木曜から出ていた大雨警報は、金曜の朝7時になっても解除されず、区内の小学校は臨時休校に。
その後すぐ警報は解除されたが、いったん決まった休校は解除されない。
共働きのサラリーマンや母子家庭は、ほんとうに大変というか大迷惑だろう。
自宅隣りの耳鼻科の待合室に、娘と同級生の母子を発見。
お母さんは銀行員のはずだが、「今日は休みですか?」と聞くと
「無理言って休んだんです!」って。
休校になった学校へ呪詛の言葉をつぶやきながら、あわただしく帰って行った。
お昼はなに食べたい?と聞くと、すかさず「ラーメン!」って。
土日はスキーに行くので、そのときもラーメンを食べるのだろうが、
「毎日ラーメンでもいい」らしい。
このあとギョウザもペロリ。
ちょっと顔が丸くなってきたなぁ.....
そして土曜は義母を誘って今年初スキー。
クルマで水上高原スキーリゾートへ向かう。
関越自動車道が渋滞する6時前には乗りたかったので、4時に起き5時に自由が丘の義母をピックアップできたが、高速は3か所で事故発生中。
200キロ先のスキー場まで空いていれば3時間のところ、5時間かかった。
それでも30年前のスキーブームのころ、苗場プリンスまで8時間以上かかったり、帰りも10時間以上かかったことを思えば、5時間なら仕方ない。
去年の初スキー、
車は渋滞するからと新幹線で上越へスキーに行ったが、帰りの新幹線まで3時間もあり、大混雑する駅で時間を持て余した。
それなら渋滞しても家族は寝ていてもらえばいいので、クルマのほうが気がラクだった。
水上ICを降りて20km。
途中にいくつかあるスキー場は、標高が低いのか昨日の雨で地肌が見えている。
スタッドレスに履き替えてきたが、一番奥にある水上高原スキーリゾートまで、ほとんど雪は無かった
ホテルにもゲレンデもピカチュウだらけ。
すべてのリフトの支柱に、いろいろなモンスターが貼ってある。
イヤホンで聞いていたラジオで「ベルサイユのばら」が流れたので、娘に聞かせると「バラはバラは~♪」と、リフトに乗りながら大声で歌っていた。
うーん、なんか育て方、間違えたかしらん
金曜は水上も雨だったようで、だいぶ雪も解けてしまったが、今日は快晴
スキーは去年2回行っただけで、今回が人生3回目
今年はこれが初スキーなのに、ボーゲンのほぼ直滑降でガンガン滑る娘。
妻も義母もついて行けず、私がずっと追いかける展開。
雨が降ったせいかゲレンデも空いていて、リフト待ちは無し。
せっかくだからみんなで滑ろうと言っても、ひさびさのスキーがよほど楽しいのか
「パパと二人ですべる~」
とひとりでリフトに乗ろうとする....。
仕方ないので待ち合わせの時間を決めて、私と娘は別行動することに。
午後から日陰はアイスバーンになり、日なたはシャーベット状の重たい雪に。
そんなことおかまいなしにガンガン滑る娘。
「5人抜いたよ~」
「今度は10人抜いた!」
とどうでもいい自慢をしているが、止まれず大転倒することも。
スキー一式とウェアはレンタルだが、午後からはヘルメットも借りた。
妻と義母は3時半にホテルへ戻ったが、娘はなかなか止めず、結局リフト終了の5時まで「ガッツリ」滑った。
夕食前にお待ちかねのお風呂タイム。
(といっても私はひとり露天風呂だが.....)
むかしは露天風呂が無かったようで数年前に新設されたらしい。
ホテルの大浴場と併設していないので、ホテル駐車場まで歩く必要はあるが、しっかりあたたまった。
ここは2007年まで水上プリンスホテルだった。
今は楽天系のリゾート会社が運営しているらしい。
むかしのネットの書き込みを読むと、客室も壁紙がはがれてボロボロだったらしいが、今は部屋は狭いがきれいになっていた。
われわれ家族だけなら民宿で十分だが、「元祖自由が丘マダム」の義母は、民宿や安宿が苦手。
最初は苗場プリンスにしようかと思ったが、むかし大雪の三国峠で大渋滞に巻き込まれたのを思い出し、もう少しインターから近い水上にした。
リゾートホテルだが食事は浴衣やパジャマOKなのもありがたい。
民宿に比べればお値段高めだが、食事も美味しいしスタッフのサービスもいい。
食い意地が張っているので、バイキングはつい食べ過ぎてしまい、カラダに毒。
朝食バイキングも「しっかり」いただいたので、カラダは重く感じるが筋肉痛は無い。
全員レンタルスキーだが、アイスバーンではエッジが「丸まっていて」全然止まらない。
スキーを換えてもらったら、今度は安心して滑れた。
頂上で家族連れのお父さんに写真を撮ってもらう。
娘たちには先に行ってもらい、お礼に彼らの写真を撮って追いかけると、ゲレンデで誰かが倒れている。
赤いジャケットの.....女の人?
