ほんとうは2日の早朝に帰省する予定だったが、1日の夕方に交通情報を見ると、都内はガラガラ。
ならこのまま帰ってしまおうと、1日の夜7時に出発。
環七も本当にガラガラで、信号もうまい具合に青ばかり。
自宅から関越の練馬まで、下道なら1時間半はかかるところ、40分で着いてしまった。
関越も上信越道もガラガラで、覆面パトカーに捕まらないか、心配になるほど。
100~120km/hのあいだで走り、途中のSAでラーメン休憩しても、10時半に実家に到着できた。
今回の帰省の目的は「実家の片付け」
いづれ姉夫婦が住むことになり、私の部屋を片付けることになった。
とはいえ30年前に一度、実家を建て替えているので、私のものはほとんど処分していた。
残っているのは
「あしたのジョー」や「がんばれ元気」、「ボーダー」などのマンガ本と、高校時代に耽読した大藪晴彦の小説の一部
ブックオフに売ろうと思ったが、娘が「読む!」って。
東京に持ち帰り、「勉強しなさい!」と怒るママの目を盗んでは、こっそり読んでいる。
79年ごろの矢沢永吉写真集も
アルバム「kiss me please」のころかな。
おカネが無かったので友達と半分ずつ出して、レコード買ったなぁ。
今の永ちゃんは歳とってから声が出てなくて、見ていてつらい。
私にとってのヤザワはこのあたりで止まっている。
これは先日、ヤザワ大好きなフラットタカセ君にプレゼントしてきた。
規制でがんじがらめのディーラーから解放されて、のびのびやっているのがいい。
BMWは往年の空冷ツインの栄光のおかげで、新車が売れているのに、ディーラーでは旧車の修理を断られるし、そもそも若いスタッフはOHVの整備ができない。
アフリカツインが「町のバイク屋さん」から買えなくなったり、ガイシャも「〇〇ジャパン」が出来てからは、正規ディーラーからしか買えないが、本当にバイクが好きでたまらない「バイク屋のオヤジ」が減ってしまい、ほんとうにさびしいかぎり。
そしてストーンズと並んで10代の私を虜にした、サムクックやオーティスのレコードも。
もうレコードプレーヤーを買うこともないので処分した(CDは持ってるので)
ハタチのころ初めて作ったロードレース用ツナギ
革ジャンのカドヤから独立した二人が立ちあげた、「アンサーライディングスーツ」の初期のころ。
背中には家紋を入れてもらった。
袖を通してみてすぐやめた。
ハタチのころはこんなに痩せていたのか.....
もう着れないのでこれも処分。
子供のころの写真や両親のアルバムも、数枚だけ残して処分した。
将来自分が死んだとき、遺された家族が膨大な写真を前に途方にくれないよう、今のうちからいらないものは処分しておこう。
屋根裏からブラウン管のテレビや電気ゴタツが5台も出てきたので、タンスや本棚と一緒に庭に降ろして、片付け終了。
あとは姉夫婦がゴミ処分場へ運んで、処分してくれるという。
今回は無理やり自転車3台を積んできたので、ランチを買って近所へサイクリングに出かけた。
連休後半、東京は雨だったらしいが、長野は連日快晴で暑いくらい。
自然だけはいくらでもある長野県。
なので晴れればいろいろなところへ行けるが、雨だと行くところが無いので、ほんとうにありがたい。
この川は上流が草津白根山なので、硫黄分が多くてサカナは住めない。
それでも子供は水遊びが大好き
芝生ののぼりは抵抗が大きくてうまく走れないので、かなりゴキゲンななめ。
私の生まれた町は「須坂市」というくらい坂が多く、どこへ行くにもずっと坂道が続いている。
なので地元の子は坂道が当たり前で、娘より小さい子でも自転車でグイグイ登っていくが、都会育ちの軟弱なお嬢さまは
「もうつかれた~」
って情けない。
しかたないので自転車の後ろに載せて、坂を上って墓参り
ほんとうに見渡すかぎり山だらけ。
墓の近くの山をハイキング
標高490mだが、町の標高が300mくらいなので、実際は200mも登っていない。
それでも都会育ちの母子には、達成感はあったらしい。
MTBで走ったら楽しそうな道が、自宅から10分のところにいくらでもあった。
翌日は3年ぶりに戸隠の「ちびっこ忍者村」へ。
ここの難点は駐車場が狭いこと。
なので満車になると数キロ離れた駐車場から、シャトルバスに乗るはめに....。
混む前にと7時に出発して、7時40分に到着(オープンは9時なのに)
前回来たときはまだ雪が残っていて、とにかく寒かった。
駐車場の60代の係の人と話すと、去年、京都から長野の実家にUターンしたという。
「京都は中国人観光客のマナーが悪くて、ほとほと嫌気がさして帰ってきた」
とか。
ここも中国語の案内があるので、観光客は増えているそうだが、
「京都みたいにならなければいいけど」
って。
妻は夏休み、石垣島へ行きたいらしいが、沖縄の人に聞くとすでに離島も、中国人観光客であふれているという。
外人が日本の不動産を買えないように法改正しないと、10年後の日本は中国の植民地になるんじゃないかと、ほんとうに心配になる。
9時オープンなのに8時過ぎから並び始めた。
前回も見かねた忍者村サイドが、8時半にオープンしてくれたが、今回も8時半から受付が始まった。
綱渡りも同じだが、3年前より体力もついて得意げに渡っていく。
10時過ぎには大混雑。
レストランも混んでいるし、ひと通りアトラクションはやったので、ランチは別の場所で食べることにした。
反対車線は駐車場に入りたいクルマで大渋滞。
