R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

デザートX売ります

自宅ポストにまたこんなものが

小池さんキモいりの防災ブック

たぶん東京都民1世帯に1冊が配布されているはず。

そのまま捨てるのも気が引けるので、しっかり読んでみる

でも数ページでくじける。

1月に石川で地震があったばかりだし、南海トラフや首都直下地震はいつ起きてもおかしくないんだろうけど、いつ来るかわからないものに備えろって言われても.....

管理しているマンションやアパートにも、全戸に同じ冊子が配布されてるけど、ひとり暮らしの人で災害に備えて準備している人を、見たことがないし、みんなが冊子をごみで捨てている。

 

2月の骨折以来動かしていないGS、バッテリーあがってないか祈りながら、セルを回す。

キュキュキュ........キュ ドカン!ってエンジンかかってひと安心。

むかしのラリー仲間で、菅原爺に協賛してくれているヤヒロさんが、カワサキから発売されたメグロ800?に乗ってやってきた。

2004年のファラオ以来、菅原爺に会っていないというので、電話したら自宅にいるというので、タンデムでお邪魔した。

夕方から御殿場のガレージに行って、今年のモンゴルに出たいという人のジムニーを作るとか。

本人も参戦予定。

来年のアフリカエコレースは選手でなく、フランスにおいてあるサポートカーのハイラックスに、今回ナビを務めたナオコさんと、ご主人のミトンさんとじ~じの3人で、ラリーを追いかけるレイド(ツーリング)クラスで行こうかなって。

 

でも去年も「ジムニー砂丘を超えられるか分からないので、一度レイドクラスで下見してくる」と言っていたのに、やっぱり選手で参戦したので、まだまだ分からない。

 

そんなヤヒロさん、あいかわらず家業が忙しくてバイクに乗るヒマがないらしい。

乗れないストレスからつぎつぎバイクやクルマを買って、いまはドカのデザートX,ハーレー、KTM250アドベンチャーと、今回のメグロを持っているそう。

もう乗らないのでデザートXとKTM250アドベンチャーを、売却したいって。

去年バイクを手放して「悶々としている」そこのアナタ、

そろそろ乗りたくて乗りたくてウズウズしているのでは??

GSのしがらみがなかったら、私が買いたいほどいいバイク。

ラッキーストライクカラーのカジバエレファントのDNAを受け継いだ

近未来的なデザインばかりのなか、このアチャルビスっぽい丸いテールもいい。

メーターもデジタルだけどアナログっぽく

180cmのヤヒロさんは両足べったり

興味ある人はぜひ

ゴールデンカムイと不適切にもほどがある

実写版の映画を観て、「こりゃ最終話までに何本作るんだ」と正直思った。

鬼滅の刃も最終回まであと5本くらい、映画を作らないと終わらないのでは?

骨折してスキーもいけないし、ヒマなので娘が持っている原作のマンガを借りて読む。

そしてやっと最終巻の31巻を読了。

 

そういえば去年の夏、北海道へ「ゴールデンカムイ聖地巡り」に行ったけど、私だけ金塊がどこに隠されていたのか知らなかったけど、やっとわかってスッキリした。

 

30から31巻は本当に怒涛の展開で、主要キャストがどんどん死んでいく。

私が好きな牛島も死んでしまった。

土方歳三

娘の「推し」の緒方の最期は、マンガなのに号泣していた

鶴見中尉はじつは死んでいない?とSNSでにぎわってるとか。

映画の続編はWOWOWでドラマとして放送するみたい。

news.yahoo.co.jp

カムイだけのために2300円も払うなんて、ケチ、もとい「倹約家」の奥様がOKするはずもないし、加入しているネットフリックスでさえ娘以外は、ほとんど見ていないのに、これ以上無駄に出費はしたくないので、マンガとアニメでいいかなぁ。

1月にシロズ君のところでストレートパーマ(縮毛矯正)してもらった娘、

毎朝30分のアイロンごてから解放されて大喜びだったけど(私ほどクルクルパーマじゃないし、いいじゃんと言っても、お年頃なので(@_@))、中学の校則はストレートパーマ禁止らしく、始末書を書くことに。

 

アフロやパンチパーマや金髪にするわけじゃないし、サラサラストレートはお嬢様ヘアなんだから、

「パパが校長室に行って直談判してやる」

って言ったら、

「それだけはやめてくれ」

って母娘に止められた(@_@)

