R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

I さん おだいじにネ

仕事で千葉に行った帰り、タービュランスに立ち寄った。
 
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ハスキーは元気だが、Iさんはビッコをひいていた。
昔モトクロスで靭帯を切ったまま、ほったらかしにしていたツケが回ったらしく、寒くなると古傷が痛むとか。
 
膝の関節を人工関節にすればいいらしいが、耐用年数は15年から20年。
50歳の彼が20年後にまた交換手術をするのは、体力的にきびしい。
なので医者は「もう少し待ったほうがいい」と、手術は薦めないらしい。
 
「ひざのベアリングがダメみたいです」って、本職はプロのメカニックのIさん。
車やバイクのベアリング交換はお手のものなのに、自分のカラダは簡単にはいかないようだ。
 
昔より医療も進歩しているので、新しい治療法もあるのだろうが、とりあえずは「ダマしダマし」自分のカラダと付き合っていくしかないのだろう。
 
そんな彼の事務所の本棚にあった本
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何十回(何百回?)も読み込んでボロボロだが、こんな本やパリダカグッズが、ゴミ屋敷のような工場には、まだ山のようにあるらしい。
 
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ヤマハの広告
無理やり作ったコピーの今の広告と違い、これだけでかっこいい。
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パラパラめくっていたら、若かりし頃のじ~じが。
他にもパリダカレジェンドたちのインタビュー記事
 
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松井さんのコメントも。
 
タービュランスIさんがパリダカを完走したのは、97年とか。
なのでこの記事に出ている人たちは、Iさんにとって
「あこがれの存在でした」って。
 
Iさんやサラリーマンパリダカライダーのホッタくんなどなど、
千葉県にはその昔、「千葉軍団」と呼ばれたオフのツワモノがたくさんいて、オーストラリアンサファリやUAEなど、さまざまな海外ラリーに挑戦していた。
 
みんな結婚したり仕事が忙しくなって、オフはおろかバイクからも離れてしまったが、昔はこのタービュランスが海外ラリーの情報発信基地。
 
オフにのめり込んだ若者たちが、ゴミ屋敷のような工場に夜な夜な集まり、酒ならぬコーヒー片手に、真夜中までオフ談義に盛り上がっていた。
 
87年と言えば私は26歳。
まさにバブル真っ盛りのころで、パリダカのパの字も知らず、毎晩、六本木や銀座でろくでもない暮らしをしていた。
 
本当にこのころパリダカや彼らに出会っていたら、きっと違う人生だったかもしれない。
 
おカネとヒマはいくらでもあったし、まわりもちょっとコガネを稼いだ「にわか成金」だらけ。
みんな何か面白いことにお金を使いたがっていたので、私がパリダカやファラオ、インカラリーなどなど、海外ラリーに参戦するといえば、
「カネ出すからオレも連れていけ」
って、みんなスポンサーになってくれただろう。
でも無鉄砲な自分はきっと、どこかで死んでしまったと思うので、やっぱり知らないほうがよかったのだろう。
 
おカネがあってもなにか満たされないあのころに比べ、
夜はほとんど出歩かず、家族と一緒にいる今のほうが、何倍も幸せを感じている。
 
「子供は五歳までに一生分の親孝行をする」
 
娘を見ていて本当にそう思う。
泣いても笑っても怒っても、かわいくて仕方がない。
 
先日行った五反田のぽるこで
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 く~、か~わ~ゆ~い~~~
 
今までは毎朝の保育園の送りで、
「パパいかないで~」と泣いていたのに、
最近はお友だちと会うのがうれしくて、後ろを向いたまま「バイバ~イ」って
見送ってもくれないのが、本当にさびしい......。
 
 
 Iさんも犬は老後の面倒見てくれないから、そろそろ人間の奥さん、もらったほうがいいヨ。
 
遅咲き狂い咲きのおやぢライダーや出戻りライダーは、カラダも若いころとは違うので、ケガもしやすいしすぐには治らない。
本当にやりたいならプロでやらない限り、たかがバイクに命かけても仕方ない。
くれぐれもご無理のないように。
 
Iさん、コーヒーごちそうさまでした。
カラダ、おだいじにネ