カフェしなの

TREK とKONAとEVILと、たまに1250 GS HP

弾丸ツアー

そして三連休の日曜と月曜は伊豆大島
今回のメンバーはわれわれ親子3人と、妻が働く病院の看護師のカナコサン、妻の同僚の若手医師イマザト君の5人。

40代のカナコサンは数年前までオーストラリアのグレートバリアリーフで、ダイビングインストラクターをやっていた、異色の経歴の持ち主。

28歳のイマザト君は子供のころから釣りキチで、休みの日は海釣りが日課

去年の夏、家族で神津島へ行った話を、妻が彼らにしたところ、
「じゃあ大島でダイビングと釣りやりましょう」
という話になった。

アクティブなカナコサンが宿やダイビング、釣り船の手配まですべてやってくれ、われわれ親子はただ行けばいいだけの、大名旅行

朝7時半に竹芝の客船ターミナルに集合。
遅れてはまずいので6時半に家を出て地下鉄に乗ったら、7時過ぎに到着してしまった。
行きは去年、神津島へ行った時と同じジェットフォイル

旅好きには「速すぎて風情がない」と不評らしいが、酔うので船が苦手な妻は揺れないジェットフォイルがいいし、私も移動は速いほうがいい。

イメージ 1


イメージ 2
連休なので満員。
トイレ以外は席を立てず、デッキにも出られないが、1泊2日の弾丸ツアーなので、移動は速いほうがいい。
イメージ 3
2時間ちょっとで大島に到着。

イメージ 4
右からイマザト君、カナコサン、娘と妻。

手配していたレンタカーを借りて、とりあえず今日の宿「舟吉」さんへ。
宿から歩いて30秒で、日の出浜というビーチに出られる。

今日はちょうど海開きだった。

イメージ 5

ハワイアンダンスのお披露目も

イメージ 6

水はまだ冷たいが、娘とカナコサンはさっそくシュノーケリング

イメージ 7

神津島ほどいろいろな魚はいないが、それでも下田あたりとは比較にならないくらい水はきれいで、魚もたくさんいる。

私も少し泳いでみたが、最初は心臓が止まるくらい冷たく感じた。

イメージ 8
釣り船を予約しているので、
「まだおよぎたい~」
と駄々をこねる娘に、
「ラーメン食べよう」
と釣って、近くの食堂で早めのランチ

イメージ 9

むすめはどこへ行ってもラーメンが最高のごちそう。



わたしは地元のサカナの「づけ丼」
美味しかった。
イメージ 10

そしてあわただしく海釣りへ。
「船がゆれているのを見るだけで酔う」
という妻はお留守番。

イメージ 12

こういう船釣りは私も娘も人生初体験。

20数年前のバブル全盛期、
周りのにわか成金がみんなヨットやクルーザーを買って、よく乗せてもらった。

そんななか「まじめな不動産屋」のNさんは、老舗不動産屋の娘だった奥さんと、結婚したときはヤマハボートの店長で、高校大学もヨット部という筋金入りの、「海のオトコ」だった。
義理のお父さんが亡くなって不動産屋を継いだが、バブルの恩恵で念願のクルーザーを買った。
加山雄三石原裕次郎をこよなく愛するNさんは、本当はヨットが欲しかったが、まだ子供たちが小さくて一人で操船は無理。
ほかの成金たちは銀座や六本木のオネーサンたちを船に乗せて、豪華クルージングを楽しんでいたが、家族思いのNさんは一切夜遊びをせず、悪い仲間ともつるまなかった。
なので一人で操船できる30フィートのクルーザーを買い、油壷のシーボニアにマンションも買って毎週末、家族で海に来ていた。

私はと言えばすぐ近くの三戸浜で、毎週ウィンドサーフィンをやっていたが、調子に乗って沖に出たまま戻れず漂流し、陸が見えないところまで流された。

数時間後にたまたま通った漁船に助けられたが、ボードの上に座って漂流中、アタマがトンカチの形をしたサメがボードの周りをグルグル回り、セールでたたいて追い払ったが、生きた心地がしなかった。

