキの道」でY口さんのポンコツGSは、ドライブシャフトが壊れた。
地元の彼はルートが分かるので、ここから30km下った温泉まで、GSを「だましだまし」乗って(途中は押して)、温泉にバイクを置いて、オフィシャルのクルマでキャンプに帰ってきた。
もし私がGSで参加して同じことが起きたら、スイーパーのトラックも入れない山の中で、どうなったていたか???
北海道を走っているとそこらじゅうに、「ヒグマに注意」の看板を見かける。
子供のころ山でクマに追いかけられた経験があるが、ヒグマはその何倍も大きく、携行品の「クマよけの鈴」なんて、なんの役にも立たないだろう。
北海道の人以外、たぶん誰も気にしていないのだろうが、万が一のことを考えるだけで恐ろしい。
Y口さんに
「GS、もう捨てますか」
と聞くと、
「まだまだ治して乗るよ」
って。
「もう新車一台分以上、修理代かかってるよ」
と言いながら、来年還暦のご本人と同じく 、空冷GSのヤレた感じがたまらないのだろう。
じ~じも御歳73歳にしてあの走りは、立派のひとこと。
自分も20年後に同じことができるだけの、体力と気力は持っていたいものだ。
それにしてもこのイベントに参加できる人は、恵まれた人たちだと思った。
昔はみんな若くてアルバイトをしながら、ラリーに出ていた人が多かった。
(半年働いて半年遊ぶ人も多かった)
それが結婚して子供ができたり、景気の影響で収入が不安定になったりで、ベテランバイク乗りはこんな豪華ツーリングに、参加する余裕がない。
何百万もするバイクを放り投げたり、夏休み前に一週間も休みが取れる人種は、よほどしっかりした会社か、立派な仕事をしている人なんだろう
(若者が参加できないわけだ)
正直ほとんどの参加者と話をしなかった。
参加者がショップやグループで固まっている印象があり、よそ者を寄せ付けないカベが感じられた。
4日間「今日はどんな難所があるのかナ?」と、ドキドキワクワクしながら走っていたが、結局最後までトキメクような場面はなかった。
昔のTBIのようにグチャグチャマディのMXコースや、ガレガレのダート、急坂が登れず「ビッグオフの墓場」と化すコースがないと、軽量セローで行った意味が無い。
リタイアした悔しさで「来年こそ」と燃える人も、今は少ないとか。
すぐブログやツイッターで、「北海道4デイズ最悪」なんて書かれてしまうので、こんな温泉極楽ツーリングになってしまうのだろう。
みんな分別のある大人なのだろうが、もう少しはじけたほうが絶対楽しいと思うのは、私だけか。
ヤマダさん、H木さん、SSERスタッフの皆さん、
Y口さん、U野さん、Oさんもありがとうございました。
そしてじ~じとママ、本当にお世話になりました。
夕方、保育園に娘を迎えに行ったら、一瞬キョトンとしていたが、
すぐ「パパ~~~!!!!」と抱きついてきた(忘れられなくてて本当によかった)。
やっぱりバイクより娘のほうが、1万倍かわいいのだ