R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

みんながんばって

「そっち方面」に行ったので覗いてみた
イメージ 3
 
「元フラット」の工場長、T君。
元気そうで安心した。
 
1月いっぱいでBMWディーラーの看板を下ろしたので、外から見たら何のお店か分からないが、新車販売至上主義のメーカーに逆行した、私のような旧車乗りには、おやじさんが亡くなってから敷居が高く感じて、昔のように用もないのにふらっと立ち寄れないでいた。
 
ディーラーを降りるまでいろいろあったようだが、お店がつぶれたわけではなかったし、むしろメーカーの「足かせ」がなくなって、T君もすっきりしているように感じた。
 
とはいえここもいつまで使えるのか分からないようなので、いずれはどこかで独立することになるのだろう。
作業場にはおやじさんの写真が飾られていた。
 
「アフリカに乗り換えるかも....」
今の正直な気持ちをT君に伝えると
「アフリカに乗っていた人には何も言えません」って.....
 
私にとってパリダカールラリーは、BMWよりホンダNXRのほうが思い入れが強い。
 
「もし(GSを)手放すときは、声かけてくださいね」って。
おやじさんの魔法がかけられた100GS
余裕があるならアフリカと2台体制にしたいが、残念ながら現状は置く場所がない。
 
とりあえず次回来るときは、コーヒーでも差し入れよう。
 
帰りにモンドモトI君のところにも立ち寄った。
 
新しいビッグタンクマガジンをパラパラと見て、二輪ジャーナリスト マツイサンのアフリカツイン試乗記を見て衝動買い(ついでにM上さんの「rider」も)。
 
イメージ 1
 
 
 
イメージ 2
 
 
「2 true Karma Stories」
カルマとは「業(ごう)」、
輪廻転生、因果応報など、すべての行いには結果が伴なうが、むかし、この「業」についていろいろ悩んだ時期があった。
仏教者や宗教家を訪ね回ったり書籍など読み漁ったが、単細胞な自分はかえってわけが分からなくなってしまい、ついに理解できず....
以来、むずかしいことはなるべく避けて、シンプルに生きてきたつもり。
 
単気筒全盛だったパリダカBMWが現れ、シングルではもう勝てないことを悟ったホンダがNXRを開発し、熾烈な競争が始まった。
そこからアフリカツインやGSが生まれたが、高速化するラリーで死亡事故が続出、結局、初期のころの「小排気量車のラリー」に戻っていった。
そしてBMWは水冷のGSを世に出し、ホンダは15年の歳月を経て新生アフリカツインを生み出した....
(マツイサン、間違っていたらゴメンナサイ)
 
パリダカ全盛期にアフリカツインの原型である、優勝マシンのNXRに試乗したときの感動を、ご本人もバイクでパリダカに参加したマツイサンの、冷静だが熱い想いが記事からビンビン伝わってくる。
 
どんなに新型アフリカツインが性能的に進化しても、マツイサンのなかでは1980年代のワークスマシン、NXRにはかなわないのだろう(私もそう思う)。
 
NXRのライバル、HPNのインプレも書かれていたが、生前ガストンライエに直接聞いたとき、ガストンは
 
世間ではHPNはワークスマシンの直系と思われているし、狂信的な信奉者も多い。
当時は私もそう思っていたが、当のガストン曰く
HPNはあくまでBMWの「下請けメーカー」で、彼がラリーで駆ったワークスマシンは、エンジンもガストンの希望で超ショートストロークに作った、正真正銘の「BMW製」だと言いたかったのだろう。
 
それにしても日本中で何人の人が、このビッグタンクマガジンを読むのか。
何人の人が当時最強だったNXRを知っていて、その最新型がアフリカツインだと知っているのか。
 
これが4輪誌ならもっと多くの人の目に触れるのだろうが、本当にもったいないと思う。
どこに売ってるのか知らないが、とりあえずモンドモトにはあと2冊あるので、興味のある人はぜひ「買って」読んでほしい。
 
そしてサプライズな記事も
イメージ 4
 
イメージ 5
 
なんと日本レーシングの社員であり、今回のダカールでじ~じのナビを務めた、タカハシ君の単独インタビュー記事。
生い立ちから苦労してJRMに就職、奴隷のようにこき使われていることまで(?)、「フランス語が堪能だけど変な人」、タカハシ君の私も知らなかった苦労話が満載。
 
この二つの話しを読むだけで、1000円払う価値はある(と思います)