以来、ウィンドはやめていたが、親しかったNさんに声を掛けられ、
「ボートなら大丈夫だろう」
船舶免許を取得した。

以来夏は毎週のようにNさん家族と、トローリングを楽しんでいた。
大島くらいまで行けばカジキマグロの大物が釣れるが、子供たちがまだ小さいので、あまり遠くはいけない。
それでもたまに2mくらいのカジキや、1mくらいのシイラ、サメも釣れた。

イメージ 38

ワイハにもトローリングの大会で遠征した。
87年だから30年前か。
お盆休みで飛行機が一番高い時期。
26歳の小僧のくせにバブリー臭プンプン。
今の私が会ったら、ほんとにイヤミたっぷりなヤツだと思う。


そしてバブル崩壊
にわか成金たちがヨットやクルーザー、外車や別荘(&愛人?)を手放し、会社も家庭も崩壊していくなか、堅実なNさんはバブルの影響は受けなかったが、子供たちが大きくなり受験や部活が忙しく、家族で海に行く機会が激減してしまった。

しばらくしてマンションもクルーザーも手放してしまい、私も土日仕事の不動産屋に転職し、海に行くことはなくなってしまった。

70歳になったNさんは今はクルマに夢中。
とにかく速いクルマが好きで、「ポルシェより速い」というAMGのモンスターをドライブすることで、フネに乗れないストレスを発散しているとか。


その後、元プロのフライフィッシャーOさんからフライフィッシングに誘われ、ロッド数本からウェイダーまで一式を買わされて、何度かどこかの川へ釣りに行った。

子供のころ長野の川で、アユやウグイ、たまにイワナも釣ったが、サカナはあまり好きではなかったので、結局フライも続かず、だれかにフライ一式を譲ってしまった。

なのでこういう「庶民的な?」釣り船は初めて。

テレビで女性タレントが釣りをやっているのを見た娘が
「あたしもやってみたい」
と言っていたので、一度やらせてあげたかった。

釣り自体20数年ぶりなので、ハリやえさの付け方を娘と一緒に、イチから船長さんに教えてもらう。

船には強いと思っていたが、去年の神津島で夜、「夜光虫を見るツアー」に参加したとき、揺れる船の上からずっと真っ暗な海面を見ていたら、なんとなく酔ってしまった(夜光虫って目が悪いのでよく見えなかった)

これも30年前のバブルのとき、
「土地ころがし」でにわか成金になった当時の社長が突然、
「ヨットが欲しい」
と言い出した。

社長の友達の友達が共同オーナーでヨットを持っていて、一人抜けることになり、その権利を買う話になった。

先述したNさんと違い、中高大とアイスホッケー部だった社長。

ヨットは乗ったことがなかったが、やっぱり加山雄三裕次郎世代なので、
「いつかはヨットに乗りたい」
と思っていたらしい。

「じゃあ試しに一度乗ってみましょう」
という話になり、2月の真冬に油壷のシーボニアから沼津まで、クルージングすることになった。

メンバーは社長とワタシ、それと元ホストで同僚のIさん。
全長10mくらいのヨットなので、船長のほかは大学ヨット部の若手が数人。
お金がなくてヨットを買えない彼らは「奴隷」と呼ばれてこき使われているが、フネに乗れることをヨロコビと感じる人種らしい。

夜7時にシーボニアを出港したヨットは、真冬の荒れる海を進んでいく。
と、走り始めて30分、まだ相模湾から出てもいないのに、社長とIさんが酔ってしまった。
「お願いだから戻ってほしい」
という懇願も聞き入れられず、真っ暗な海を進むヨット。

