そして先週セローが納車された

原サイクルのハラさんはモンゴルラリーに参戦中で、いつ帰ってくるか分からなかったが、催促しては悪いと思い「じーっと」我慢していたら、携帯のメッセンジャーに
「帰国しました。いつでも納車OKですよん」
と数日前にメッセージが入っていた。
あわてて電話して電車で引き取りに行くことに。
越谷駅に着いたが、とにかく暑い。
タクシーで行こうかと思ったが、お店までグーグルマップで12分だし、以前アドベの引き取りでうめさんと歩いたとき、それほど遠く感じなかったので歩くことに。
私だけなのかグーグルマップは本当に見にくくて、ルートを外れること数回。
手に持ったヘルメットとヒットエアベストが重いうえに、暑くて汗が止まらない。
さんざん迷って辿り着いたときは、30分くらい歩いたような。
サハラやゴビを歩くよりしんどかった(マジで)
ハラさんも元気そうで安心した(ちょっとやつれてるかナ?)
モンゴルの話しを聞くと、いろいろあったらしい。
まず初日、ヘリの手配が出来なかったと主催者から発表が。
2002年のラリーモンゴルのとき、モンゴル国内にヘリは2機しかなかった。
そのうち1機がNHKの取材中に墜落し、数人が死亡した。
経済成長が進んだ今、ヘリは何十機もあるのかと思ったが、まだ3台とのこと。
軍の所有もあるだろうから実際には1機しかないかもしれない。
3日目にヘリの手配はできたらしいが、ハードな2日間で大きなトラブルが無かったのは奇跡だろう。
ケガや戦意喪失でリタイアも多かったという。
それでもしっかり完走したハラさんは、立派のひとこと。
「つらかったけど、見渡す限り何にもない大平原を走っていたら、急に山が現れたり、日本ではありえない景色のなかを走っていたら、自然と涙があふれてきました」
はるか昔、アフリカからユーラシア、そして日本へとわれわれの祖先がたどってきた歴史を、何千年たってもDNAは覚えているんだろう。
日本勢よりモンゴル人や中国、韓国人が多くなり、レベルも上がっている。
ならば私がむかし迷い込んだ、大ゴビ砂丘群をルートにしてもいいと思うが、レスキューのトラックが入れないので、オンコースにできないらしい。
XR250が主流だった昔と違い、KTMやハスクなどハイパワーレーサーが主役の今なら、どんな砂丘も走れるのに、本当にもったいないと思う。
同じ場所に5分いるだけで、GPSのイリトラックで呼び掛けられ、返事をしないと5分でレスキューヘリが飛んでくる、ある意味「過保護」なFIM公認の国際ラリーと違い、ヘリも飛ばず荷物もビバークに届かず、最後はすべて自己責任で走らなければならないモンゴルラリーは、かなりハードルの高いラリーになっている。
ハラさんも
「YBIや北海道4デイズと違い、お店のお客さんに行きましょうなんて、気軽に声をかけられません」
って。
「モンゴルラリーは日本人がやっていて、日本語が通じるから安心」
なんて思っている人がたくさんいるらしいが、どんなに万全な体制で臨んでも予期せぬトラブルは起きるもの。
ここ数年、日本人エントラントが減っているのも、「モンゴルラリーはハードらしい」という認識が、浸透しているからかもしれない。
むかしは
「モンゴルはラリーの登竜門」
なんて言われていたが、他の「過保護な」ラリーと違い、孤高の存在になりつつあるのかも。
なにがあっても自己責任で乗り越えられる、強いライダーなら挑戦する価値はあるのだろうが、海外ツーリングの延長と考えているなら、やめたほうがいい。
そしてセロー

フレームとエンジンの振動を低減する「パワービーム」

SP忠男のパワーボックス

ヤマハ純正のハイシートとワイドステップ
セローなのに両足ベッタリかかとが着かない。

携帯充電用のシガーライター

ETCケースに

純正リアキャリア
そして前後足回りはテクニクス製に交換。
乗り出してすぐ加速が違うことに気付く。
足廻りもほわんほわんと気持ちいい乗り心地
約40kmを下道で帰ったが、本当に乗りやすい。
アドベと違い渋滞しているクルマのあいだを、スイスイ抜けていける。
試しに第三京浜に乗ってみると、北海道4デイズで借りたスガワラ爺のセローとは、まるで別物と思うほどエンジンがよく回る。
試しに100km/hまで加速しても、振動がまったく無くまだまだスロットルに余裕があった。
まさか55歳でセローに乗るとは思わなかったが、あまりにも楽しく初めてバイクに乗った高校生のときを思い出した。
非力な父親のカブ90ccやCB125でも、走るのが楽しくて仕方なかった。
大排気量車でブイブイ走るより、よほど楽しい。
このセローは「初心に戻れるバイク」なんだろうナ。
パッと見ノーマルな外観もいい。
「ヒツジの皮をかぶったヤギ」
とでも呼んでやってください。