R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

そろそろ

バイクやクルマにすっかり興味を失ってきたので、乗り物関連の本を整理していたら、今は亡き内田ネンさんが作ったムック本が出てきた。

 
イメージ 2
 
ホンダがスポンサーになりネンさんが企画した本。
ここから「オフロードバム」につながっていったのかな。

イメージ 1

右は当時、用賀にあった枻(えい)出版社にアフリカ乗りが集まり、座談会したときのスナップ。
はるばる岩手から来たうめさんや、浜松のビバンダムS君、当時は自衛隊員のI君や、Sさん、ミヤちゃんもみんな若い(あと誰か忘れた)。
このメンバーの中でいまだにアフリカに乗っているのは、ビバS君だけかな

Sさんもうめさんも私も、当時はアンチGSだったのが今はみんなGS乗りに....

左ページはネンさんが私の事務所に取材に来たときのもの。
毎回ネタを探すのに苦労していたネンさんから
「sinaさんちょっと取材させてよ」って。
それにしても「走る不動産屋」って、すごいネーミングだなぁ。

ここは23年前に独立して、2回目に借りた事務所。
Sさんの750アフリカ(RD07)からポンコツRD03(650)に乗り換え、さらに2台目のRD03に買い替えたころか。
その03はラストTBIのあと、栃木のホンダマニア、ウエキさんのところへ嫁入り、
アフリカと入れ替えに100GSをアダチ君から譲り受けたが、出っぱったエンジンが玄関ドアに当たって、事務所に入らない。

スガワラじ~じの家に「居候」していた、故ガストンじ~じと呑んだときのこと。

ワタシ  「事務所のドアが狭くて100GSが入らない」

ガストン 「オレのマシンなら入るぞ」


ここは2年ほど借りていたが、近くの表通りの事務所が借りられることになり、そちらへ移転した。

イメージ 3
 
ここを借りた理由は「ドアが両開きできる」こと。
これでバイクが自由に入れられる
あいかわらずガラスに貼り紙もしないので、広い通りに面していたが不動産屋と気づく人も少なかった。
 
 
イメージ 4
 
 
面白くもなんともない内装なので、大家さんの許可をもらい
 
イメージ 5
 
当時友人だった家具屋に頼み、スケルトンからリフォームしてもらった。
 
イメージ 6
 
イメージは
アメリカの探偵事務所」
ブラインドもウッドで作ってもらった。
 
イメージ 7
 
 
コーヒーを淹れるためのカウンターも作ってもらい、以来「カフェしなの」と呼ばれるように。
 
イメージ 8
このポスターはじ~じから開店祝いにいただいたもの。
オリオールが優勝したとき、パリ中にこのポスターが貼られたそう。

トヨタがルマンで優勝したり、佐藤琢磨がインディで優勝したとき、名古屋や東京に彼らをたたえるポスターが貼られただろうか。

じ~じがこのポスターを入手、オリオールがパリダカのオーガナイザーとして来日したとき、サインしてもらったものをプリントして分けてくれた。

マックスフリッツやガレージフラットへも、コピーしてお分けした。

この事務所は居心地が良くて、大家さんのおばあちゃんとも仲良し。
「アタシが死んだらアンタが買ってね」
と約束していたのだが、おばあちゃんが亡くなったとたん、息子さんが別の不動産屋に売ってしまい、家賃も大幅値上げされた。

その数年前に今の自宅ビルを購入し、2階は自宅、1階はタンゴ教室に貸していたが、タンゴ教室が引っ越すことになったので、事務所を1階に移転したのが10年前。
こちらも気にせずバイクを置いてカフェのように使っていたが、今の奥さんは鼻がいいのでガソリン臭が苦手、
またバイクたちは家の外に置かれることに。

自宅が手狭になったので娘の小学校入学に合わせて、引っ越しを考えていたが、世の中はオリンピックバブルに突入。
探していた予算の倍の価格になってしまい、買い替えを一時断念。
1階の事務所をリビングに改装、2階自宅の4畳半ほどのキッチンを改装し、事務所にしているが、小3になりちゃんとした子供部屋も欲しい年ごろ。

そろそろ高騰した不動産も売れなくなり、あぶない不動産業者も増えてきて、バブル崩壊の足音がヒタヒタと聞こえてきた。
あとは中国かアメリカかどこかの国が、崩壊の引き金を引いて、不動産が大暴落してくれることを祈っている。