12日(日)は長野の同級生マキ君が参戦する、「横浜トライアスロン」の応援へ電車で向かった。
57歳の彼が参加する「55~59歳」クラスは、9時15分スタート
スイムのスタート前に会えればと、8時半に山下公園に到着。
すでにほかのクラスのレースが進行中
補助者に手を引かれたブラインドランナーや、義足の選手が続々と通過していく。
観客が多くてスイムのスタートにたどり着けなかったが、予定通りスタート
真っ黒に濁った横浜港を泳ぐ選手たち
昨日は世界選手権があったので、事前に海の掃除(どぶさらい)をしたらしいが、あとでマキ君に聞いたら
「コーヒーの中を泳いでいるみたいで、自分の足元も見えない」
とか。
レースだから仕方ないが、ひとりだったら絶対泳ぐ勇気はないだろう
スイムを終えてバイクで激走中
ホテル・ニューグランドの前で折り返し。
去年ヘルニアを発症し、半年くらい満足に練習できなかったとか。
それでも彼のフェイスブックには、
最後のラン
無事ゴール。
後半は腰が「張ってきて」、いつ痛みが来るかドキドキしたらしいが、さすがキャリア20年のベテラン、無理せず完走を目指したって。
バイクの先導はヤマハの3輪バイク
横浜は外国人観光客ふくめたくさんの人でにぎわっていた。
ランチは中華街でと思ったが、どこもいっぱいだろうとあきらめて、屋台でチキンやおにぎりを買って済ます。
自宅まで彼のクルマで送ってもらう。
買い替えたばかりのスズキの軽
天井が高いので収納力も高い。
妻から
「トライアスロンやりたくなったんじゃないの?」
と言われたが、まだトライアスロンがメジャーでなかった30年前に、一度ハマったことがある。
今のようにトライアスロンがセレブのスポーツでなかった時代。
まわりにやっている人もおらず、自己流でトレーニングしていたが、
朝起きて10kmランニング、仕事を終えてスポーツジムで2時間ガッツリ泳ぎ、帰宅してから大井ふ頭まで、50kmバイクで走る生活を3カ月続けたら、カラダを壊した。
朝起きたら部屋がグルグル回っていて、ひどい吐き気と下痢。
40℃近い熱もあり起き上がれない。
なんとか知り合いの病院までタクシーで行き、精密検査してもらうも、数値は正常。
ちょうどこのころ、日本人エイズ1号で亡くなったのが知り合いだった。
頻繁にタイやフィリピンなどで遊んでいた彼は、どこかで感染したのだろう。
東南アジアは嫌いな私だったが、胸に手を当てれば思い当たることが山ほどある。
てっきりエイズかと思ったが、結果は陰性。
先生も「原因がわからない」って。
「ふだんどんな生活してる?」と聞くので、トレーニングのことを話したら
「そりゃ過労だよ」って。
マキ君は私が長野に積んで帰った、トライアスロン用自転車を見て、「自分もやってみたい」と始めたひとり。
当時、長野でやっているひとはほとんどおらず、ウェットスーツを着てプールで泳ぐこともできなかったとか。
前回のレースのとき、女子で3位になった彼の仲間の女性が、チームメイトから
「早くいいオトコ見つけて、嫁にいきなよ」
と冷やかされたとき
「オトコと遊ぶ時間があったら練習する」
と言っていた。
私の周りのトライアスリートは、みんな家庭かカラダのどちらかを壊している。
ランとスイムとバイク、3種類すべて練習が必要だし、毎週末トレーニングやレースに出かけていたら、家族も愛想をつかすだろう。
マキ君の奥さんは
「ちかくに山が見えないと落ち着かない」
という、素晴らしい女性。
毎週末、自転車であちこちトレーニングしている彼を、やさしく許しているとか
(でも自転車がいくらするのかは、口が裂けても奥さんに言えないらしいが...)
横浜から自宅までの国道1号
その時たくさん目にしたのは、トライアスロンを終えて自転車の自走で帰る猛者たち。
ふだん長野の空いた道を、自転車トレーニングで走っている彼からすれば、トラックが猛スピードで走るすぐ横の、狭い路肩を必死に走る自転車が、見ていて恐ろしいとか(たぶんそのへんのクルマより自転車のほうが、はるかに高額のはずだが)。
年齢的に会社では重要なポジションを任され、家庭もありながらいろいろやりくりして、大好きなトライアスロンを続ける彼。
いつかやるとか言って、結局なにもやらないヤツほど、信用できないものはない。
いつかやるならまず今、できることをやれと言いたい。
仕事と家庭とトライアスロン、一生懸命やっている彼がちょっと羨ましかった。
連休に長野の実家から持ち帰った、「がんばれ元気」と「あしたのジョー」を、読みふける娘。
「ボクシングやりたい」
というので通販で購入した
ボクササイズを始めたママと一緒に、「打つべし!」とやっている。
つぎはサンドバッグも買ってやろうかナ