さんざん吐いて、吐くものがなくなった二人は、キャビンの隅でボロ布のように、うずくまったまま動かない。

私はと言えばおなかがすいたのでバナナを食べ、リンゴを食べ、奴隷の学生や船長がやはり吐きながら、ロープをまいたりセイルを出したり作業するなか、デッキに座って真っ暗な海をボーっと見ていた。

することもないのでキャビンに降りて、社長たちの隣で「ぐっすり」眠る。

翌朝デッキに出てみると、葛飾北斎が描いた波のあいだから、富士山が見える構図そのままの景色が広がり、圧倒される。
「葛飾北斎 波」の画像検索結果
ほんとうにこんな感じで、
「こんなに波が高くて沈まないか?」
と心配になるほど。
左右に激しく倒れるマストに波が、バシャンバシャンと当たってうるさいほど。

海面を覗くと青を通り越して「真っ黒」

船長に聞くと水深数百メートルとか。

落ちたら絶対助からない

わずか10mのヨットは水に浮かぶ葉っぱみたいなもの。
自然に対する人間のちっぽけさを思い知らされた。

出港して22時間。
無事、沼津に着けたが、社長とIさんは船から降りても
「まだカラダが揺れている」
と廃人のようになっていた。

フネはまた同じルートでシーボニアまで戻るらしい。

すっかりフネに懲りた社長たちは新幹線で帰るというが、船長から
「キミは全然酔わないから、一緒に乗って帰らないか?」
と誘われた。

さすがに生きた心地がしなかったので辞退して、新幹線で帰京したが、
これ以来
「地に足がつかないスポーツはしない」
が私のモットーになった。



イメージ 13

水深15mにセットして、何が釣れるのか待つこと数分。
すぐ30cmくらいのサカナがかかった。
海の魚の名前を知らないので、船長に聞くと
「イサキだよ」
って。
その後も5分ごとに釣れつづけ、初心者でハリが1個の私と違い、ハリが3つのイマザト君は、まるで漁師のようにガンガン釣っている。


イメージ 11
カナコサンと一緒の娘も「生まれて初めて」魚が釣れて大喜び。

イメージ 14

メジナも釣れた。

イメージ 15

炎天下のなかチューハイをグビグビ呑みながら、釣っていたカナコサン。
塗っていた日焼け止めクリームが合わなかったのか、酔っぱらったのか全身にじんましんが....。

船長に日陰を作ってもらいカナコサンは休憩。
しばらくは娘一人で餌をつけて釣っていたが、釣れるのはイサキとメジナばかりで、2時間もすると飽きてしまったらしい(こんなに釣れることはめったにないらしいが)。

この時点でもう何匹釣ったかわからないくらい、クーラーはいっぱい。

私ももう飽きてきたので帰りたかったが、船長から朝イチの釣り客が、2キロのタイを釣った話を聞いて、闘志むき出しのイマザト君は、まだまだやめる気配がない。

イメージ 16

風も出てきてピタッと釣れなくなったので、4時間の釣りは終了。

今回も酔わなかったので、やはり三半規管が壊れているのだろう。

こんなに釣ってどうするのか?と思ったら
「半分は実家に送ります」とイマザト君。

半分を発泡スチロールの箱に移したが、まだまだ30匹以上いる。

イメージ 17

お宿は釣ったサカナを調理してくれるらしいので持って帰った。
ご主人に
「泊っているお客さん全員に食べてもらってください」
とお願いしたが、さすがにご主人も多すぎて困っていた。

島には野良猫なのか飼い猫なのかわからないが、ネコがたくさんいるので、
彼らに1匹ずつあげてもいいナ。

晩御飯まで時間があるので、クルマで日帰り温泉へ。
運よく貸し切り状態だったので、ママたちと女湯へ入った娘が、柵を超えてやってきた。
イメージ 37


来年は4年生。
いつまでこうして一緒に入れるか......


