R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

白馬から長野へ


長野の姉から9月10日(日)に、母親が入所している施設で家族同士の懇親会があるので、代わりに出て欲しいと電話があった。

長野に住む姉夫婦には、長男の私が東京で母親の面倒が見れないので、すべてやってもらっていた。
義兄の幼なじみにガンが見つかり、元気なうちに昔みんなで行った、ハワイへ行くことになったらしい。
妻が土曜日仕事だったので、私ひとり久しぶりにアドベで行くことに。
ヘルメットのシールドがだいぶ傷ついたので交換した。
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マックスのSさんにアライのCTZを薦められ、旧友のSさんもジェット派なので、
久しぶりに私もジェットヘルに買い換えようと思っていたが、サイズが無かったのでジェットはやめて、とりあえずシールドだけ交換。

原サイクルのハラさんから
「しなのさんがオフヘルメットかぶってるの見たことないけど、持ってるんですか?」
と聞かれた。
子供が生まれてからオフは走らなくなったので、ヘルメットを含めオフ用グッズは、最低限必要なものを残してみんなあげてしまった。

おととしだったか安物のシールドタイプのオフヘルを買ったけど、都内では前側が開くシステムヘルメットが一番ラクなので、かぶっていない。

レースでなく林道ツーリング程度なら、オフヘルでなくても十分なので、かぶりませんと答えたような。

ついでに買ったのが
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グローブもそろそろ秋用を買おうと思っていた。
「香川産」にひかれて購入。
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暑い夏はオフ用のメッシュグローブを使っているが、夏休みで子供と海に入るとき毎回はめていたので、岩場でこすれてボロボロに。
またオフ用を買おうか迷ったが、長野は涼しいかもしれないのでこちらにした。

そして土曜日は快晴、
実家は関越で帰ったほうが速いが、週末に白馬でBMWのイベントがあるというので、立ち寄ることにした。
中央高速は朝から渋滞しているだろうが、バイクは関係ないのでゆっくり8時に出発。
案の定、首都高から20km先の中央高速「石川PA」まで渋滞中。
ゆっくりすり抜けながら国立府中の近くで、実家のカギを忘れたことに気づきUターン。
長野は涼しいと思いマックスのライディングパーカに、昨日買った手袋で出発したが、今日は暑すぎた。
自宅に戻りカギを取るついでに、ヒットエアのメッシュジャケットと、穴の開いたオフ用グラブに着替えて、また渋滞のなかを進む。

やっと諏訪SAに着いたのは12時過ぎていた。

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昼は白馬の会場で食べようと思っていたが、ナビの到着時刻は2時過ぎ。
なのでサンドイッチとコーラで軽い昼食を済ます。
最近は500ccのコーラが飲みきれなくなった。

そして安曇野ICから下道で白馬まで50数キロ。
これが遠かった。
白馬に行くのは10年ほど前のガストンミーティング以来か。

主宰者のヤマダサンからガストンのお守りを仰せつかり、GS乗りの知人と3台で走った。
たくさんのビーエムバイクとすれ違う。
イベントの帰りなのだろうか。

そしてやっと白馬に到着
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長野の実家からスキーへ行くには、志賀高原や菅平のほうが近かったので、白馬はほとんど来たことが無かった。

何千台のBMWが来ているのかというくらい、たくさんのバイクが停まっている。
駐輪場の先では何かのアトラクションをやっていた。

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夜はここで食事して、ステージではライブもあるんだろう。

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ゲレンデを使ったヒルクライムコースなのかな?
写真よりかなり急で助走も短い。
重たいGSで走る元気が私にはない。

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GSキャンプに来ていた「GS教団」の姿も。
子供向けのバンジーなどもあり、家族や仲間と来たら楽しいだろうが、一人では面白くもなんともないので、早々に会場を後にした。

実家までは鬼無里を抜けていくのが近道。

小学生のころ友人と鬼無里まで、自転車で日帰りツーリングをしたが、片道50kmはさすがに遠く、山道は登りもきつくて帰宅したのは夜10時過ぎ。
当時は家に電話が無く、心配した親が警察に電話して、帰宅したときは大変な騒ぎに。
こっぴどく怒られたのが鬼無里の思い出。
長野オリンピックのおかげで道路は整備されたはずだが、20年たって路面がかなり荒れていた。
狭くてブラインドコーナーばかりの山道だが、イベントに参加するツーリングの集団と、何十台もすれちがう。
先日、箱根ターンパイクでバイク同士が衝突して死亡事故が起きていた。
対向車線をはみ出した40代の男性が死亡し、つっこまれた親子ライダーも大ケガをしたとか。
マックスSさんも
「箱根や富士のまわりのワインディングは、インから抜いて行く人もいて、まるでサーキット状態」とか。

