R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

おかえりなさい

昨日、保育園に娘のお迎えから、妻と一緒に帰宅すると、
「玄関になにか置いてあるわよ」って。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
北海道4デイズでじ~じのキャンパーに忘れた、コッヘルセットをじ~じが届けてくれたらしい。
パリダカ写真集でオフに目覚めたとき、風魔プラスワンで買ったもの。
当初のケースが破れたので自分でミシンで作り、TBIやモンゴル、ファラオなどなど、もう20年使っていた「旅の相棒」。
 
モンゴルの岩塩はラリーに行っていた、じ~じのお土産。
(帰国したばかりでお忙しいところ、ありがとうございます)
 
お盆休み中だったのでリザルトチェックは毎日できなかったが(標高1600mの蓼科は、とにかくネットが通じない)、じ~じ&T中組は最終日を目前にして、まさかのリタイア....。
 
2009年だったかダカールラリーでリタイアして、連続完走記録が止まったときも、
 
「朝まで砂丘で砂に埋まったレンジャー掘ってた」
 
というくらい負けず嫌いのあのじ~じが、リタイアするなんてなにがあったのかと思っていたら、ジムニーバトルのライバル尾上さんのブログに、事故の模様が書かれていた。
 
忘れものとお土産のお礼を兼ねて電話すると、意外にも元気そうな声が。
 
「クロスピストで10mくらい飛んで4回転、ロールバーのおかげで助かった」らしい。
 
砂の「道」が交差しているクロスピストは、ときに数十センチの「砂のカベ」になっていることがあり、KTM埼玉のF宅さんも初ファラオの初日に、これでぶっ飛んだはず
 
私もクロスピストでは何度もハンドルを取られて転んだり前転したが、悲しいかなスピードが遅いので助かった。
 
去年のTBIの林道で、道ばたの「蔓(つる)」にハンドルを取られて前転はしたが、
「今までの長いモータースポーツ人生で、横転したのは初めて」だったとか。
 
ナビを務めた日本レーシングのT中くんも、手痛い洗礼だったと思う。
 
TBIで前転したときその場ではなんともなかったのが、帰京後モノが二重に見えたりめまいがして病院に行くと、「急性硬膜下血腫で血が溜まっています」との診断。
急きょ開頭手術をして血を抜いていた。
 
3年前、私も自転車で転んで、頭がい骨骨折&急性硬膜下血腫になった。
 
あれほど痛かったのに手術するほど血が溜まらなかったが、じ~じはヘルメットも被っていたし、痛みもなかったのでそのまま最後まで完走していた(ヨーダ?)
 
5月のTBIから1月のダカールまで、7か月しかない。
主治医は「まだ頭の穴が塞がっていないし、18日間も頭に振動を受け続けたら、命の保証はできない」と、公にはしていないがドクターストップの一幕もあった。
 
その後、驚異的な回復力ですっかり完治して、ダカールを完走したのは周知の事実。
「走ってたら治っちゃったよ」って、やっぱりヨーダかもしれない。
 
今回も脳外科に行って検査したそうだが、
「何の異常もナシ」とのこと。
 
なにはともあれ御無事でナニヨリ。
二輪四輪合わせて76台がエントリーし、完走は42台とわずか55%の完走率が、ハードさを物語っているが、他の海外ラリー経験者に言わせればモンゴルは、
「ある程度のスキルがあれば、それほど難しいラリーではない」という。
 
リタイアの原因トップが転倒による骨折らしいが、非力なXR250や400が主流だったころは、それほど骨折もなかったように思う。
KTMなど軽量ハイパワーマシンが主流になり、剛性の高いフレームと太い倒立サスのおかげで、アベレージスピードが上がったぶん、今回のクロスピストのように予想外の大きな力がかかったときは、ダメージが倍になって返ってくる。
 
海外ラリーに参加する外人を見ると、「こいつら{せむし}か?」と思うくらい、背筋が異様に発達して盛り上がっている。
日本人並みな体格の選手も、胸板はぶ厚く腕も太い。
これが「第二のサスペンション」として、暴れるマシンを押さえこめる秘訣だろう。
それにひきかえ農耕民族の日本人は、ヒョロヒョロのカラダに細いウデ、
これでは到底、じゃじゃ馬のレーサーを乗りこなすことはできないだろう。
 
07ファラオのとき、自分ではかなりカラダを鍛えて臨んだつもりが、連日のハードなダート走行で、触れただけで痛いほどの筋肉痛になった。
 
7日間毎日笑ってゴールするために、本格的な肉体改造をお勧めする。 
 
本棚を片付けていたら
イメージ 3
2002年のビッグタンクマガジン9月号
このころは白黒だった。
特集は最後のラリーレイドモンゴル。
私がゴビ砂漠に迷い込んだときの大会。
 
イメージ 4
この大会で行方不明になり、のちに遺体が発見された米津さんの記事も。
 
たしか旅行代理店Nモチさんのお客さんで、愛知のビッグオフ仲間の知り合いでもあったので、毎日キャンプであいさつをしていた。
彼は速いのだがミスコースしたり転倒したりで、自分の思うような結果が得られず焦っていたような。
目が異様にギラギラしていたのを思い出す。
 
川渡りをして右に向かうルートで、彼が迷って止まっていたのが、私が見た最後だった。
8月のラリーから3ヶ月後くらいに、現地の村の子供が偶然、「彼」を発見した
オンコースからわずか数キロ離れたところに彼の遺体はあったのだが、これがファラオやダカールなら主催者が用意したイリトラックで、選手が意識を失っても現在地を突き止められる。
道に迷ったり転倒して同じ場所で5分動かないと、イリトラックが内蔵されたGPSから「呼び出し」がある。
すぐ走り出せばいいのだが、もしその後もそこに止まっていると、真っ赤なドクターヘリが飛んできて、強制的に乗せられてしまう。
 
私がモンゴルに出なくなったのも、このイリトラックシステムが導入されていなかったから(当然莫大な費用がかかるので、70台程度のラリーでは仕方ないが)。
私のような方向オンチは、本当にとんでもないところに行ってしまう。
 
よく「モンゴルは海外ラリーの登竜門」という人がいるが、万が一ミスコースして行方不明になっても、すべて自己責任のモンゴルは、ある意味もっともプリミティブなラリーで、ファラオやダカールよりハードルは高いのかもしれない。
 
幸い今回も大きなトラブルはなかったようだが、
これからラリーに臨む人は、12年前のこの悲劇を教訓にして欲しい。
 
とりあえず参加した皆さん、おつかれさまでした。