なんでも規則やルールでがんじがらめにしてしまう世の中、

「これで娘が不良になったらどうしてくれるんだ!」

毎回「阿部サダヲ」に感情移入してしまう、昭和オヤジなのでした。

ラリー報告

新聞の折り込み広告で「フォーミュラE」が紹介されていた。

 

レーシングカーを展示するだけのイベントかと思ったら、いつのまにか東京もフォーミュラE世界選手権のシリーズ戦に入っていた。

 

F1モナコGPのような市街地のレースは、菅原爺がいう「モータースポーツ文化が100年遅れている日本」では、開催なんて絶対不可能だろうが、音が静かで日本人が大好きな「環境にやさしい」フォーミュラEは大丈夫らしい。

www.youtube.com

たしかに静か。まるでラジコンレースみたい。

チケットは上が84500円から、一番安くて12000円らしいけど、あっというまに完売したとか。

F1関係の仕事をしているHさんに頼めば、チケットは取ってくれるだろうけど、

鈴鹿の日本GPの前夜祭パーティーに出られて、どこのチームのパドックにも出入り自由な、VIPパスが200万だけどどう?」

なんて相場なので、都内のこちらなら「プライベートヘリの送り迎えも付いて500万」なんて言われそう(でも買うやつはいるんだろうなぁ)

 

むかし私が乗っていた911カレラに憧れて、事業で成功してポルシェマカンを買ったIさん。

神奈川の閑静な住宅街に住んでいるIさん、ディーラーから911カレラを試乗車で1日借してもらい、奥さんと温泉旅行に行ったそう。

自宅に停めたらご近所の人が飛び出してきて、「すごい音がしたけど事故?」と言われ、911をあきらめてマカンにしたらしい。

911にもEVがあれば静かでいいけど(先日の東京マラソンの赤いサポートカー、タイカンはEV)、ハイブリッドモデルは「あえて」爆音を作っているらしい。

川内優輝の「赤いポルシェ従えて大逃げ」にネットも八代弁護士も ...

テレビで見て一瞬「フェラーリ?」と思ったらポルシェだった。

歳をとって免許返納する前に、もう一度カレラに乗りたいなと「ひそかに」目論んでるけど、よほど静かにならない限り完全防音のガレージでもないと、都内ではむずかしいかも。

GSだって静かな電動バイクになってほしいのに(早朝に始動するだけで近所迷惑)、電動化はまだまだ先みたい。

アクラなんちゃらなんてうるさいマフラーは論外。

水平対向エンジンはダミーでもいいので、静かなバイクを作ってほしい。

 

そしてスガワラさんが、「アフリカエコレースの完走報告書」を届けてくれた。

パリダカの前、サーキットレースのころからスポンサーさんには、レース結果の報告とお礼を何十年も続けてきた。

才能豊かで好成績を残した日本人ラリーストは何人かいたけど、援助してくれたスポンサーへの報告とお礼を「ちゃんと」する人は本当に少ない。

たとえリタイアしてもしっかり報告して、来年もよろしくお願いしますと言われれば、援助しようと思うだろうが、カネを取るだけ取って知らんぷりしたり、ラリーで作った借金を自己破産でごまかすようでは、応援をする気も失せるし、それがラリーを続けられる人とそうでない人の、大きな違いだろう。

スガワラ爺が海外ラリーの日本事務局をやめたのも、「カネさえ払えばなんでもやってくれる」と勘違いする人や、通関や輸送費など想定外の出費があっても、払わない人がいて、ほとほとイヤになったそう。

私のようなプチスポンサーにも、毎回報告書を届けてくれるのが本当に申し訳ない。

砂丘のてっぺんで他チームのクルマにぶつけられて、運転席側のドアがもげてしまった。

ガムテープで応急手当てして走っているのがこの写真。

本来なら危険なので治らなければ失格もありえたはず。

じ~じ曰く「毎朝のスタートで主催者によく見つからなかったなぁ」

いやいや知ってても「世界のスガワラ」に敬意を表していたんでしょ。

おかげでオシッコしたくても助手席から降りなければならず、狭いし面倒なので座ったままコーラのペットボトルに用を足したらしいが、ついレーシングスーツに「粗相」しまい、砂が入らないよう窓を閉め切った車内は、オシッコくさくて大変だったとか(@_@)

