R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

命日

先週土曜日は娘の保育園の卒園式だった。

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少子化と言われるなか、21人の子供たちが4月から小学生になるが、
子供を巻き込んだ事件や事故が後を絶たない。

「子供は国の宝」なのだから、もっと大事にしろよと声を大にして言いたい。

虐待したり殺してしまうなら、子供が出来ず苦しんでいる夫婦に親権を譲れるよう、法律を変えて欲しい。

若い女性が被害者になる事件も、毎日のようにおこっている。
女性にしか子供は産めないのだから、絶対に殺してはいけない。
そうでなくても草食男子とか、信じられないことだが恋愛に興味が無い、若い男女が増えているという。

SスタローンとWスナイプスが主演した「デモリッションマン」は、2032年の近未来が舞台で、子供は人工的に作られてセックスレスな世界が描かれていたが、このままだと本当にそうなりそうで恐ろしい。

先日、保育園の父兄のlineで、小学1年生の女の子が学校の帰り道、バイクに乗った男に声をかけられて、逃げて帰った話が伝わってきた。

男の特徴は「黒いバイクに乗った中年男性」

妻から「あなたじゃないの?」って,,,,,,,,,,,,,
違います。

卒園式のなかで子供たちがひとりづつ、お母さんにお礼を言う場面で、思わず泣いてしまった。
まさか自分に子供が生まれて、その子が小学生になるとは。
同級生には孫のいるヤツも増えてきたが、孫と一緒に暮らしていないので、じ~じはなかなか会えないのが悩みらしい。
「お前はいいよなー、孫と一緒に暮らせて」
って、孫ぢゃないんだけど.....。

娘が成人するとき私は68歳。
おじいちゃんと言われないよう、まだまだがんばらねば。

そして3月18日(金)は3年前に亡くなった父親の命日。
妻は土日と仕事なので、私だけ帰省して墓参りをすることに。
1人なのでバイクで行こうと思っていたが、土曜は雨の予報なのと、ハーネス交換のためGSはフラットに入院中なので、クルマで行くことにした。
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山のふもとンいある市営霊園。
後ろの山はすべて杉の木、
山全体がスギの花粉で黄色く「もやって」いて、花粉症の人は見ただけでムズムズするらしい。
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地元に住む姉夫婦と一緒に墓参り(おちゃめな姉はすぐピースをする)

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近所のそば屋で昼食。
戸隠が蕎麦で有名だからか、長野県人はさぞ蕎麦が好きと思われているが、実はそば屋よりうどん屋のほうが多く、私もうどんのほうが好きだったりする。

実家のテレビが映らなくなっていた。
リモコンの電池を交換してもダメ、
テレビ本体にある電源スイッチを押しても、電源ランプが点かない。

テレビを買った地元の電気屋さんに電話すると、すぐ来てくれた。
原因は長いあいだコンセントを抜いていたことで、基盤が壊れたらしい。
姉夫婦は週一回実家に来て、窓を開けて空気の入れ替えをしてくれているが、テレビを見るほど長居はしない。
最後にテレビを見たのは去年の夏休みに帰省した半年前。
空き家でコンセントを入れっぱなしで火事になっては困るので、家中のコンセントは抜いて帰っていたが、閉め切った家は湿気もあり、テレビやエアコンが壊れることが多いらしい。

夜は幼なじみのTと待ち合わせて、彼のおじさん夫婦がやっているなじみの居酒屋へ。
高校を卒業して以来36年。
年に数回は帰省するが、道路が新しく開通していたりして、道に迷うことも多い。
20代のころは帰省するたび友人らが集まったが、それぞれ結婚して家族が増えて、集まる機会もなくなった。

Tは酒屋の二代目で毎日市内を配達して回っているが、彼でさえ同級生や幼なじみに会うことは滅多にないという。

地元のスーパーで買い物していると、知らないおじさんおばさんに声をかけられて驚くことがあるが、よく見ると小中学校の同級生だったりするので、自分も同じように歳を食っているのだろう。

車で街を走って感じることは、自分が「よそ者」ということ。
駅前のかつては賑わっていた、シャッターの閉まった商店街を通るたび、育ててくれた地元に何の恩返しもしていない、よそ者の自分がいる。

父が亡くなり母も入院して、実家は空き家のまま3年が過ぎた。
冬は水道管が凍って破裂するので、電熱線のヒーターを巻いているが、空き家なのでふだんは元栓から止めている。
われわれ家族が帰省するときだけ、姉が元栓を開けてヒーターをオンにしてくれるのだが、誰もいない冬の家はとても寒く、食事も古くて使いづらいキッチンで作らなければならないので、だんだん足が遠のいていて、正月も帰省しなかった。

それでもTのおじさん夫婦はあたたかく迎えてくれるのが、ありがたい。
刺激が少ない田舎の暮らしと違い、テレビのなかの世界は都会の暮らしそのもので、かつては私もあこがれたものだが、最近は渋谷や六本木など繁華街に出るのも億劫で、たまに田舎に帰るとホッとする自分がいる。

翌日は帰京する前に介護施設へ、母の見舞いに行った。

高齢者の施設不足が社会問題化して久しいが、長野でも入院できず待っている人が大勢いるという。
同級生も親の介護のため会社を辞め、親を看取ったあと50過ぎでは再就職できず、アルバイトでなんとか暮らしているという。
奥さんとは離婚してしまったので、いづれ自分に介護が必要になったときは、頼れる人が誰もいない。
そんなことを考えると、心配で眠れなくなるそうだ。

脳梗塞で寝たきりの母だが、「胃ろう」で栄養を摂っているので、あいかわらず肌はつやつやしていて、意識もはっきりしているようだが、寝たきりなので目はうつろのまま。
娘の卒園式の動画をi-padで見せてやると、目を見開いてじっと見つめていた。
そのうち不自由な手で目頭を押さえて、目に涙をためているのを見て、今日、孫を連れてきてやれなかったことを激しく後悔した。

3年前の父が亡くなる一週間前に、母が脳梗塞で倒れて入院した。
そのまま父の死を知らせずに3年が過ぎてしまったが、話せない母はなぜ父が見舞いに来ないのか、我々に聞くこともできない。
それをいいことに今まで黙ってきたが、いつか母が亡くなったとき、あの世で父に会うことができるのか.....

姉夫婦とも言うべきか黙っているべきか、いつも結論がでないままここまで来てしまった。

今日はゆっくりしていこう
なんていつも思うのだが、母の顔を見ているのがかわいそうで、、30分ほどで病室をあとにした。
「次はみんなでくるからね」
そう言って母の手を握ると、ぎゅっと握りかえして離してくれない。
このままもう会えないような気がして、でもどうすることもできない自分が情けなくて、母をなだめてからめた指を一本づつ開いて、病室を出た。

本当にあと何回、会いに来ることができるのか。

毎回、母に会うのを楽しみにしながら、帰るときは
「来るんじゃなかった」
と思ってしまう。

次回は娘を連れて会いに来よう。
そう思っても4月から小学生になり、バレエ教室やピアノなどおけいこ事も増えて、週末の遠出はますますむずかしくなる。

母の命の火が消える前に、一度でも多く会わせてやるのが、親不孝な息子のせめてもの親孝行だと思うのだが、現実はなかなかむずかしい。

親と一緒に暮らしている人は、もっと大事にしてほしい。
離れてなかなか会えない人は、無理をしてでも会いに行ってほしい。

「親孝行、したいときには親は無し」

今さらながら言葉が身に染みる。