R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

お父さんおめでとうございます

昨日の産経新聞から

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カワサキヤマハの4輪バギーが、北米で売れているらしい。
8月のモンゴルラリーに菅原じ~じが参戦予定の「ヤマハYXZ1000」は、去年9月発売時「年間8千台」の販売目標だったが、3カ月後の年末にはすでに1万台の受注があったという。
受注はさらに続いているだろうし、北米に限らず中国や南米、ヨーロッパでも伸び続ければ、バギーでは空前の大ヒットになる日も近いだろう。
新型アフリカツインの世界的大ヒットに続いて、日本の二輪メーカーも世界に向けてさらに発展して欲しい。

もう一つの記事は

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「耳が聞こえない登山家 田村さん」が、聴覚障碍者として初めてエベレスト登頂に成功した。
田村さんとはファラオで一緒だった。
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たしか最終日前に骨折リタイアしてしまったが、パリダカにも出場したり、精力的に活動していた。

ファラオのあと何かの集まりで、田村さんのお父さんと話す機会があった。

御実家は八王子で代々続く老舗の呉服店ユーミンの実家も八王子の呉服屋さんでよく知る間柄とか)。
耳が聞こえない田村さんが生まれたとき、
「この子に跡を継がせるのは無理だろう」
と悟ったお父さんは、彼がやりたいことをさせてやろうと呉服店を廃業し、以来、私財をなげうって息子の登山とバイクレースのサポートに、徹したという。

2007年ファラオの準備で行った渋谷のモンベルで、田村さんに偶然再会した。
彼は登山用品を買いに来ていたようだが、私は手話ができず店内では筆談もできず、「今は登山をやっている」ようなことを聞いたような。
ファラオのときも筆談だったが、主催者側に手話ができる人はおらず、英語が苦手なイタリア人スタッフと田村さんは、意思の疎通が大変そうだった。
今回のヒマラヤでも外国人スタッフや、BC(ベースキャンプ)とのトランシーバーでの連絡は、想像以上に大変だったろう。

高齢のお父さんはお元気だろうか。
息子の快挙をさぞ喜んでいることだろう。

記事の最後に田村さんのコメントが
「これからもいろんな山に挑戦したい。
キリマンジャロ?あれは簡単らしいから別の7千、8千mにね」
って.....。
知り合いの登山家や冒険家たちは、遠征費用を集めるのにみんな苦労している。
自分がいかに恵まれた環境かを改めて肝に銘じ、くれぐれも親御さんを悲しませることの無いように、ね。

土日はDOAのフェイスブックで紹介されていた、キャンプ用品「コールマン」のファミリーセールがあった。
場所は自宅から自転車で5分のTOCメッセ。
日曜午後、赤坂に自転車で向かう途中に寄ってみたが、ガードマンも出てものすごい人の多さに、思わず通り過ぎてしまった....

途中の恵比寿でJRMのシャッターが開いていたので覗いてみた。

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休みの日に作業してるのはたいがい「じ~じ」なので、
「ひょっとして北海道4デイズ用マシンでも作っているのかな?」
と思ったが、メカのスーさんが一人で作業中だった。

シャイなので表舞台には出てこないが、「縁の下の力持ち」スーさんの尽力なくして、チームスガワラは回らないだろう。

今日から2週間、静岡の工場でレンジャーのボディ制作に、メカ全員で出張。
月曜に積み込めるよう一人で準備をしていた。
先週までずっとヒノの工場で作業していたと思ったら、来週は静岡へ....

毎年のことだが本当に休むヒマが無い。

モスクワからスタートし「1万キロ先」の北京にゴールしたあと、バイラーさんがモンゴルまで「数千キロ」を陸送し、モンゴルラリー(約4000km)に参戦するという。
ダカールラリーより長い合計14000キロのダート走行は、レンジャーにどれほどのダメージを与えるのか、想像がつかない。
そこから1月のダカールに向けて、
って南米までは船で運ぶので、実際は11月には車両を完璧に整備していないとならない。
私にできることはエアコンの効かない作業場で、日を追うごとにゲッソリしていくスタッフのみなさんに、アイスの差し入れをするくらいだが、チームスガワラの「死のロード」はすでに始まっている。