毎日のビバークの光景

手前のチームはパーツを積んだトラックとサポートカーがついて、10年近い大所帯。

スガワラチームはメカもおらず、じ~じとナビのナオコさんの二人だけ。

「おれたちが一番エコレースを実践していたと、主催者に褒められた」とか。

でもそもそもラリーなんて、ヨーロッパの貴族や金持ちの道楽から始まったもの。

(一般人は1か月も2か月も仕事を休めないし、湯水のようにカネがかかるので)

ファラオのとき砂丘で埋まっていたライダーを助けたら、ゴール後のビバークで「お礼がしたい」と連れていかれたところにトラックが停まっていて、ワインセラーから高級ワイン、冷蔵庫からチーズや生ハムが出てきたのには、本当に驚いた。

アラブの王族らしくそこのテントだけ砂漠でなくパリのよう(知らんけど)。

以後、毎日彼らのあとを走っては助けていた.......

自分の前後を「助さん角さんよろしく」ライダーにサポートさせる金持ちチームも。

道も迷わないし転んでもすぐ起こしてもらえるし、「そんなのラリーじゃない!」と言いう人もいるだろうけど、「ラリーは人生の縮図」の言葉通り、強烈な貧富の差を見せつけられたら、人それぞれ楽しめればいいと思うようになった。

 

「砂漠に忘れ物をしてきたから、来年も行く」

らしいが、次回はラリーでなく同じルートを走る「レイド(ツーリング)クラス」に、ナオコさんとご主人のミトンさんと3人で、フランスにおいてあるサポートカーの、ハイラックスで出ようか思案中とか。

でも去年も

ジムニー砂丘を登れるかわからないので、とりあえずレイドクラスで試してくる」

と言っていたのに、土壇場でラリーに参戦したので、まだわからないけど。

 

自宅4階の私の事務所は階段で手すりがない。

骨折を機に階段に手すりをつけようかと思ったが、近所のホームセンターには4m超のパイプがないので断念したけど、ゆっくり降りるじ~じを見て、やっぱり手すり付けたほうがいいかなと思ったりして。

そして今日は電動チャリで来たらしい。

「補助輪つけたほうがいいのでは?」

と言ったら

「転ばないから大丈夫」

って。

長野の実家のまわりは坂だらけ、

むかし母親が自転車で難儀していたので、当時出たばかりの電動自転車をプレゼントしたけど、初期型は出だしが勢いよく走るので、転んで大腿骨骨折してしまった。

82歳で歩くのもヨボヨボしてるおじいちゃんなので、本当は3輪の電動チャリがいいけど、「パリダカの鉄人」のプライドが許すわけもなく,,,,,

あとでテーブルに手袋忘れてるのに気づいたけど、とき遅く。

昨日、じ~じの自宅ポストに「そっと」置いてきた。

 

そして骨折から4週間、やっとギプスも取れ、松葉づえも返却。

印が折れたところ。ここに毎日20分「40%早く骨が再生する」という、超音波を当てていたので、レントゲンにも再生された骨が映っていた。

ひょっとして3月はスキーに行けるかも。

なんてひそかに期待していたが、やっぱり完治はしてないし、荷重がかかるとまだ痛い。

いいかげん今シーズンはあきらめて、治療に専念いたしまする。

 

ゴールデンカムイ実写版

3連休も地元クラブでスキーの予定だったけど、骨折でキャンセル。

なので「ひさびさに」家族で外食したり

ふだんサイゼリアで600円の予算で、友達と食べている娘からしたら、ロイヤルホストはかなり高級らしい。

よくばってパンケーキも

奥さんを実家におろして、娘と海へ

第三京浜保土ヶ谷PA

松葉づえなので障碍者用パーキングに停めさせてもらう。

横浜新道から横横道路経由で、前回も来た和田長浜海水浴場

松葉づえがズブズブ埋まってしまう、細かい砂の砂漠と違って、砂が粗い砂浜はまだ松葉づえも歩きやすいかも。

3連休だけどキャンプの人は意外に少ない。

 