そしてお待ちかねの夕食
連休なので宿は満員。
食堂もいっぱいなので部屋で食べることに。

イメージ 18

実はサカナがあまり好きでない娘。
焼き魚は食べられるが、刺身は苦手なので、お子様メニューにしてもらった。




焼き魚はイサキと私が釣った赤いサカナ(ベラではないらしい)

イメージ 19

こちらはメジナの刺身
サカナ大好きの妻も、カナコサンもイマザト君も、うまいうまいと食べていた。

イメージ 20

正直、私もそれほど魚料理が好きではない。

長野の両親が焼き魚くらいしか食べなかったので、高校生までのり巻きが寿司だと思っていた(海のない長野県にも寿司屋はたくさんある)。

小学校の給食で一番嫌いだったのが、「わかめとイカの酢の物」
酸っぱさと生臭さが鼻について、おもわず吐きそうになった。

実家と小学校が100mも離れていないので、このメニューの日は4時間目が終わるとこっそり自宅に帰り、祖母とお昼を食べていた。

最初のころは迎えに来た先生も、頑固な私にさじを投げ、このメニューもいつしか給食から外れてしまったが、以来
「ナマ魚はすっぱくて生臭い」
と思い込んでいた。

高校生の夏、同級生のT君の実家の酒屋のバイトをした。
駅前に小さな飲み屋街があり、「高安」にそっくりの配達のSさんが、配達先の寿司屋で生ビールを飲んで休憩するあいだ、初めて「ニギリ」の寿司をごちそうになった。

赤や白身の魚の名前はわからないが、なにか不思議な味だったのを覚えている。

とはいえその後、東京で働くようになっても、あいかわらず
「サカナは生臭いもの」
と思い込んでいて、寿司や生魚を食べることはなかった。

不動産屋に転職した当時の社長に、銀座の高級すし店に連れていかれたとき、
「好きなの食っていいぞ」
と言われたが、カウンターのガラスケースに入った、赤や白身のサカナの名前がわからない。

しかたなく
「のり巻き下さい」
と言って、のり巻きばかり食べていたら社長から
「お前を接待するなら、寿司屋が一番安上がりだな」
と笑われた。

その後、接待したりされたりで寿司屋に行く機会が増えた。

六本木の「Z寿司」はカウンターのとなりの席が、当時人気絶頂の宮沢〇〇や、中森○○や矢沢〇〇、ビート○○やテレビで見たことのある、有名人ばかりの高級店だったが、私といえば相変わらず、のり巻きばかり食べていた。

一緒に行ったお客さんが見かねて、
「大将、彼に大トロ握ってやって」
と言ってくれた。

ヌラヌラ光るその赤身は、いかにも生臭そう。
おそるおそる口に入れると、口の中でトロっと溶けて、美味いのなんの。
「じゃあ次はウニ食べたごらん」
「次はアナゴとアワビも」

フグの白子は下の先がピリピリして、これも美味い。

それからは銀座や六本木の寿司屋に接待されるたび

「トロトロウニウニ、アワビにフグに大トロ中トロ」
と頼んでいたら、そのうちだれからも寿司屋に誘われなくなった.......

寿司は食べられるようになったが、どうしてもダメなのが「〆サバ」
給食のあの酢の物を思い出してしまう。

アジやイワシなどの「ひかりもの」も、みんな酸っぱいと勝手に思い込み、どんなにすすめられても食べなかった。

初めて行った四国のTBI
高知の海岸近くのビバークで、夕食にカツオのたたきが出た。

銀座の寿司屋でカツオのたたきを出されたとき、ひと口食べただけで生臭くて、もう食べられなかった(たぶん相当な高級品だったと思うが)

