9月1日は防災の日
地震が起きたことを想定し、小学校へ子供を引き取りに行く訓練があった。

戦後70年たっても「防災ずきん」は健在。
先生の
「地震だ~」
の合図で子供たちは一斉に机の下に隠れるのが、不謹慎だけどかわいい。
それにしても最近の台風の被害はすさまじい。
東京でも管理している古いマンションは雨漏りするので、台風の日は気が気でない。
もう一つ、九月といえばお祭り。
戸越銀座に住んで12年。
引っ越し当初はバツイチ独身だったので、町会とは無縁だった。
そのうち再婚して子供が出来て、家の前を子供みこしが通るのを見て、娘が
「やりたい」
って言いだして、町会に入ったのが去年の暮れ。
正月の餅つき大会に参加して、4月は花見、そしていよいよ夏まつり。
9月10(土)、11日(日)の本番前の土曜日に、公園で祭りの準備


数か所テントを立てて紅白の幕を張り、神様を迎える準備。
54歳の私は町会で若手とは言えないが、12年間参加しなかった私より、若いが古参の青年部員もいる。
それにしても町会員が少ない。
今年は3年に一度、八幡様の大神輿が出るらしいが、若手20人くらいで持ち上がるのか?
縁あって浅草の鳥越神社の神輿を、約20年担がせてもらった。
地元の知人の娘さんが大人になり、神輿に興味が無くなったので半纏(はんてん)が余っていた。
町会の半纏が無いと神輿は担げないので、年に一度、借してもらっていた。
「江戸の三大祭りは三社、神田明神、鳥越」
と言われるくらい有名な祭りなので、全国から「お神輿愛好会」という面々が集まる。
「愛好会」というやさしいネーミングとは似ても似つかない、全員ヤクザかと思うくらい全身彫り物のイカついお兄さんたちが多く、神輿を担いでいるあいだ、そこらじゅうで乱闘が起きていた。
愛好会はヤクザと同じ「縦社会」
会長など上層部の意見は絶対で、神輿のとき別の愛好会とケンカになった若い衆が、やられたまま帰って来たのを見た会長が
「もう一度相手を探してやってこい」
と言っていた.....。
ほとんどの愛好会の方針は
「ケンカはご法度、でもやられたら必ずやりかえせ」
なのだ。
鳥越神社の本社神輿は「千貫神輿」と言われるくらい、大きくて重い(重さ4トン)。
それを担ぎたい数百人の担ぎ手が、一斉に神輿に群がり乱闘が始まる。
なので「祭り=乱闘」と刷り込まれていた私にとって、担ぎ手のいない神輿と聞いて、かなり違和感があった。
3年前の八幡様の本社神輿では、担ぎ手が少なくてその重さに耐えられず、神輿を落としたという。
神輿は神様を乗せるもの。
その神輿を落とすというのは、絶対にあってはならないことだが、現実に起きていた。
そのあとは台車に神輿を乗せて引っ張ったというので、神輿担当の町会古参に
「どうして愛好会に(担いでくれと)声をかけないのか?」
聞いてみた。
古参曰く
「できるだけ地元の人間で担ぎたい」
という至極当然な答えだった。
神輿は本来地元の人が担ぐものだが、いくら三社や鳥越祭りがメジャーでも、浅草に住む神輿を担げる「若者」は本当に少ない。
昨今のマンションブームでニューファミリーがたくさん住んではいるが、
「お神輿に誘ってもみんな興味が無いって」
と町会の人が言う通り、最近の人はお祭り、とくに神輿には興味が無いので、仕方なく愛好会に担いでもらっているのが現状.....
わが町も同じで、いくら誘っても若者が集まらず、仕方ないので60代の「元」若者も、神輿を担いでいるらしい。
祭り前日の金曜夜は町神輿の組み立て。