そして連休最終日は品川プリンスシネマで映画鑑賞

プリンスホテルはスーツケースをひいた外国人観光客であふれていた

鬼滅の刃も新作が上映中

だけど今回は

ゴールデンカムイ実写版

マンガを実写版にしてよかった映画は記憶にない。

キングダムに続いてまた山崎賢人が主演。

マンガとアニメにハマって去年の夏、北海道まで聖地ツアーにいった母娘は、

「不死身の杉本は山崎賢人じゃないんだよな~」

なんて言ってたけど、映画が終わるころはもう「杉本=山崎賢人」に見えるほど。

鶴見中尉役の玉木宏も、土方歳三役の舘ひろしもほんとそっくり(アシリパさんもかわいいし、白石もいい)。

娘の推しの緒方役は前田郷敦、これもいい(今回は出番が少ないけど)

作者が「この役はこの俳優がモデル」で描いたんじゃないかというくらい、みんなそっくり。

kamuy-movie.com

マンガでいえばまだ数巻、アニメもたぶん5話分くらい。

鬼滅の刃と同じく、ラストまでに何本作るのか。

ハリウッド映画のような派手さはないけど、じゅうぶん楽しめてホロッとする場面も。

 

松葉づえでいろいろ歩き回ったので、もう暑くて半そで。

疲れ果てて帰宅して、娘と一緒に夕飯まで爆睡。

スキーには行けなかったけど、これはこれで有意義な時間を過ごせたかと思う。

 

25年ぶりの骨折&今シーズン終了

先週の八方尾根レッスンの翌週、2月3日(土)~4日(日)は東部湯ノ丸高原スキー場で、去年から参加させてもらっている某企業スキー部のポールレッスン。

80歳最長老で世話役のI女史をデリカに乗せて、金曜夜、湯ノ丸高原ホテルに到着。

ここは人工雪のスキー場だけど、年末来たときはポール用ゲレンデに雪がなく、一般スキーヤーに交じって基礎スキーレッスンになった。

今回はしっかり雪が付いて、今シーズン初のポールレッスン

去年は着る機会がなかったレース用ワンピースも着て、準備万端。

チームメイトに初ワンピの写真を撮ってもらったが、

「どうせなら優勝した時のポーズで」って。

これが悪かったのか?........

先週の八方のレッスンが生かせるか。

午前中はスラローム(回転)、午後にGS(大回転)の練習

数本滑ったところでポールに板をひっかけて転倒。

足をひねったようでくるぶしあたりが痛い。

なんとか下まで滑って、ブーツを脱いでしばらく休憩したが、痛みが治まる気配がない。

まだ11時なので念のため、地元の整形外科で診てもらうことに。

幸い左足なので自分で運転して、スキー場から30分の東御町の整形外科へ

レントゲン写真を見た先生からひと言

「折れてますね」

右側の骨に斜めにヒビが入っている。

とりあえず簡単なギプスで固定してもらい、病院をあとに

全治3か月で今シーズンが終わってしまった(@_@)

I女史に電話して骨折した旨を伝える。

今夜の宿泊はキャンセルできるので、東京に帰ったほうがいいと言われたが、それではクラブの人たちに来シーズンまで会えないし、夜の宴会にも出たい。

夕食の6時前には戻りますと言って、40キロ先の長野の実家を目指す。

いつも一緒に来ているH君は、今回は菅平で開催される東京都マスターズの大会で不参加。

ならば菅平経由でH君を励ましていこう。

午前中2本滑って、午後に備えて休憩中のところ、電話したら来てくれた。

足を折ったことに驚いていた。

 

菅平を下ったところが私の生まれた須坂市

お昼を食べずに来たので、子供のころから通っているホームランでチャーシューメン

この味が私にとってのラーメン。

豚骨なのか醤油なのかいまだによくわからないし、市民で知らない人はいないホームランだけど、味の好みはかなり分かれる(東京生まれの奥さんは苦手とか)

私がいた18歳まではこのショッピングセンターは、連日大にぎわいだったが、地元の基幹産業だった富士通の工場が、海外移転した20年前から衰退の一途をたどり、スーパーやレコード店、レストランなど50店ほどあったお店は、今はホームランと数店のみ。

ここにくるたびに浜田省吾の「マネー」の出だしを思い出す。

 

