長野の姉から9月10日(日)に、母親が入所している施設で家族同士の懇親会があるので、代わりに出て欲しいと電話があった。
長野に住む姉夫婦には、長男の私が東京で母親の面倒が見れないので、すべてやってもらっていた。
義兄の幼なじみにガンが見つかり、元気なうちに昔みんなで行った、ハワイへ行くことになったらしい。
妻が土曜日仕事だったので、私ひとり久しぶりにアドベで行くことに。
ヘルメットのシールドがだいぶ傷ついたので交換した。
マックスのSさんにアライのCTZを薦められ、旧友のSさんもジェット派なので、
久しぶりに私もジェットヘルに買い換えようと思っていたが、サイズが無かったのでジェットはやめて、とりあえずシールドだけ交換。
原サイクルのハラさんから
「しなのさんがオフヘルメットかぶってるの見たことないけど、持ってるんですか?」
と聞かれた。
子供が生まれてからオフは走らなくなったので、ヘルメットを含めオフ用グッズは、最低限必要なものを残してみんなあげてしまった。
おととしだったか安物のシールドタイプのオフヘルを買ったけど、都内では前側が開くシステムヘルメットが一番ラクなので、かぶっていない。
レースでなく林道ツーリング程度なら、オフヘルでなくても十分なので、かぶりませんと答えたような。
ついでに買ったのが
グローブもそろそろ秋用を買おうと思っていた。
「香川産」にひかれて購入。
暑い夏はオフ用のメッシュグローブを使っているが、夏休みで子供と海に入るとき毎回はめていたので、岩場でこすれてボロボロに。
またオフ用を買おうか迷ったが、長野は涼しいかもしれないのでこちらにした。
そして土曜日は快晴、
実家は関越で帰ったほうが速いが、週末に白馬でBMWのイベントがあるというので、立ち寄ることにした。
中央高速は朝から渋滞しているだろうが、バイクは関係ないのでゆっくり8時に出発。
案の定、首都高から20km先の中央高速「石川PA」まで渋滞中。
ゆっくりすり抜けながら国立府中の近くで、実家のカギを忘れたことに気づきUターン。
長野は涼しいと思いマックスのライディングパーカに、昨日買った手袋で出発したが、今日は暑すぎた。
自宅に戻りカギを取るついでに、ヒットエアのメッシュジャケットと、穴の開いたオフ用グラブに着替えて、また渋滞のなかを進む。
やっと諏訪SAに着いたのは12時過ぎていた。
昼は白馬の会場で食べようと思っていたが、ナビの到着時刻は2時過ぎ。
なのでサンドイッチとコーラで軽い昼食を済ます。
最近は500ccのコーラが飲みきれなくなった。
そして安曇野ICから下道で白馬まで50数キロ。
これが遠かった。
白馬に行くのは10年ほど前のガストンミーティング以来か。
主宰者のヤマダサンからガストンのお守りを仰せつかり、GS乗りの知人と3台で走った。
たくさんのビーエムバイクとすれ違う。
イベントの帰りなのだろうか。
そしてやっと白馬に到着
長野の実家からスキーへ行くには、志賀高原や菅平のほうが近かったので、白馬はほとんど来たことが無かった。
何千台のBMWが来ているのかというくらい、たくさんのバイクが停まっている。
駐輪場の先では何かのアトラクションをやっていた。
夜はここで食事して、ステージではライブもあるんだろう。
ゲレンデを使ったヒルクライムコースなのかな?