だれかに
「獲れたばかりで新鮮だから大丈夫」
と言われ、ワラで焼いたカツオを食べたが、やっぱり生臭くて食べられなかった。

30代後半までアジもイワシも、勝手に「酸っぱい」と思って食べず嫌い。

「アジやイワシは人間でなくイルカの食べ物」
だと信じて疑わなかった。

南国出身のおねーさんと寿司屋に行ったとき、
「ぜったい酸っぱくないから食べてみて」
と言われたが、頑として食べなかった。

「ウソついたらナニしてもいいから」

そこまで言われたら仕方ないと、おそるおそる「醤油をたっぷりつけて」口に入れたら
「.......あれ?........すっぱくない!!!」

おまけに「うまい!!!!」

ついでにイワシも食べたら、これも美味い。

以来、どんな高級な寿司屋でも
「アジアジイワシ、アジイワシ
ばかり食べていた(安上がりだネ)

この日釣ったイサキやメジナ、赤いサカナなど「カラフルな魚」も、実はいまだに苦手。
沖縄や南の島で食事に出されても、生理的に気持ちが悪くて、いまだに食べられない。

岸壁で釣りをしている人がたくさんいたので、船長に
「あれはなにが釣れるんですか?」
と聞くと
「アジだよ」って

イサキやメジナよりアジのほうが好きと言ったら、
「イサキやメジナのほうが、はるかに高級魚ですよ」
と言われた(そーなの?)。

「一番好きな魚料理は?」
と聞かれたら迷わず、
「焼いた塩ジャケ」
と答えるし、まあサカナより肉のほうが好きなので、寿司屋には誘わないでください。


翌朝の海
今日も快晴

イメージ 21

昨日の釣りで4時間じっとしていたら、ビーサンのあとがしっかりついてしまった。
イメージ 36

野田浜近くのダイビングショップ「TAC」さんへ。

宿のご主人が
「一見怖そうだけど、すごく優しい」
と言っていたオーナーのHさん。

大柄でいかつい顔にスキンヘッド。
シティハンターの「海坊主」みたいだが、物腰はとてもおだやか。
「シティハンター...」の画像検索結果
カナコサンが8歳の子供でも体験ダイビングできる店を、電話やネットで探したとき、
ここ以外は「10歳から」と断られたそう。

イメージ 22
Hさんから
「クルマで10秒で海に出ます」
と言われた娘

「いーち、にーい、さーん」
と大声で数えだす。

イメージ 25

「じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし、じゅうご、あー、15秒もかかった~」
と言ったら、Hさん
「次回から【クルマで15秒】に訂正しなきゃ」
と困っていた(すみません)。


イメージ 23
釣りと同じくダイビングも25年ぶりで、「なにもかも」すっかり忘れている。

船の上の釣りと違い、海のなかでは何が起きるかわからない。

ライセンスの再発行をしてもらったとき、事務局長から
「中高年のリターンダイバーの事故が多い」
と言われていたので、ボンベにレギュレータを取り付けるところから、エアの残量計の見方、エアの抜き方など、Hさんの説明を一字一句聞き漏らさないよう、真剣に聞く。

ここから重いボンベを背負って岩場をくだり、浜へ出る。
さらに腰くらいの浅瀬に入り、足ヒレをつけるが、岩場で歩きづらいうえにボンベが重くて、ヨロヨロしっぱなし。

25年前ダイビングにハマっていたころは、月イチで海外のダイビングスポットへ潜りに行っていた。
ボートで沖まで連れて行ってくれるので、重いボンベを背負って歩かなくていい。
なのでひさびさの苦行はなかなかつらかった。

重りのベルトを巻いているのになかなか沈まず、あせるぶん余計にエアを消耗したり。
さすが元インストラクターのカナコサンは、マーメイドみたいに優雅に泳いでいる。

娘はインストラクターの女性に任せてしまったが、レギュレータをくわえるのに口が小さいのか、つかれてしまい岩場のカニ取りに夢中だったみたい。

1時間の休憩をはさんでボンベ2本潜ったが、ひさびさのダイビングはもう昔のように、夢中にはなれなかった。

「もし急にエアが無くなったら?」
「もしジョーズに襲われたら??」

なんていろいろ妄想してしまって楽しめない。

やっぱり「地に足がつかないスポーツ」は、やらないほうがいいのかもしれない。

イメージ 24

すっかりカナコサンと「母娘」状態
再来年、10歳になったらスクールもあるそうなので、再チャレンジしようか。

本当はチェックアウトしているので荷物は置けないが、
「部屋空いてるから置いといていいよ」
って、親切なご主人。
料理も美味いし海も近いので、次回また来るときは「舟吉(ふなよし)」に泊まりたい。