そして実家に寄ってみる。

連絡もしなかったけど姉夫婦に会えて、遅ればせながら新年のご挨拶

そして墓参り。

志賀高原や白馬には来るのに、墓参りしなかったバチが当たったのかも。

そしてまた菅平を登り、鳥居峠から嬬恋村を抜けて湯ノ丸高原

夕食を食べて宴会。

さいわい痛みもないので助かった。

翌朝、昨夜少し降ったようで、今日もベストコンディション。

みんなに別れを告げて帰京する

午前中の高速はガラガラで、9時に出て200キロ走り、12時前には帰宅できた。

 

私の事務所は自宅の4階。

スガワラ爺にも「階段に手すりを付けて」と言われていたけど、足が不自由になってやっとわかった。

月曜に近所の整形外科に行ってみる。

長野の整形外科の紹介状とレントゲンのDVDを持参したけど、念のためもう一度撮ってみたら

ヒビでなくしっかり折れていた(@_@)

2日たって足もパンパン

地元の整形外科まで歩いて5分だけど、面倒なので自転車で行った。

しっかりギプスと松葉づえ

そして月曜は都内も雪で首都高も全線通行止め

すぐ溶けてくれたけど、雪の降る地域で松部づえは大変だろう。

翌日からさっそくリハビリ、こんなとき通勤がない自営業は助かる。

 

この整形外科はアスリートも多く来ていて、骨のくっつきを30~40%早められるという超音波治療を、火曜から毎日20分やってもらっている。

この機械を買って朝からず~っと超音波を当てていれば、ひょっとして1か月くらいで治ったりして。

なんて看護師さんに聞いたら、「やりすぎはダメで毎日20分がいい」らしい。

25年ぶりの足の骨折と松葉づえ

25年前の1998年はパリダカ20回大会に、カメラマンのシューセイさんとプレスで参加した。

 

フランスに行く1か月前の11月、群馬の山中で行われた「闇ラリー」に参加して、凍結した路面で転倒、バイクの下敷きになって右足の「すね」の骨を折った。

パリダカ中の3週間、砂の中でずっと松葉杖をついていたら、上半身の筋肉がバキバキになり、階段の登りも2段飛ばしで登れるほどになったので、今回も松葉づえトレーニングで鍛えようと思う(ってオレはいったい何を目指してるの??)

 

下のダカールの海岸でゴールの写真は、私以外のシューセイさんとナビのM君が、ゲッソリ痩せてしまっている。

その時の顛末はこちらを ↓

sinano.hatenablog.com

sinano.hatenablog.com

sinano.hatenablog.com

sinano.hatenablog.com

今でもあのサハラの風と空気は、まぶたを閉じると鮮やかによみがえる。

今やれと言われても絶対できないけど、本当に経験しておいてよかった。

とはいえ25年前と違ってカラダは正直。

自宅から整形外科までの10分、松葉杖で往復するだけでもうフラフラ。

松葉杖が必要なあと1か月、精いっぱい鍛えたいと思います。

 

初八方尾根スキー場

1月27(土)~28(日)は八方尾根スキー場で、夏のグレステンスキーでお世話になった、Sコーチのプライベートレッスン。

競技スキーの練習でH君が、奥さんが滑るのをお互いが持つトランシーバーで

「もっと重心を前に!」とか「踏み込みが遅い!」などなど、注意しているのを見て、

プライベートレッスンにも使えると思い、H君と同じものをアマゾンで購入。

中華製で2台で4000円台。ケンウッドなどの国産モデルが15000円くらいなのに比べたら、本当に格安。毎度日本は大丈夫かと心配になる。

2002年のラリーモンゴルのとき、トランシーバーは装備品の一つだった。

スタート2日目でゴビ砂漠に迷い込んだとき、私のトランシーバーにほかの選手が、本部に救援を求める声が多数入ってきた。

「ゼッケン〇番です、リタイアしたいんですが本部聞こえますか!?」

「〇〇です、水がありません!」

彼らのは数百メートルしか電波が飛ばないようで、いくら必死に叫んでも本部まで届かない。

私のトランシーバーは彼らのそれより電波が強いモデルだったので、砂丘のてっぺんに立って届かない彼らの声を、本部に伝える役目をしていたのを思い出す(自分もミスコースのうえに水もなくて{バイクも砂に埋まって}、そんな余裕はないのに)

sinano.hatenablog.com

 