写真よりかなり急で助走も短い。
重たいGSで走る元気が私にはない。
GSキャンプに来ていた「GS教団」の姿も。
子供向けのバンジーなどもあり、家族や仲間と来たら楽しいだろうが、一人では面白くもなんともないので、早々に会場を後にした。
実家までは鬼無里を抜けていくのが近道。
小学生のころ友人と鬼無里まで、自転車で日帰りツーリングをしたが、片道50kmはさすがに遠く、山道は登りもきつくて帰宅したのは夜10時過ぎ。
当時は家に電話が無く、心配した親が警察に電話して、帰宅したときは大変な騒ぎに。
こっぴどく怒られたのが鬼無里の思い出。
長野オリンピックのおかげで道路は整備されたはずだが、20年たって路面がかなり荒れていた。
狭くてブラインドコーナーばかりの山道だが、イベントに参加するツーリングの集団と、何十台もすれちがう。
先日、箱根ターンパイクでバイク同士が衝突して死亡事故が起きていた。
対向車線をはみ出した40代の男性が死亡し、つっこまれた親子ライダーも大ケガをしたとか。
マックスSさんも
「箱根や富士のまわりのワインディングは、インから抜いて行く人もいて、まるでサーキット状態」とか。
こんなところで突っ込まれても困るので、ブラインドはアウトーアウトーアウトで慎重に進む(それでもオーバーランしてくるバイクがいて、かなりおそろしい)。
ふだんは家族で帰省するので、なかなか同級生たちと飲めないが、今日は大丈夫。
手前のN君は山田牧場がある高山村在住で、山の上から通学するのに高校1年でバイクの免許を取り、高3でルーチェを買って友人らとクルマ通学。
「高山村の花形満」と呼ばれていた。
M君からのメールには
バイクでツーリングしてもかなりの距離だが、このくらいサクサク走れないと本番はきびしいらしい。
自転車をクルマに積んで、高速を走らなければ山に行けない都会のアスリートからすれば、自宅から山田牧場まで信号1か所しかないN君の家は、最高に贅沢な環境。
「そんなことしてなにが楽しいんだ?」
って。
太陽の下で肉体労働をする知人から
「俺たちは汗かいてカネ稼げるけど、汗かいて走ってなにが楽しいの?」
そして翌日曜日は施設の懇親会。
100人以上の入所者とその家族で、広い食堂も超満員。
介護士さんから
「お母さんはあちらのテーブルですよ」
と言われ行ってみたが、母親を別人と間違えて通り過ぎてしまった。
「??」
もう一度戻りジャージの名前を見たら母親だった。
いつもベッドに寝たきりのときは、片目をつぶっていたが、今日は両目を開けていてまるで別人。
脳梗塞で口がきけず、半身まひなのは5年前と変わらないが、私の目をじーっと見て握る手の力強さにおどろいた。
元気なころはいつもお化粧をして、身ぎれいにしていた母。
こんな髪ボサボサの姿を鏡で見たら、ガッカリしてしまうだろう。
母が倒れた一週間後に、父が心筋梗塞で急死。
入院中の母にそのことが伝えられないまま、5年が過ぎてしまった。
なので私の手を握りじっと見つめる母の目が
「お父さんはどうして見舞いに来ないのか?」
「お父さんは死んでしまったのか?」
「もうこんなところにいたくない!」
なんて訴えているようで、思わず目をそらす。
実は今日は母の88歳「米寿」の誕生日だった。
そんなことを言われるまで忘れていた自分が、本当に情けないやら申し訳ないやら。
こんなことなら無理してでも、娘を連れて来てやるんだったと、激しく後悔した。
「次は子供連れてくるね」
と約束して、毎回のことだが後ろ髪を引かれながら施設を出た。
そして墓参りを済ませ
お墓から1キロのダートを走り、
週末は地元の戸越銀座のお祭りだったので
子供みこしも担げたらしい。
ひさびさのアドベンチャーだったが、やっぱり快適。
毎日狭い庭からの出し入れでヒジが痛くなり、いっそのこと「軽そうな」1200GSラリーに買い換えようかと思ったほどだが、白馬でラリーをたくさん見て
「やっぱりアドベのほうがカッコいいよな~」
と再発見した次第。
アクセルひと開けでいっきに別次元に行けるのは魅力的だが、遅いクルマが前を走っていると、つい「オラオラ系」の運転になってしまうのは、まだ人間が出来ていないからか。
次のアドベの出番はSさんとのいわき行。
DOAの前に大和モーターの社長さんと会って、また一緒に走れるか打ち合わせをしたい。