R1250GS カフェしなの

R1250GS、事故で廃車から買い替えました

バイバイモンキー&スキーシーズンほんとに終了

ハンターカブが増えて電動ママチャリの置き場が無くなった。

奥様から

「物置の乗らない自転車、なんとかしなさい」

と指示があったので、お山でお世話になっているオザワさんに、モンキーをもらってもらうことに。

オザワさんはフラットペダル派なので、ついているビンディングペダルを外そうとしたが、固着していてボルトがゆるまない。

しかたないのでデリカに積んで

友人の「はすぬま自転車店」へ持ち込み、何とか外してもらえた(グリスを塗らないと焼き付いて取れなくなるそう)

そして日曜日、「ポツンと一軒家」に出てくるような、山の上のオザワさんちへ。

近くで初めて見るデリカに興味津々のオザワさん

裏山の夏ミカンと

これも裏山で採れたワラビとモンキーを「物々交換」

帰宅して熱湯に重曹を加えて、ワラビの「あく抜き」

 

そして月曜はディーラーでタイヤ交換

骨折で早々にスキーシーズン終了だけど、

「ひょっとして治ったらスキーに行けるかも?」

なんて淡い期待を抱いて、交換しないでいた。

でもやっぱり治らないので、あきらめてスタッドレスからノーマルタイヤに交換。

いつもなら自分で交換するところ、まだ踏ん張ると痛いので今回はプロにお願いした。

交換作業中ショールームで待っていたら、菅原爺から電話が。

「いまどこ?」

「三菱ディーラーでタイヤ交換中です」

「アヘッドとラリーの写真、自宅ポストに入れておくよ」

「ディーラーのスタッフが菅原さんに会いたがってるから、来ませんか」

「オレ、日野さん傘下のダイハツタントだから、行けないよw」

次の予定があったそうで残念ながらこの日は来れなかったけど、工場長含めほとんどが菅原爺を知っているので、みんな会いたがっていた。

もうひとりのパリダカレジェンド、篠塚さんががんで亡くなってしまった。

去年、篠塚さんから菅原爺に「アフリカエコレースに出たい」と相談があり、篠塚さんと奥さんがやっている清里のペンションに、泊まりに行ったそう。

諸事情で断念したらしいが、行きたかっただろうなぁ。

パリダカを日本に広めた立役者なのに、追悼番組のひとつもやらないことをじ~じは怒っていた。

前のレヴォーグだとタイヤ4本で荷室はパンパンだったけど、デリカは広くていい。

 

そしてポストにはアヘッドが

じ~じの盟友、尾上さんが作った「アピオ」の広告塔になっていた。

付箋が貼ってある先には、プチスポンサーの私の会社のステッカーが。

これだけのことを達成したのにテレビは大谷のニュースばかりで、メディアが取り上げないことに腹が立つ。

三菱ディーラーのデリカ乗りの営業マン、Iさんがトライトンに乗り換えたそう。

若いころはランエボでレースをやっていて、結婚して子供が生まれてもランエボで、家族4人でキャンプに行っていたそう。

デリカになってかなり広くなったけど、トライトンはトラックなので座るスペースはかなり狭くなる。

子供たちも大きくなっているのに、狭いトライトンでキャンプに行くそう。

理解のある家族でよかったね。

この記事は日本自動車工業会のホームページで紹介されていた。

blog.jama.or.jp

 

アヘッドはオートバックスやディーラーで読むことができるけど、出版元としては定期購読してもらえたほうがありがたいので、希望の方はこちらをぜひ。

そしてあく抜きで一昼夜、水に浸したワラビを「おひたし」でいただく。

銀座の高級料亭より旨いかも(知らんけど)