道路は月末の金曜日ということで大渋滞。

首都高経由で行く予定だったが、ナビを見ると渋滞で真っ赤。

午後3時に自宅を出たのに環七も目白通りも混んでいて、高速に乗れたのは2時間後の5時だった。

長野インターを降りて白馬まで40キロ、こちらも帰宅渋滞で少し混んだが、都内の激混みに比べればなんてことない。

デリカを前車追従のオートクルーズにすれば、レヴォーグのそれには遠く及ばないが、前を車が走っている限りはちゃんと停まってくれる。

夕食をどこで食べようか悩みながら来たら、五竜とおみのナイターゲレンデまで来てしまった。ここから八方尾根はもう数キロ。と思ったけどもうレストランもコンビニもない。

今回のお宿は「ロッジバンブラン」。

Sコーチに紹介してもらった宿で、息子さんも八方のイントラとか。

バンブラン」は「白ワイン」、きっとワイン好きなオーナーなんだろうな(聞かなかったけど)

宿には8時過ぎに到着。あまり遅くなっても悪いので、とりあえずチェックインしてから、どこか食事できるところをオーナーに聞いてみよう。

「ガイジン向けの居酒屋はやってるけど、食事だけするところはもうこの時間はやってない」

「広場にキッチンカーは来てるので、そこなら何か食べられるかも」

とのことで、歩いて5分のローソンへ。

コンビニの往復ですれ違う人は全員ガイジンさんで、「ここは外国か?」と錯覚するほど。

去年行ったエイブル五竜スキー場も、リフト待ちの100人中、日本人は私とコーチだけ?と思ったけど、ここも同じらしい。

宿のご主人曰く「ガイジンはみんな素泊まりなので、夕食は外で食べる」そうで、高齢化やコロナで廃業したペンションをオーストラリア人が買い取って、オーストラリア人向けのシェアハウスで提供しているらしい。

1~3か月滞在する彼らは「素泊まり1泊3000円」が相場とかで、食事で利益をあげる日本式の宿だと儲からず、言葉が通じず生活習慣が違うガイジンがイヤで、やめてしまうオーナーも多いとか。

今回の宿も営業は週末だけで、「もうガツガツやらなくていいから、日本人の常連さんだけ相手にやってる」とのこと。

八方のローソンは「日本で一番売れるローソン」とか。

たしかに客は100%ガイジンで、みんな大量買いしていたが、1000円も出せばおなか一杯になるし、とにかく美味いのでガイジンに公表らしい。

 

現地でリフト券を買うと7500円と高いし、リフト券売り場で並ぶのも時間がもったいない。

なので「スマリフ」というアプリで事前購入してみたが、リフト券は6500円で買えるけど、チケット交換はやっぱりリフト売り場で並ばないとならない(@_@)

土曜は快晴。Sコーチはおニューのオガサカkeo‘S、

長野の子供時代、隣の家のお兄さんがオガサカの長野工場で働いていて、塗装不良で売れないB級品をいつもタダでもらっていた。

でも同級生たちはロシニョールやフィッシャーなど、「外国製」を履いているので、「オレもオガサカじゃなくて外国製がいいなぁ」なんて、バチ当たりなことを思っていた。

50年前はニシザワやハクバ、カザマやスワロースキーなど、国産メーカーがひしめていたけど、残ったのはオガサカだけで、外国製と同じかそれ以上の価格でも売れ続けている。

地元スキークラブや競技スキー部のメンバーにもオガサカ愛用者は多いので、ひそかに「オガサカいいなぁ」と思っていたりして。

去年の3日間レッスンと同じく、今回も基本の「レールターンとカービングターン」をお願いして、レッスンしてもらった。

コーチは必ず滑ったあと、自分とコーチの「スキー弧」の違いを説明するが、左ターンは得意なのに右は思い通りにできなかったりの繰り返し。

斜面の「斜度」に対して腰と肩を平行に(というより腰と肩を谷側に傾ける)すると、しっかり谷足に荷重できるし、カービングしていると実感できる。

ネットで探したけどわかりやすい写真がなかったので、拙いイラストで申し訳ない

これが斜度のきついバーンやオーバースピードになると、カラダが山側に倒れる「内倒」というフォームになってしまい、コントロールできなくなる。

ゲレンデを滑るスキーヤーのほぼ90%が「内倒さん」

肩と腰をオーバー気味に谷側に傾けても、コーチに撮ってもらった動画を見ると、全然傾いていないことに愕然。

スキーのターン、体の倒しかたを逆にするだけで、パフォーマンス ...

