先日のこと
ちょっと近所に外出して、戻ってポストを開けたら
いつのまにまたじ~じから、アヘッドが届けられていた
そろそろダカールに向けての出発準備で大忙しだろうと、会ってエールを送るのも我慢して、あえて近づかないようにしていたのに......
もう一冊はSSER主宰ヤマダサンの著書「彼方へ」
以前「日刊SSER」(だったかな?)に連載されていたものが、本になったらしい。
自身のパリダカ参戦からTBI、モンゴルラリー開催のいきさつが、詳細につづられている。
帯にはじ~じのコメントも
私がプレスに「なりすまして」参加した、98年の20回大会のことも
このときはまだヤマダサンもじ~じも知らず、スタート前日に泊まったベルサイユの小さなホテルの薄暗い食堂で、ヤマダサンらの隣りのテーブルで、シューセイさんと食事したのだけ覚えている。
今ではおなじみのSSERの黄色いランクルは、ラリー序盤に足回りを壊してリタイアしてしまったが、そのときの状況もこの本を読んで知った。
先日テレビで「モロッコで日本人が未踏の地を探す」という番組を見たが、
「ワルザザット」や「エルラッシディア」など、当時ビバークした町が出てきて、懐かしかった。
もちろんこの本にも同じ地名が出てくる。
当時は30代半ばだったか。
50代も半ばを過ぎた今、同じことができるかといえば、家族ができた今は命が惜しいので無理だろう。
そして2002年のモンゴル
ゼッケン30番は亡くなった米津さん。
今でもテントから顔だけ出したときの、「異様にギョロギョロ光る目」を覚えている。
ラリー中行方不明になって3カ月後、オンコースのすぐ近くで亡くなっていた米津さん。
ファラオやダカールなどFIM規格の国際ラリーは、緊急用のイリトラックシステムや救助ヘリが必須らしいが、数十人規模の小さなラリーでは、これらのためにかかる莫大な費用が負担できない。
私のような方向音痴のうえにライディングスキルの無い人間には、迷子になったらイリトラックが勝手に、大会本部やドクターヘリにつながるシステムがないと、こわくて参加できない。
毎日がいっぱいいっぱいで、文字通り「命からがら」モンゴルを完走した私だが、彼と同じ状況に陥っていても、なんの不思議も無かったことを、今さらながら思う。
「モンゴルはプリミティブ(原始的な)なラリー」
と言うとカッコよく聞こえるが、これからモンゴルに出ようという人は、
ヘリが飛ばなかったり、水が足りなくなったり、
なによりミスコースして行方不明になったとしても、自分でサバイブしなければならない点は、水はいくらでも飲み放題、なにかあればドクターヘリが10分以内に飛んでくる、国際ラリーよりハードルは高いかもしれない。
TBIや北海道4デイズなど、どこでも日本語が通じて、ミスコースしても必ず「道」がある国内イベントと違い、気が付けば半径数十キロに自分ひとり、なんてことが当たり前の世界。
くれぐれも
「ラリーはすべて自己責任」
ということを、肝に銘じて参加して欲しい。
今朝、娘を小学校に送っていく途中で、じ~じの娘のYちゃんに会った。
「昨日出発しました」
って。
ペルーまでは30数時間かかるらしいので、ひょっとしてまだ空の上かな?
じ~じ、いつもありがとうございます。
遠い日本から応援しています。