こんなところで突っ込まれても困るので、ブラインドはアウトーアウトーアウトで慎重に進む(それでもオーバーランしてくるバイクがいて、かなりおそろしい)。
白馬から鬼無里経由で長野市内まで、30kmで信号が2か所しかなかったのは、信号で止まるたびヒジが痛む私には、とてもありがたかった。

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ふだんは家族で帰省するので、なかなか同級生たちと飲めないが、今日は大丈夫。

手前のN君は山田牧場がある高山村在住で、山の上から通学するのに高校1年でバイクの免許を取り、高3でルーチェを買って友人らとクルマ通学。
「高山村の花形満」と呼ばれていた。

今回来れなかったM君はトライアスロン歴20年で、長野では古株らしいが、高校時代は帰宅部でヘビースモーカー。
M君からのメールには
「日曜は菅平~草津志賀高原のいつものルート。時間があったら戸隠まで自転車でトレーニング」って。
バイクでツーリングしてもかなりの距離だが、このくらいサクサク走れないと本番はきびしいらしい。

自転車をクルマに積んで、高速を走らなければ山に行けない都会のアスリートからすれば、自宅から山田牧場まで信号1か所しかないN君の家は、最高に贅沢な環境。
スキー部だったN君にトライアスロンや山のなかを駆け回るトレイルランニングを薦めたら、
「そんなことしてなにが楽しいんだ?」
って。
太陽の下で肉体労働をする知人から
「俺たちは汗かいてカネ稼げるけど、汗かいて走ってなにが楽しいの?」
と言われたが、建設会社の現場監督をしているN君からすれば、マラソントライアスロンはふだんエアコンの下で仕事をしている人がやる、道楽に見えるんだろう。

そして翌日曜日は施設の懇親会。
100人以上の入所者とその家族で、広い食堂も超満員。

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介護士さんから
「お母さんはあちらのテーブルですよ」
と言われ行ってみたが、母親を別人と間違えて通り過ぎてしまった。
「??」
もう一度戻りジャージの名前を見たら母親だった。
いつもベッドに寝たきりのときは、片目をつぶっていたが、今日は両目を開けていてまるで別人。
脳梗塞で口がきけず、半身まひなのは5年前と変わらないが、私の目をじーっと見て握る手の力強さにおどろいた。

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元気なころはいつもお化粧をして、身ぎれいにしていた母。
こんな髪ボサボサの姿を鏡で見たら、ガッカリしてしまうだろう。

母が倒れた一週間後に、父が心筋梗塞で急死。
入院中の母にそのことが伝えられないまま、5年が過ぎてしまった。
なので私の手を握りじっと見つめる母の目が

「お父さんはどうして見舞いに来ないのか?」
「お父さんは死んでしまったのか?」
「もうこんなところにいたくない!」
なんて訴えているようで、思わず目をそらす。

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実は今日は母の88歳「米寿」の誕生日だった。

そんなことを言われるまで忘れていた自分が、本当に情けないやら申し訳ないやら。

こんなことなら無理してでも、娘を連れて来てやるんだったと、激しく後悔した。

「次は子供連れてくるね」
と約束して、毎回のことだが後ろ髪を引かれながら施設を出た。

そして墓参りを済ませ

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お墓から1キロのダートを走り、

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フルーツ街道を走って上信越道→関越経由で帰宅。

週末は地元の戸越銀座のお祭りだったので
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子供みこしも担げたらしい。


ひさびさのアドベンチャーだったが、やっぱり快適。
毎日狭い庭からの出し入れでヒジが痛くなり、いっそのこと「軽そうな」1200GSラリーに買い換えようかと思ったほどだが、白馬でラリーをたくさん見て
「やっぱりアドベのほうがカッコいいよな~」
と再発見した次第。

アクセルひと開けでいっきに別次元に行けるのは魅力的だが、遅いクルマが前を走っていると、つい「オラオラ系」の運転になってしまうのは、まだ人間が出来ていないからか。

次のアドベの出番はSさんとのいわき行。
DOAの前に大和モーターの社長さんと会って、また一緒に走れるか打ち合わせをしたい。