イメージはこのくらい傾けているつもりだけど、コーチからは「まだまだ」って(@_@)

そして1日目が無事終了。コーチは自宅へ帰ったのでひとりロッジで食事

常連さんは関西からの人が多いようで、駐車場の車は「大阪」「京都」「和歌山」(わ、わかやま??!)ナンバーがほとんど。

おじさんおばさんグループで来ているので、食事中もワイワイ楽しそう。

 

よく日曜はくもり。1800Mの頂上まで上がってみたら視界不良だった

昨日のレッスンのおさらい。

夕食後、部屋にこもってひとり鏡に向かって、「肩と腰を斜面と並行に」イメトレを繰り返したので、コーチが驚くほど「劇的に」いい感じになった。

お昼はカツカレーを食べて、3時半のリフト終了までガッツリ滑り

速攻で着替えて帰る。

花園から高坂まで20KM渋滞だったけど、もう慣れてしまった。

コーチのレッスン後ひとりで何本か滑ったけど、頂上から一番下のゲレンデまで最長5キロなんて、足腰ガタガタでとても滑れない。

ふだん家でやってるスクワット100回を、1000回に増やそうか(ウソです(@_@))

スガワラ凱旋帰国と高齢者問題

先月のこと、アフリカから帰国したスガワラ爺が、立ち寄ってくれました。

痛そうに足を引きずっているので聞くと、去年のモンゴルから足の「スジ」を痛めているとか(よくそれでモンゴルもアフリカも完走したな~(@_@))

私の事務所がある4階まで階段で上がるのは大変なので、1階の自宅でおもてなし。

帰国後2週間たっても時差ボケが治らず(ただのボケかはおいといて(^-^;)

アシも痛くてつらい生活を送っているとか。

砂丘のてっぺんで止まったところを、登ってきた別のチームにぶつけられて、運転席側のドアがもげて「ガムテ」で補修したとか(その場にいたら死んでたって(@_@))

固定したドアが開かなくてオシッコできず、座ったままコーラのペットボトルにオシッコしたり。

毎回レーシングスーツにオシッコこぼして、車内がオシッコくさくなったり!(^^)!

ナビのナオコさんもよく耐えたな~(まさにナビというより老人介護)

まだジムニーは帰国していないので、戻ってきたらスズキ本社のスズキ社長に、表敬訪問する予定とか。

とにかくスピードの出ないジムニーだけど、そのぶんミスコースも少なく、コース上の通過しないとペナルティになるウェイポイントを、全部クリアしてきたぶん、飛ばしてポイントを見落とすチームが多い中、途中までクラス1位だったそう。

砂丘を登るのに空気圧を「0.3kg」まで落とすので、パンク(というかバースト)して交換に時間がかかったぶん、2位になってしまったそう。

ジムニーのシエラは海外でも売られているけど、軽の660ccは日本だけ。

なのでクラスも「市販車クラス」でなく、「バリバリの改造車」と同じクラス。

毎日のキャンプでゴールすると、主催者と全参加者から称賛の拍手が送られるのも、納得だろう。

これで引退するのかいちおう聞いたけど、「へへへ」って(このじいさま、来年も行く気か^-^;)

 

おみやげにいただいたオフィシャルTシャツ、これは娘用

ありがたみをしらない娘には、ほんともったいない

 

こちらは私へのおみやげ

ルマン24時間レースが100回大会とかで、その記念Tシャツ。

ルマンはナビのナオコさんがフランス人のご主人と暮らす町で、そこのガレージ(馬小屋?)を借りて、長年パリダカに出る日野レンジャーの最終整備場にしていた。

ルマン24時間で有名なユノディエールの6キロの直線で、レンジャーのテストをしてきたこともあり、「冒険者を称える国フランス」でじ~じは超のつく有名人で、ルマンの名誉市民にもなっている。

来年も出るならサポートスタッフでいいから、ダカールまでついていきたいなぁ(オシッコくさいナビはご免です(^-^;)

 

