地元のコメとパンフレットに入浴券(当日のみ有効だけど)
そしてTシャツも
これはちょっと外で着れないなぁ(完走もしてないし)
こうしてみるといかにDOAのTシャツのセンスがいいか、よくわかる。
この日はバブル時代の同僚イシザキサンが入院したので、お見舞いにアドベンチャーで葛西へ。
イシザキサンのことで今も鮮明に思い出すことがある。
銀座の高級クラブのママが、誕生パーティーを開いたときのこと。
政財界からスポーツ界までママの顧客たちが、誕生祝いに店に集まり、広い店内はさながら花屋さんのよう。
ほろ酔い加減のママが店の中央フロアで
「どなたか私と踊ってくださらない?」
と声をかけて回ったが、ふだん偉そうにふんぞり返っている政治家のセンセイも、声が大きくてうるさいプロ野球選手も、タニマチのおごりでいつも飲んでいる歌舞伎俳優も、だれもダンスは踊れないのでみなうつむいていた。
そんなときイシザキサンがスッと立ちあがり、優雅にママの手を取りフロアの中央へ。
生ピアノの演奏でジルバにタンゴ、ワルツを華麗に踊り、客やホステスたちから大喝采を浴びた。
なんでそんなにダンスが上手いのか聞いたら、18歳で千葉の実家を飛び出した彼は、六本木のマンションから千葉の栄町へタクシー出勤し、ホストクラブの売れっ子ホストだったとか。
40年以上前のホストクラブは、今のような売り上げ至上主義のガキホストと違って、「大人の社交場」だった。
社交ダンスにゴルフに麻雀、ビリヤードなど、お客さんの相手ができるよう、お店のオーナーから叩き込まれたらしい。
運転免許のなかったイシザキサンが、35歳で初めて免許を取ったとき、当時の不動産屋の社長がサプライズで、新車の500SLを彼にプレゼントした。
私が免許センターにベンツを届けて、合格したそのアシでイシザキサンが運転して帰ったけど、人生初めて運転する左ハンドルにビビりまくりの彼と、その隣でさらにビビる私が、こわかったけど楽しかった。
財布に100万円あれば100万円の遊びをし、100円しかなければ100円で暮らせる、スナフキンみたいな本当に不思議な人。
そんな彼もバブルが崩壊して仕事がなくなり、六本木の違法カジノの店長や競馬のノミ屋、同じく仕事を無くした私も一緒に、軽トラで廃品回収のアルバイトもした。
60歳を超えた彼を雇ってくれるところがいよいよなくなり、銀座でキャバクラ嬢相手の白タク運転手をして5年目、
そして移転したマックスフリッツへ
自転車で都内を走っていても、一番運転が荒いのは足立ナンバーなので、信号で追い抜いてあおり運転されないよう、おとなしく安全運転で走る。
以前より間口が広く明るい店内
店舗面積は1.5倍に
ソファやテーブルもあり、常連さんらしき人たちが、ひっきりなしに訪れている。
そしていつものサトーサンとキムラサン
内装はサトーサンが一人でシコシコ作業したらしい。
じ~じにマックス移転の話をしたら、花輪でも出そうという話になったが、サトーサンが
「ひっそりと移転するのでご勘弁を」
ということで、JRMからレンジャーをバックにした額入りの写真が届いていた。
次回は自転車で行ってみよう。
そしてこちらはちょうど中目黒最後の日
お店の前で「在りし日の?」サトーサン
この地で20年、そして新天地でも「無理せず」がんばってほしい