ハンターカブが増えて電動ママチャリの置き場が無くなった。
奥様から
「物置の乗らない自転車、なんとかしなさい」
と指示があったので、お山でお世話になっているオザワさんに、モンキーをもらってもらうことに。
オザワさんはフラットペダル派なので、ついているビンディングペダルを外そうとしたが、固着していてボルトがゆるまない。
しかたないのでデリカに積んで
友人の「はすぬま自転車店」へ持ち込み、何とか外してもらえた(グリスを塗らないと焼き付いて取れなくなるそう)
そして日曜日、「ポツンと一軒家」に出てくるような、山の上のオザワさんちへ。
近くで初めて見るデリカに興味津々のオザワさん
裏山の夏ミカンと
これも裏山で採れたワラビとモンキーを「物々交換」
帰宅して熱湯に重曹を加えて、ワラビの「あく抜き」
そして月曜はディーラーでタイヤ交換
骨折で早々にスキーシーズン終了だけど、
「ひょっとして治ったらスキーに行けるかも?」
なんて淡い期待を抱いて、交換しないでいた。
でもやっぱり治らないので、あきらめてスタッドレスからノーマルタイヤに交換。
いつもなら自分で交換するところ、まだ踏ん張ると痛いので今回はプロにお願いした。
交換作業中ショールームで待っていたら、菅原爺から電話が。
「いまどこ?」
「三菱ディーラーでタイヤ交換中です」
「アヘッドとラリーの写真、自宅ポストに入れておくよ」
「ディーラーのスタッフが菅原さんに会いたがってるから、来ませんか」
「オレ、日野さん傘下のダイハツタントだから、行けないよw」
次の予定があったそうで残念ながらこの日は来れなかったけど、工場長含めほとんどが菅原爺を知っているので、みんな会いたがっていた。
もうひとりのパリダカレジェンド、篠塚さんががんで亡くなってしまった。
去年、篠塚さんから菅原爺に「アフリカエコレースに出たい」と相談があり、篠塚さんと奥さんがやっている清里のペンションに、泊まりに行ったそう。
諸事情で断念したらしいが、行きたかっただろうなぁ。
パリダカを日本に広めた立役者なのに、追悼番組のひとつもやらないことをじ~じは怒っていた。
前のレヴォーグだとタイヤ4本で荷室はパンパンだったけど、デリカは広くていい。
そしてポストにはアヘッドが
じ~じの盟友、尾上さんが作った「アピオ」の広告塔になっていた。
付箋が貼ってある先には、プチスポンサーの私の会社のステッカーが。
これだけのことを達成したのにテレビは大谷のニュースばかりで、メディアが取り上げないことに腹が立つ。
三菱ディーラーのデリカ乗りの営業マン、Iさんがトライトンに乗り換えたそう。
若いころはランエボでレースをやっていて、結婚して子供が生まれてもランエボで、家族4人でキャンプに行っていたそう。
デリカになってかなり広くなったけど、トライトンはトラックなので座るスペースはかなり狭くなる。
子供たちも大きくなっているのに、狭いトライトンでキャンプに行くそう。
理解のある家族でよかったね。
この記事は日本自動車工業会のホームページで紹介されていた。
アヘッドはオートバックスやディーラーで読むことができるけど、出版元としては定期購読してもらえたほうがありがたいので、希望の方はこちらをぜひ。
そしてあく抜きで一昼夜、水に浸したワラビを「おひたし」でいただく。
銀座の高級料亭より旨いかも(知らんけど)