「? あっ!お義母さん!」
妻と娘は先に行ってしまったらしい。
スノボの人とぶつかったらしく、相手の人とその仲間が声をかけていた。
「お義母さん!」と呼ぶと意識はある。
相手の人のお仲間が近くのリフト乗り場へ行って、パトロールを呼んでくれた。
救護用のソリに載せられてホテルの救護室へ。
妻の携帯に電話したが出ないので、メールを入れる。
どちらもスピードは出ていなかったようだが、ぶつかって転んだとき後頭部を打ったらしい。
医療従事者の妻が来て、義母の症状を確認。
意識はしっかりしているので、救急車で病院に行く必要はないと判断。
「病院でCTとか取ったほうがいいんじゃないの?」
と聞くと
「意識が無かったり呂律が回らなかったら心配だけど、歳とるとみんな脳や血管が詰まってるから、今行っても分からない」とか。
義母も
「せっかく一日券買ったんだから、まだ滑るわよ」って.....。
心配そうに待っていてくれたスノボの人に、その旨を伝えて
とりあえずお互いの連絡先を交換して、パトロールの事故記録にも記載して、また滑り出すが、大人こそヘルメットをかぶらないとと痛感した。
義母は無理せずゆっくり滑ると言うので、3人で滑る。
今日もガラガラ。
このまま暖かくなってしまったら、今シーズンのスキーも終わりに。
春休みが始まったら仕事の妻には留守番してもらい、娘と二人で長野の実家に帰省して、近所の志賀高原へ連れて行ってやりたいが.....。
これは10mくらいの高さのリフトのうえ。
むかしはなんとも思わなかったが、
「もし落ちたらどうしよう」なんて思うとおそろしくなってしまう。
その後は疲れた妻はホテルに帰り、ひたすら上級者コースをボーゲンで攻めまくる娘。
さすがに疲れてきたのか、なんでもないところで何度も転ぶ。
「もうやめようか?」
「ヤダ!」
「みんな待ってるよ」
「まだすべる~!!」
と駄々をこねていたが、だんだん無口に。
3時になったので
「これでやめようね」
というと小さい声で
「ウン」って.....。
ホテルに戻り帰る準備をしているあいだ、妻たちには温泉に入ってもらう。
「温泉天国 長野県」で生まれ育ったが、実はそれほど温泉は好きではない。
帰りも渋滞だろうから、あたたまって居眠り運転は避けたいので。
、
ホテルには中国人スタッフが多いので、
「ここも中国人観光客が大挙してくるのかな?」
「レストランとかうるさいとイヤだナ」
なんて思っていたが、客はみんな日本人だったような。
帰りの高速も大渋滞だったが、あわてても仕方ないのでゆっくり休憩しながら帰る。
5時に出て義母を送り届け、帰宅したのは10時前だったが、みんな意外に元気。
義母も「筋肉痛だけどアタマは大丈夫」とか。
娘はスキーが大好きらしい。
「そりゃそうでしょ。上り坂はパパが引っ張ってくれるし」(そうだよネ....).
実家から一番近かったのが「山田温泉スキー場」
温泉のバス乗り場からスキー場までは、重いスキー靴を履いてスキーを担いで、急な山道を30分登らなければならない。
「これが大事な準備運動だから」
と教えられたが、頂上のスキー場に着くころは汗だくになるし、帰りもここを歩いて下らなければならない。
雪で滑るとスキーを持ったまま、数十メートル「滑落する」こともあり、子供にはきつかった。
あるときやっとの思いでスキー場に着くと、同級生に会った。
「なんで歩いてるの?」
と聞かれ愕然。
彼は父親が運転するクルマで来ていた。
そういえばスキー場には駐車場があったが、バスはスキー場まで別料金らしく、それを母親はケチっていたらしい.....。
冬の体育の授業は小学校の裏山でスキー教室だった。
学校からスキー靴を履いてスキーを担いで山を登り、やっと頂上から滑り始めるが、みんなが止まるところで私だけ、数十メートル横滑りしてやっと止まる。
「なんでオレだけ止まらないんだろう」
とずっと不思議だったが、私のスキーは姉の「おさがり」の木製で、「エッジが無かった」
翌年の「おさがり」にはエッジがあり、面白いほどよく止まったし、ターンもできた。
それに比べれば今の子供は本当に恵まれていて、うらやましい。
何度も行くとレンタルもかなりの出費になる。
20年前に買ったオーバーパンツは、防水スプレーをいくらかけても、「布」と化して浸水するし。
そろそろ子供のぶんと一緒に、スキー用具を新調しようかナと思うのだが、土曜は娘のバレエ教室があるので、なかなか一泊でスキーに行けないし、子供はすぐ大きくなるし、さてどうしたものか毎回悩む.....。