戸隠の狭い街中も、神社参拝の観光客と、忍者村へ来るクルマであふれていた。
忍者村、ほんとうによくできていて、アトラクションだけで十分かも。
ただ早めに行くことをお勧めする。
そしてこちらも3年前と同じ、飯綱高原の「ワイナリー・サンクゼール」へ。
テーブルはサイズが大きくて子供は食べづらい。
なのでレジャーシートを敷いてソーセージランチ。
夕飯は姉の実家でいただく予定。
田舎のもてなしは「味より量で勝負」
なので、たぶん相当量の夕食が用意されるはず。
ここは軽く済ませようと思ったが、ソーセージ1本でもおなかいっぱいになってしまう。
どこかでカエルを捕まえてきた。
ワイナリーの見学もできる。
そして志賀高原のふもとにある、姉の家へ向かう。
実家から戸隠まで30km、戸隠からサンクゼールまで30km、サンクゼールから姉の家も30kmだが、交通量も少ないし、なにより信号が少ないので、みんな1時間以内で行けるのが、田舎のいいところ。
今回のゴールデンウィークは姉夫婦にとって特別なもの。
1月に神奈川で働く長男に男の子が生まれ、実家に連れてきた。
義兄が抱くとすぐ泣いてしまい、ちょっとかわいそう。
父親のタケシ君は、神奈川会社に勤め、これも神奈川の奥さんの実家の近くにアパートを借りている。
たぶんこの先は神奈川で家を買い、もう長野には帰らないだろう。
私と同じ道を歩んでいる彼に
「40過ぎたらもう地元には帰れないぞ」
「長野に帰るなら早いほうがいい」
と言い続けてきたが、6人兄妹の長男だった義兄は、実家を継ぐしかなかったので、
「家のことは気にせず、自分のやりたいことをやれ」
と言ってきた。
もうひとり次男はいるが、彼は長野の会社に就職はしたが、転勤ばかりで長野に戻れそうにないし、30歳でカノジョもできそうにないので、姉夫婦が私の実家に引っ越しても、しばらく二人暮らしが続きそう。
三世代同居が当たり前だったむかしと違い、田舎でも親子別居が増えているらしいが、孫はジジババに面倒を見てもらったほうが、いいと思うのだが。
そして翌日は小布施の浄光寺にお邪魔して、スラックラインをさせてもらう。
娘くらいの小学生がピョンピョン飛び跳ねる横で、おっかなびっくりの母子。
東京の近所の児童センターにもスラックラインはあったが、小学生の女の子が落ちてケガをして以来、使用禁止になってしまった(高さ30センチなのに)。
ちゃんと教える人がいなかったのが原因だが、なんでもすぐ禁止してしまう都会に比べて、「とりあえずやってごらん」というスタンスがいい。
長野はまだ桜が咲いていた
木のうえにはカピバラも?!
妻の自転車は屋根のうえ、
むりやり2台載せてきたのに、帰りはマンガ本と娘がいる弾きたいというので、屋根裏に放り込んでいたギターも積んで帰ることに。
あっというまの3泊4日だったが、ずっと晴天でよかった。
5日(日)の朝7時、高速が渋滞する前に、早めに東京に向けて出発。
途中の軽井沢に立ち寄り。
「親から相続したけどいらないので、いくらでもいいから売ってくれ」
と、知人の不動産業者がお客さんから、依頼された土地を見に寄った。
実家が姉のものになれば、今までのように好き勝手に、寝泊まりは出来なくなる。
姉夫婦は
「部屋はそのままにしておくから、いつ来てもいいよ」
と言ってくれるが、実家であって姉の家なので、特に他人の妻は遠慮してしまう。
東京と長野のあいだの軽井沢あたりに、ベースキャンプが欲しいと漠然と思っていた。
とはいえテレビに出るような高級別荘地は、土地だけで数千万するので、とても手が出ない。
「アサマファンライド」の先にある北軽井沢なら、土地は格安
そのぶん夏のシーズン中は大渋滞して、軽井沢ICまで2時間かかることもザラ。
軽井沢のいいところは新幹線でも1時間で来れるところなので、クルマでしか行けない北軽ではなく、軽井沢駅から5km圏内くらいで、庭は要らないので50坪から100坪くらいの、格安の出物をひそかに狙っている。
軽井沢ICだと長野側に戻ることになるので、手前の佐久ICで下りて、クネクネの細い山道を登っていく。
「ほんとにこんなところに別荘地があるのか?」
と、ちょっと不安になったころ、森の中にポツポツと山荘が見えてきた。
とはいえここは山のなか。
山を切り開いた別荘地なので、どの家も斜面に建っている。
言われた土地も傾斜地で、「タダでもいらない」土地なのですぐ山を下りた。
ちょっと市街地から遠いかと思ったが、5分ほど走ったところに最近できたらしい、産直マルシェがオープンしていた。
ほとんどのクルマが都会ナンバー。
9時開店の産直スーパーには行列ができていて、首にスカーフを巻いたお洒落なおじいさんや、上品そうなおばさんばかり。
このくらい平地ならよかったんだけどなぁ
そして帰りの高速も流れていて、11時前に無事帰宅。
ピアノより「がぜん」楽しそう。
弦が1本切れているが、40年近く弾いていないので、全部張り替えてやろう。
「がんばれ元気」を読んだ娘、
「ボクシングやりたい」
というので中目黒のドン・キホーテへ、子供用のグローブを自転車で買いに行った。
なんでもありそうなドンキだが、グローブは無かった。
初めてのドンキに興味津々の娘。
「パパ、見て~」
というので振り向いたら
ママは
「もう4年生なんだからいい加減にしなさい!」
と怒るけど
「ずっとそのままでいいよ」
と、ひそかに思う父なのであった。