不動産業者は法律で毎年、法廷研修を受講しなければならない。

コロナ以降、大きな会場での開催はやめて、オンラインで受講できるのはありがたい。

今回の受講テーマは「住宅セーフティネット制度」

高齢者や障碍者、LGBTの人は、賃貸で断られることが社会問題化しているので、大家や不動産業者に国が資金援助して、供給を促進する制度

地方ならいざ知らず、孤独死や家賃の滞納リスクのある高齢者に、都内23区で部屋を貸す大家さんは本当に(本当に)少ない。

もしあっても駅から遠かったり、風呂無しや古くてボロボロで、だれも借りない部屋がほとんどだけど、この制度は「新耐震(昭和58年以降)」とか、広さが25㎡以上とか、風呂もキッチンも付くことを融資の条件にしているところで、もう政府が本気でないことがわかってしまう。

これから春の引っ越しシーズンが始まれば、地方から上京する若い学生さんや、死亡リスクの低い(無い)若者が大挙して押し寄せるので、条件の不利な年寄りはますます借りられない。

法律改正で保証人を取れなくなった家賃の保証会社は、今後は収入が年金だけの人は断る方針とか。

高齢になればなるほど、保証人を頼んでいた親兄弟がいなくなり、区や自治体も保証人にはなってくれないので、高齢者はほんとうに借りられなくなる。

孤独死は死んですぐなら次に借りる人への告知はしなくていいと、建前はなっているけど、入居したあとに周りの人から聞かされたら、いい気持ちはしないはず。

当然家賃も他より安くしないとならないし、家財の撤去やリフォーム代などかかるが、それを保証人に請求しても、高齢で年金暮らしの保証人はまず払えない。

セーフティネットでも「保証人にすべての責任を負わせるのは酷」と謳っているが、そのツケはすべて大家が負担しなければならないなら、だれも貸さないだろう。

管理していた古いアパートは、入居者もみな70~80代。

老朽化で建て替えることになったけど、新築後の家賃は長年安い家賃で借りていた彼らには、とても払えない金額。

「家賃さえ払えば一生住めると思っていた」とみんなが言うけど、建物も古くなることを理解していない人が本当に多い。

少し歩けば駅もバス停もある、便利な都内で長年暮らした人はクルマも運転できず。

駅もバス停も遠い郊外や地方では、もう生活できない。

近所のおばあさん(90歳)から相談されたのは、彼女の85歳の弟のこと。

40年前におばあさんが「買ってあげた」近所の借地の家に、職人で独身の弟が一人で住んでいたけど、借地契約が満期になるのを機に、地主から金を払うので借地を返してほしいと提案があった。

借地代として3000万円もらえるし、足腰の弱った弟は自宅の2階にも上がれないので、これ幸いと売る契約を交わしたが、さあここからが大変。

85歳で初めて部屋を借りる、収入が年金だけの弟は、どこの不動産屋に行っても断られ、途方に暮れてしまった。

彼が恵まれているのは、家を売って3000万のまとまったお金があること。

くだんのアパートの住人たちは、年金暮らしで貯金もなく、引っ越したくてもどこも貸してくれないけど、分譲マンションならどんな高齢者でも、カネさえ払えば買うことはできる。

姉のおばあさん曰く「5年くらい住めればいい(たぶん死ぬから)」とのことだから、築50年以上のボロボロのマンションのひと部屋を、2000万くらいで買えればすぐ引っ越せるけど、弟にすればあと数年しか住まない(生きない)のに、なんで何千万も払わなければならないのかが理解できない(まだどこかに自分が借りられる部屋があると、思い込んでいる)

私に説得してくれというけど、こんな人は「明日立ち退きだから出ていけ!」と、言われるくらいまで切羽詰まらないと、自分が置かれた立場をわからないので、丁重にお断りした。

土地の安い地方で、無秩序に建てて空きまくっているアパートなどを、国や県、自治体が借り上げて「姥捨て山」にしないと、高齢者問題はますます解決しないだろう。

 

「アマゾンです~」と宅配業者さんがピンポンしたので出てみたら、たぶん70代のおばあさんだった。

スガワラ爺も「手すり付けてくれよ」と言っていた階段を、おばあさんも荷物を持ってヒイヒイ言いながら上がってきた。

こんな元気な高齢者なら、どこかに部屋があればお世話したいけど、そんな奇特な貸主がまずいないのが本当に悲しい。