イメージ 27

ご主人に記念撮影してもらい、帰りのフェリー乗り場へ。
のんびりダイビングしていたら、もう3時。
レンタカーにガソリンを入れて返却して、16時20分の出航に間に合うか?

せめて娘には昼ご飯を食べさせてやりたいが、お店や食堂は2時前に閉めてしまうところが多い。
と、港の近くにのれんを出した「どさんこラーメン」を発見。
まだやっているか入ってみると、おばあさんが一人でやっていて、OKとのこと。

急がせてしまったがなんとか5人分作ってもらい、ペロッと平らげる。

長野に住んでいた40年前、「ラーメン大学」というチェーン店のラーメンが好きで、このどさんこラーメンと同じ太麺の、「みそバターラーメン」が好物だった。

まさか大島でどさんこを食べられるとは。

イメージ 26
時刻は16時10分
レンタカーも返さなければならないし、お土産も買いたいが時間がない。
と、港のレンタカー返却所で係のおじいさんが、
「まだ船は来てないから、ゆっくりで大丈夫だよ」
って。
見るとまだフェリーが接岸しておらず、みんな買い物している。

神津島もそうだったが、島の人はみんなのんびりとしていて、いい人ばかり。
イマザト君とカナコサンが、釣りとダイビングという趣味と実益を兼ねて、「ドクターコトー診療所」みたいに、どこかの離島で働いてくれれば、訪ねることもできるねと言うと、
「一緒ってのはあり得ません」とカナコサン。

カナコサンのほうがかなり年上だが、イマザト君は「おぼっちゃまで頼りない」そう。

じゃあイマザト君は父島あたりで、カナコサンは野生のイルカと泳げる「御蔵島」とか、いいんじゃない?


イメージ 28
帰りのジェットフォイルは満員で取れなかったので、4時間かけてフェリーで帰ることに。
八丈島御蔵島~大島~竹芝」ルートなので、フェリーは超満員。

イメージ 29
なぜかガイジン率がやたら高く、さながら映画「タイタニック」の移民船状態。
足の踏み場もないとはこのことか。

イメージ 30

なんとかデッキに座れる場所を見つけたが、雨や嵐でなくてよかった。

東京は35度以上というが、同じ東京でも大島は30℃くらいで、海上は海風が涼しいくらい。

イメージ 31

イメージ 32
6時半の時点で浦賀水道を北上中。

イメージ 33
東京湾は船が多いので、かなりゆっくり航行してもどかしい。

ガイジンさんたちはみんなで歌を歌ったり、ゲームをやったりで楽しそう。
こういう時間の使い方ができないので、わたしはやっぱり速いほうがいい。

定時の20時45分に竹芝ふ頭に到着。
超満員で下船するだけで30分ほどかかる。

カナコサン、イマザト君はどこかで飲んで帰るらしいので、浜松町駅でお別れ。
帰宅したのは10時少し前。

朝6時半に家を出て、40時間あまり。
テレビの旅番組のような弾丸ツアーだったが、のんびりするのも苦手なので、こんな分刻みのツアーのほうが性に合っているかも。

翌火曜は私以外、妻も娘もいつも通り出勤&登校。

イメージ 34

と、給食当番なのにエプロンを忘れたので、アイロンをかけて学校に届ける。

イメージ 35

今日金曜は1学期の終業式。いよいよ明日から夏休みが始まる。

今年もいろいろなところに連れて行って、いろいろな経験をさせてやりたいものだ。