カフェしなの

TREK とKONAとEVILと、たまに1250 GS HP

初泳ぎ

ひとあし先に夏休みの妻は、娘を連れて先週から蓼科の山の家へ。
クルマは妻が乗っていったので、電車で蓼科に向かった。

イメージ 1
茅野駅まで妻と娘に迎えに来てもらう。

ほんの数日離れただけだったが、娘のいない生活は本当にさびしかった。
娘も「パパがいない~」と夜中に何度も泣いたらしい。

標高1600mの高原は、夕方になると寒いくらい。

イメージ 2

イメージ 3
義姉家族と一緒に花火大会をしたり

イメージ 4
子供たちも一緒に標高2000mの白駒池から、2200mの高見石まで登り

イメージ 5
モンドモトI 川君のお兄さんがやっている、原村のジェラート屋さんに行くも、定休日で休み
あわただしく遊んだあとは長野の実家へ
イメージ 6
7月から転院した母の見舞いに行った。
こんな田舎でも高齢者施設の入所は3年待ちという。

窓からはのどかな田園風景が広がっているが、寝たきりの母は見ることができない。
ひさびさに会う娘の手をぎゅっと握って、なかなか離さない母。
娘も一生懸命話しかけてくれたのが、いじらしい。

そして夜は近所の温泉「湯っくらんど」へ行き(今回も娘と男湯は入れず)、〆はラーメンをペロリ

イメージ 7

翌日は朝から市営プールへ行き、夕飯は姉の家でごちそうになる。

姉の家は志賀高原のふもと、
少し早く着いたので近所の川に寄ってみる。

イメージ 8

イメージ 9
義兄が
「むかしはカジカがたくさん獲れた」という川だが、護岸工事をしたおかげで今はアユが精いっぱいらしい。
イメージ 10
そして姉の家に行き、庭のきゅうりをもがせてもらう


こんなオマケも
イメージ 11
葉っぱからカエルが飛びついてきた


最近の気に入りはきゅうりにミソをつけて食べること。
一緒に採ったミョウガはさすがにまだ食べられない。

イメージ 12
翌朝は早く起きて迎え盆に行く

イメージ 13
そしてこのあと向かった先は

イメージ 14
海の無い長野県民にとって、海といえば新潟。
むかしは高速が無かったので新潟の海に行くのも、汽車かクルマでも3時間以上かかったが、今は高速が延びたおかげで自宅から1時間で、一番近い谷浜海水浴場に行ける。
でも谷浜は砂浜の海岸なので、すぐ飽きてしまうだろう。
せっかくなら磯の海を泳がせたいと向かった先が、谷浜から40km先のここ
「くじらなみ海水浴場」
イメージ 15
3年前、湘南の海には入ったが、泳ぐのは初めて。
波のある海に大興奮の娘。

イメージ 16
お昼は海の家で定番のラーメンとカレーライス

実家の両親はとにかく堅実で、子供のころ海に来てもお昼は持参したおにぎりで、海の家にも入らず砂浜で食べていて、海の家でラーメンを食べる人たちが、うらやましかった。

スキーに行くときも持ち込みOkなロッジで、高校生までおにぎり持参だった。
自宅からバスで30分で一番近いスキー場に行けたが、40年近く前はそれが普通の光景だった。

岩場のほうに行くと小さいフグや小魚もいるが、日本海なので熱帯魚はいない。
それでも
「おさかないたよ~」
「ワカメたくさんとったから、おみそしるにいれてたべたい~」
と大興奮だった。

こんなに喜んでくれるなら、東京に帰ったらライフジャケットと水中メガネも買って、西伊豆あたりのきれいな海に連れて行ってやろうかと思ったが、お盆を過ぎるとクラゲが出るので、もう無理らしい.....。

獲ったワカメ(らしきもの)をたくさん水着に詰め込んで
「これ、よるたべる~」って...

「まだあそぶ~」
という娘のカラダをシャワーで洗い、帰宅。
せっかくここまで来たのだから、たまには違う温泉に寄って行こうと、立ち寄ったのが
イメージ 17
木島平にある「馬曲(まぐせ)温泉」

むかし来たような記憶があったが、この露天風呂の景色を見て思い出した。
今回も男風呂と女風呂の前で、父子は涙の別れ。
「ぱぱといはいりたい~」
という娘の絶叫に後ろ髪を引かれながら、さびしく男湯に入ると、まだ早い時間だったので誰もいない。
隣りにあるであろう女湯に向かって、娘の名を呼ぶと
「パパ~」って返事が。
「こっちはだれもいないよ」
というと5分もしないうちに娘がやってきた。

そのうちおじいさん数人が入ってきたが、ひさびさに娘と露天風呂に入れて、父は幸せだった。

夕飯は帰省するたびにスラックラインをさせたもらう、小布施の浄光寺さんがやっているという「茶房まめ家」で、豆腐の懐石料理をいただいた。
豆腐とわかめの味噌汁がでてきたので
「さっきとったワカメをいれてもらったんだよ」
というと
「やった~」
と大喜びして私たちのワカメもみんな、バクバク食べていた。

18歳まで住んでいた須坂市からみれば、当時の小布施町は「農業と栗ようかんしかない」田舎町で、私の両親も働いていた須坂の工場に通う人たちの「ベッドタウン」だった。
それが晩年を小布施で過ごしたという葛飾北斎と、栗菓子を使った町おこしで成功した小布施に対して、工場の海外移転を機にいっきにさびれた須坂市で、はっきり明暗が分かれてしまったことを、帰省するたびに感じる。

13日(土)朝9時に実家を出発。
上り車線の大渋滞を横目に見ながら、12時に東京の自宅に到着した。

田舎の両親が元気だった20年前なら、娘を夏休みのあいだ実家に預けられたが、今はそれもかなわない。

夏休みを田舎で過ごした同級生たちも、そろそろ戻ってきたようで、学童保育のスマイルスクールも少しづつ活気が戻ってきた。

2学期まであと2週間。
すこしでも思い出が作れるよう、またどこかへ連れて行ってやりたい。