R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

GS伝説 その2

 

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初期のパリダカ2輪部門でBMWを駆って優勝した「小さな巨人」、

ムッシュ・ガストン・ライエ。

MX世界チャンピオンだった彼は、現役引退後も自身のMXチームを率いて世界中を転戦したり、菅原爺の招聘でSSERのモンゴルラリーや、TDN(ツールドニッポン)、自身の名を冠したエンデューロレース「ガストンライエ・クラシック」や、「ガストンライエ・ミーティング」という1泊2日のツーリングイベントのため、たびたび来日していた。

このおしゃべり好きで小っちゃな(164cm?)ベルギーおやじ、
日本滞在中は菅原爺の自宅が定宿だったので、一日中どこにいくにも爺に「くっついて」いる。

爺もこのころはJRMの社長だったので出かけることも多く、そんなときガストンは事務所で「お留守番」、
と今度は社員が大変。

なにしろ一日中「ず~っと」しゃべってる。
しかも英語で(ファラオのオーガナイザー、ジャッキー・イクスもそうだけど、ベルギー人は通常3~5ヶ国語話せるそう)。

「リーサルウェポン2」にでてくるジョーペシとそっくり。

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さすがに社員も忙しくて相手をしていられないので、そんなときは
「sinaさん、ガストンの相手してくんない?」
と電話がかかってくる(私も一応忙しいんですけど)。

私はパリダカが全盛期のころ、一度もテレビで生中継を見たことがなかった。

ちょうど世の中はバブル全盛期、

毎晩、銀座や六本木など「夜の東京砂漠」で、朝までスタックしてたから....。


なのでガストンもパリダカも、あの写真集「サハラ探検隊」で初めて知った。

「サハラ・・」を熟読した割には、ガストンのことをあまり知らず、
相手をしながらも
「よくしゃべる人だなぁ」
と呆れていた。
 
ある日、ガストンミーティングを主宰する、SSER山田さんから、私とファラ友のT中さんが、日本語のコマ図が読めない「ガストン黄門様」を先導する、「助さん格さん」をやってほしいと依頼があり、このちびっこオヤジの凄さを思い知った。

彼のバイクはBMWジャパンから貸与された、ノーマルのF650ダカール

165cmのちびっこなので足が届かない。

なのでスタートはクラッチを繋ぎながら、「ピョコンと」飛び乗るあのガストン乗りで、道も分からないのにどんどん先に行ってしまう。

林道に入るとスタンディングしたまま完璧なリーンウィズで、あっというまに見えなくなってしまう。

イベントに参加した「自称 走り屋」のライダーたちも、ガストンと走るのを楽しみにしていたので、みんな一斉に追いかけるが、誰も追いつけない....。

林道の分岐で待っているガストンに、
「もう少しゆっくり走って」
と言ったら、
「これでもかなりゆっくり走ったので眠くなっちゃったヨ」
と大アクビ....。

その後もみんな必死で追いかけた。

ちょうど行楽シーズンで国道はどこも大渋滞だったが、ガストンは対向車の合間を見ては、追い越し禁止の黄色い車線をはみだして、どこでもお構いなしに追い抜いていく。

ついには先導役の我々のことも抜いてしまうので(!)、必死に追いかけることに。
対向車線を3台で、何十キロ走ったことか.....。

信号待ちでガストンに
「日本は黄色い線は追い越し禁止なんだよ」
と説明しても、
「オレはガイジンだから関係ない~♪」
ってアンタねぇ.....。

高速道路もガストンはお約束の「アクセル全開....」。

長野と新潟の県境いは、高速が途中1車線になるもお構いなし。
せまい路肩を百数十キロでぶっ飛ばしていく。

終点までの50キロは3台で全開勝負。

T中さんの80ベーシックがずるずると後退し、私の100GSとガストンのF650の一騎打ち
(って何やってんだろ...)。

とても人様に言えない速度で、ガストンを振り切って料金所に辿り着くと、
後ろから追いついた彼が私の肩を叩いて、

「Good Rider!」
って親指立ててウィンク......。

今はKTM埼玉でメカのカタヤマ君に話したら、
「私も去年そうだったので今年は辞退しました」

って・・・・先に言ってよ。

でもあとにも先に世界チャンプと一緒に走る、こんな「珍道中」はもうできないし、
本当に貴重な経験だった。

山田さんはガストンがMXで現役時代、スズキのワークスで来日した彼の走りを、
MXコースで見たそうで、
「あそこまでジャンプを飛べる日本人はいないし、走り全てのレベルが違う。ぶっちぎりで優勝した」
とか。

カメラマンのシューセイさんも、パリダカ砂丘でカメラを構えていたとき、
「ガストンだけは砂丘を飛んだあと、空中で着地地点を見つけるんだよ。
『クイッ』とバイクの向きを変えて。

彼のはジャンプじゃなくて『飛んで』た」

って。

スウェーデンのオールソンもガストンのことを
「Legend!」
って言っていた。

メオーニもペテランセルも凄いライダーだけど、やっぱりガストンは別格。
本当に不世出のチャンピオンだった。

2005年2月に58歳の若さでガンでこの世を去ったけど、
日本が大好きで亡くなる直前まで爺に電話で、
「日本に行きたい」
と言っていたそう。

合掌...。


このブログ、だんだん「懐古録」になってるなぁ...(タイトル変えよかな....)。

「人間、後ろを振り返ったらオシマイだよ」
って、子供の頃、お婆ちゃんによく言われた....。

まぁそろそろ物忘れも激しくなるお年頃だし、今だにガストンに憧れてGS乗ってる人も多いので、
真夜中に酔っ払って英語とフランス語でしゃべりまくってた「ガストン夜話」も、いつかまた書こう。

砂丘を「飛んでる」写真とか無かったので、これでご勘弁を。

バイクもデカイけど乗り手も小さいのが、よくわかる。
右手のアクセルは見えないけど、もちろん「全開」

Adieu monsieur Gaston!