年に一度のことなので、棒の組み方や縄の締め方をみんな忘れている。

こちらは明日土曜にある子供みこし。
娘もママと組み立てを見に来て、邪魔をしているのか手伝っているのか、「なにか」やっていた。
そして翌土曜日

神様にも降りて来てもらい、準備完了

子供用の半纏(はんてん はっぴではない)を借りて、ご満悦の様子。

午後から子供みこしが始まり、私は交通整理係を任命された。
少子化のなか品川区は、子供はわりと多いほうらしいが、親が参祭りに加しないので、担ぐ子供も少ない。
なので途中で
「肩が痛い」
とか
「重たい」
とか言って、結局大人が神輿を支えて、町会を一周した。
娘も「おもたい~」と文句を言いながら、30分ほど担いだ。
休憩所では生まれて初めて「ラムネ」をもらって飲んだが、
「まずい~」って。
それでもいい思い出になったことだろう。
そして日曜日
気合を入れるため、ひさびさに「ふんどし」を巻く。

って久しぶり過ぎて巻き方を忘れてしまった。

一時期はパンツの代わりにふんどしを巻いていたので、コレクションは数十枚あった。
いろいろ悩んでやっと思い出したが、さてこれはどうやって履くんだっけ?

試行錯誤してなんとか完成

町会の神輿はふんどし丸出しはNGとのことで、残念だが猿股を履く。
そして朝の朝礼

これで本社神輿は無理だろうと思ったが、3年前に神輿を落とした教訓から、3地区合同で神輿を担ぐと聞いて、ホッとした。

この日は朝からあいにくの雨
嵐でも槍が降っても担ぐのが神輿なので、冷たい雨のなか隣町から神輿が来るのをじっと待つ。

やっと来た。
鳥越では町会の半纏が200枚しかないのに、神輿本番では800人が同じ半纏を着て担いでいた。
どうやら悪いヤカラが半纏をコピーして売っているようで、これは三社やほかの大きな祭りでは当たり前の光景。
以来、もったいないが2年に一度は半纏を作り直していた。

あまりのつらさに途中の写真を撮る余裕が無かった。
鳥越なら1本の「棒」に数十人が群がるところだが、こちらは数人しかいない。
担いでいてその重みに耐えられず、抜けようと後ろを見たら誰もいなかった.......
(ソリャオモイハズダ)


ここからは戸越銀座商店街を渡御(とぎょ)するので、観光客も多い一番の見せ場。
なので人気のない裏通りを担ぐわが町会と違い、愛好会含めて数百人が待機していた。

自分たちの担当が終わってホッとする面々。
こんなのがお祭りらしくていい。

真っ昼間から宴会中。
こんなのもたまにはいい。
そしておじさんたちに交じって、ちゃっかり食べていた(スミマセン.....)

そしてテントや会場の後片付けをして、近所の中華屋さんでの打ち上げに参加

準備が終わって飲んで、子供みこしが終わって飲んで、大神輿を担いで飲んで。
町会は本当に飲む機会が多い。
町会員の平均年齢は63歳とか。
それでも古参たちは本当に元気。
「むかし(40年以上前)は気の荒い若者が大勢いたので、神輿を担いだまま「首都高 荏原インター」から登って行ってしまったそう。
東京オリンピックのころで高速を使う人も少なかったので、大事には至らなかったが、他にもいろいろな武勇伝を聞いて大笑い。
夜は地元の八幡様に参拝に行った。


この神輿も2トンはあるだろう。
本当に少ない人数でよく担げたものだ。
ここから1週間、筋肉痛と「打撲」の痛みが消えることはなかったが、娘が書いてくれた絵を見て、一瞬痛みが消えた(気がする)

明日は「鉢洗い」でまた飲み会がある。
昔はこんな集まりが嫌いだったが、50を過ぎたあたりから人生の先輩方と、酒を飲みながら語らうことが楽しくなってきた。
この町にいつまで住むかわからないが、来年も参加したい。